北朝造像銘研究―華北地域社会における仏教の信仰と実践

倉本 尚徳

 北斉時代に編纂された『魏書』が正史として初めて仏教と道教に関して専論する釈老志を設けたように、北朝時代は、中国社会の仏教の受容という観点から見た場合、極めて重要な時代である。そしてこの時代、地域社会に仏教が普及する過程において非常に大きな役割を果たしたのが造像である。この時代の仏教造像としては雲岡石窟や龍門石窟のものが有名であるが、地域社会における仏教信仰という観点から見れば、華北の各地に現在も遺物が多く現存する、義邑、邑義、法義などと呼ばれる信仰集団(本論では集団を指す場合「義邑」、人を指す場合「邑義」と定義した)によって造られた石仏像の方がより重要である。
 本論は、造像に刻まれた銘文を主な資料とし、関連する正史や仏典などの伝世資料、あるいは敦煌出土の文献資料も用い、北朝時代の地域社会において行われた仏教の信仰や実践の内実を探るものである。
 北朝造像銘を使用した先行研究としては、塚本善隆氏や佐藤智水氏、侯旭東氏の成果がよく知られているが、各地域における具体的な信仰のあり方に関しては十分に研究が進められたとは言い難い。そこで、本論では、この時代の地域社会における佛教信仰の多様性と新たな展開に重点を置き検討する。
 以下、本論各章の要約を示す。
 第一部では、義邑に関する問題を中心に、長文の造像銘の文章構造や各地域の義邑の分析を行った。第一章第一節においては、邑義や義邑に関する用語の意味について検討した。第二節では、造像などを行った信仰集団である義邑に関する研究史を振り返り、義邑の地域性や思想信仰が重要な課題であることを指摘し、第三節において、長文の造像銘の具体的内容について経典の典拠に注意しつつ論じた。そのなかで特に感応思想が重要であることを論じ、第四節において、感応思想がどのような形で造像銘に表現されているかを論じた。
 第二章では、筆者が収集した有紀年造像銘について、釈迦や観音などの像の尊名と、邑義造像銘に関するデータを地域別に分類して年代順に表にして提示し、特に邑義の肩書に関してその地域的特色を探った。その結果、北魏龍門石窟における義邑には、教化僧である「邑師」―「邑主」―「維那」という序列が見られるが、例えば河北では「邑主」が教化僧であるように、地域差が顕著であることを明らかにした。
 第三章では、第二章における検討で特に他地域との顕著な差が明らかとなった陝西の邑義肩書の詳細な分析を行った。まず、従来漠然と道仏混淆像などと称されてきたものを、道教が主である道仏像と仏教が主である仏道像の二種に区別し、邑義の肩書を分析した。その結果、仏像を造った義邑と道教像(道仏像)を造った義邑との間で、邑義の肩書に大きな相違があることや、道仏二教の互いに相手より上位に位置づけようとする序列化意識を明らかにした。また、北周以降道仏像が見えなくなることも指摘した。
 第二部では、第一部で明らかとなった地域性をふまえ、造像銘と具体的な信仰や実践を説く仏典(特に中国撰述経典)との関係を論じた。
 第一章では、仏名が多く刻まれた銘文の諸事例を紹介した。その特徴として、時代的には東西魏分裂以降増加し、地域的には広範囲に見られるが、特に山西・河南地方に仏名を多く刻んだ造像碑が多く見られることを明らかにした。また、それら仏名について経典に厳格に依拠しようとする態度は見られず、かなり自由に選択されていること、刻まれた仏・菩薩名が、『大通方広経』、『菩薩瓔珞本業経』、『大方等陀羅尼経』といった実践的性格が強く、特に懺悔と関わりの深い経典に基づいている場合があること、そうした造像はとりわけ山西地方に集中しており、邑義たちによるものである場合が多いことを指摘し、この地域における、造像と結びついた礼懺の盛行を明らかにした。
 第二章では、新発見の『大方等陀羅尼経』十二夢王の名と図像が刻まれた石刻の分析を手掛かりとし、方等懺と、神秘的体験を求める好相行、さらに称名信仰との関係を論じた。また、この石刻の事例では、邑義たちが方等懺という、八関斎と比べより専門的な懺悔行法を行っていたと考えられることを新たに指摘し、『続高僧伝』の方等懺実践者である曇栄や智満がこの石刻の所在地である山西東南部と深い関わりを有していたことから、この地域の宗教的土壌を考慮すべきことを論じた。
 第三章では三宝の称名と懺悔を説く『大通方広経』の成立地が南朝梁初の「荊・襄」であるとする『続高僧伝』の記述が正しいと認められることを、この経との関連を示す造像銘などを紹介しつつ論じた。また、『大通方広経』の思想内容について、『大通方広経』の典拠を全巻にわたって調査し、その結果、様々な経典から抄出しながらも、とりわけ『涅槃経』から多く採用していること、そして、『涅槃経』の三宝一体や一闡提に関する思想を巧みに取り込み、それを三宝名の礼拝称名による懺悔によって一闡提の罪をも滅することができるというこの経独自の主張の思想的基盤としていることを明らかにした。
 第四章では、従来『華厳経』との関係が指摘されていた陽阿故県村造像記の内容を再検討し、刻まれている内容が『菩薩瓔珞本業経』に基本的に基づくことを新たに明らかにした。そして経典との比較を通じ、この造像記における観仏または見仏、転輪王の重視などを指摘した。この造像記の原在地は山西東南部であり、「懺悔主」という肩書を持つ者もいることから、山西の特色である、仏名信仰・懺悔儀礼と結びついた造像事例の一つと見なすことができ、菩薩戒を説く経典に依拠していることを明確に窺うことができる北朝時代の石刻造像記として、管見の限りでは唯一と言える貴重な事例である。
 第五章と第六章においては、観音信仰の中国における新たな展開として、中国撰述経典『高王経』と『観世音十大願経』、さらに、関連する石刻を取りあげ論じた。第五章では、『高王経』成立と同時代の造像銘文、特に五巌寺石窟の高王寺主らによる観音像と造像銘文を、道宣などが記した孫敬徳にまつわる霊験譚と関連づけて検討した。さらには経文内容についても先学の諸成果をふまえて分析し、経文のほぼすべてが諸経典から抽出しそれに少し手を加えたものであることを明らかにした。そして、高歓のとりまきの僧が、河北地方に普及していた観音信仰を利用し、新たに諸経より抜粋して『高王経』を撰述し、坐形をとる特殊な観音像やその霊験譚とセットにして高王の名を広めようと発案したと推測した。
 第六章では、石刻に見える「観世音仏」という仏名について、観音の成仏を説く経典との関連を探った。特に北斉時代の刻経碑に『観世音十大願経』の観音願が刻まれており、それが『遺教経』の後に刻まれていたことと、他に隋代の八会寺刻経龕や、既に指摘した北響堂山大業洞の仏名題記の配列とを考え合わせ、釈迦のあとを承けたこの世の救済者として観音を位置づけ、それが観音の本願によることを強調したものであると論じた。
 第七章では、北斉後半期、河北地域を中心に、造像銘における浄土教主の仏名が「無量寿」から「阿弥陀」へと変化する事情について探るため、造像銘の生天、往生浄土に関する用語の分析を試みた。
 第一節では、天や浄土に生まれることを表す用語を分類整理し、それぞれの用語の初出や典拠などを考察し、いくつかの頻出する定型句が見出されること、仏典で多用される語と造像銘で多用される語に相違があること、北斉時代の河北地域で浄土に関する様々な語句が多用されていることを明らかにした。
 第二節では、北朝時代から隋代にかけての有紀年無量寿・阿弥陀像銘を表に整理して提示し、それらの地域的、時代的相違を考察し、「無量寿」から「阿弥陀」への変化が北斉時代の後半、河北地域を中心におこり、特に阿弥陀像銘に関して、浄土信仰を表す新しい用語が多く出現し、生天思想とは一線を画そうとしていたことを示した。
 第三節では、北斉時代になると「南无阿弥陀仏」という刻銘が出現するなど、阿弥陀信仰がより明確に表現されるようになることを指摘した。
 第四節では、北斉文宣帝の時代、帝の師となり大きな影響力を有した僧稠の禅観に基づいて装飾がなされたと銘記されている小南海石窟に、『観無量寿経』に基づく図像が刻まれたことを重視すべきで、また、僧稠の弟子である智舜が邑主となり阿弥陀三尊像を造ったと考えられる事例があることなどを新たに紹介した。初期の阿弥陀像銘は、河北に最も多く、禅師により主導された邑義たちによる阿弥陀造像銘がいくつか見られることから、北斉時代の阿弥陀造像の興起には、曇鸞の系統とはまた別の、僧稠―智舜といったような、禅観・念誦を重視する太行山脈周辺を中心に活動した禅師たちに着目する必要があると論じた。
 第五節では、北斉時代の無量寿・阿弥陀像銘三例について『観無量寿経』に基づく表現が多く見えることを指摘し、「阿弥陀」という像名の普及は、『観無量寿経』に基づく図像や造像銘の普及とほぼ時を同じくしており、この経の禅観実践における視覚的イメージの重視と密接に結びついていたことを指摘した。
 附篇では『観無量寿経』に基づく語が多用されている臨淮王像碑の訳註作成を試み、この造像の青州地域に与えた影響の大きさについても論じた。
 以上、本論においては、造像銘を主たる資料として、造像を主たる活動とした義邑という集団の地域的性格の強さや、陝西における道仏融合の斎会と強く結びついた造像碑の有様、山西における仏名信仰や懺悔儀礼、菩薩戒を説く中国撰述経典を背景に持つ造像碑の存在、中国撰述經典による新たな観音信仰の展開、河北を中心とした阿弥陀佛像銘の出現の実態などを明らかにし、義邑における実践的な性格の強い様々な経典の使用などより窺うことのできる、北朝地域社会における仏教信仰・実践の新たな展開とその多様性の一端を解明した。

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