敗戦後日本の浮浪児、孤児・捨児をめぐる施設保護問題

土屋 敦

 本論文は、①敗戦後の戦災孤児や浮浪児・捨児をめぐる施設保護問題を端緒として、「家庭のない児童」に対して、戦前期における慈善事業や社会事業とは異なる逸脱規範や問題規制の生成がなされていった歴史と、②その延長線上に、1960年代初頭以降、養育環境に「問題のある家庭」の中で生活する子ともたちを、劣悪な家族関係から切り離しながら施設保護するための社会基盤が形成されていった過程を明らかにすることをめざしている。

近年、駐車場に停めた車の中に放置され死亡する幼子や、赤ちゃんポストに置き去りにされた捨児たちの存在が新聞やテレビのニュースなどで報道されることが多い。劣悪な家庭環境の中に放置される幼子たちの発育をめぐっては、近年「ネグレクト(保護の怠慢ないし拒否)」という言葉によって注意が喚起されるとともに、「愛情遮断」や「社会的隔離」といった発達心理学用語が用いられながら、児童の人格形成に及ぼす悪影響を危惧する見解が多く表明される。

他方で、現在社会の中では「ネグレクト」を含む「児童虐待」概念の中に包摂されるであろう児童問題の系譜を歴史的に遡るならば、それは間引きや嬰児殺し、浮浪児や捨児といった呼称を伴いながら、それはかつて人々の日常生活や日常風習の一部とあり、またそれを統制する禁忌の規範は現在よりもはるかに稀薄であったであろうことが指摘される。

浮浪児や捨児などの「家庭のない児童」に対して付与された禁忌の規範の形成はいかなる歴史的経路を辿って形成されたものであるのか。またそうした禁忌の規範は、近代社会における生成物であるとされる「家庭」概念や近代的な育児規範とのいかなる交錯関係の下に形成されたものであるのか。

本論文は、フィリップ=アリエスを嚆矢とする「保護されるべき子ども観」の誕生をめぐる議論や、ジャック=ドンズロに端を発する「社会的なもの」の生成をめぐる議論などの、家族史や歴史社会学研究の批判的咀嚼の下に、戦後日本社会における浮浪児や孤児、捨児をめぐる社会問題の生成・変容過程を論じる。また主に敗戦後から高度経済成長期における社会的養護問題の軌跡を、そこで編まれた児童福祉や児童精神医学・発達心理学といった社会政策や医学領域の専門家言説を分析する中から、浮浪児や捨児といった「家庭のない児童」に付与された逸脱規範の変遷過程に着眼しつつ、それを「家庭」という言葉に代表される近代的な家族規範や育児規範の形成との「偏差」という視点から跡付けることを目的とする.

家族史および歴史社会学の研究視座からなされた浮浪児研究や孤児、捨児研究は、主に①近代家族論の枠組みの中で、新中間階層における家庭規範の形成の中における捨児問題の変遷を追いかけた研究、および②主に家族の歴史政治学ともいうべき視座からなされた研究の二つにおおよそ区分可能である。前者が主に新中間階層規範として形成された家庭概念や育児規範の生成過程を描き出しながら、そこに浮浪児や捨児が放出されにくい家族規範が形成された軌跡を主題化してきたのに対して、後者はジャック=ドンズロらによって提起された「社会的なもの」の生成をめぐる議論を援用しながら、「家庭」という概念が価値のあるものとして認識されていく中で、あるべき「家庭概念」をいわば準拠枠としながら、そこからの「偏差」として社会問題化された浮浪児や孤児・捨児への逸脱規範の生成過程自体が主題される。

本論文の考察は後者の家族の歴史政治学に準拠しているが、上記の近代家族論および家族の歴史政治学の別に関わらず、浮浪児や孤児、捨児をめぐる既存研究は、(1)明治後期から大正期という「家庭」概念の生成期に着眼し、(2)この「家庭」概念が生成される中で、浮浪児や孤児、捨児が生じにくい家庭規範や育児規範が形成され始めること。また③そこで形作られた家庭規範や、浮浪児や孤児、捨児に代表される「家庭のない児童」に対する意味付与のあり方が、いわばプロトタイプとしてその後の社会の変容過程の中で大衆化していくことが示唆される、という特徴が見出される。またそこでは同時期に(4)児童が原家族や実母から切り離されながら施設に保護されることへの忌避観が専門家集団の中で生成されたことが指摘されるとともに、この時期以降(5)里親委託件数の顕著な減少が見出されることが指摘される.

他方で、上記の指摘に反して、児童の施設保護対策が劇的に進展するのはむしろ敗戦後期であり、また戦後社会の中で里親委託はむしろ児童福祉に必須の要素として推奨されていく。またこうした論点は家族史や歴史社会学の浮浪児や孤児、捨児をめぐる既存研究の中では看過されてきた点である。また、特に1990年代以降大きな社会問題として構築されていくとされる「児童虐待問題」の枠組みの中では、劣悪な家庭環境の中での生活を強いられる児童を、むしろ原家族や実母から切り離すかたちで公的に保護されるべきことが積極的に論じられる。こうした歴史的系譜を鑑みるならば、家族史や歴史社会学上の視座からなされた浮浪児研究や孤児・捨児研究の中で想定されている先述の既存認識は,敗戦後の戦災浮浪児や孤児・捨児をめぐる社会問題の形成過程を跡付ける中で、大きく修正される必要がある。

本論文は、第1章「問題設定および本稿の背景」で上記の問題意識を論じた後、第2 章「浮浪児に対する施設保護の進展と「鑑別機関」の形成」では、敗戦後の戦災浮浪児をめぐる施設保護問題の変遷に関する主題における論点を、知能検査や性能検査などの児童精神医学上の検査手段をめぐる問題に絞ったうえで、「家庭のない児童」を施設保護する際に活用された専門家言説の中に埋め込まれた「正常な家庭像」の変遷を跡付けた。児童福祉政策史の中では、戦前期の児童施設には、孤児院や乳児院、感化院や精神薄弱児施設といった名称の区分は存在したものの、各々の施設には現在のカテゴリー区分の中では孤児や浮浪児、身体障害児や知的障害児などに区分されるところの児童たちが「混在」するかたちで収容保護されていたことが指摘されている。第2章の作業は、戦後の児童福祉をめぐる施設保護行政が、戦前期の「混合収容」形態から戦後の「分類収容」形態へと劇的に移行する中で、また個々の子どもの特質に適した保護機関の設置や保護方法の「細分化」の必要性が喚起される中で要請された、児童精神医学上の諸検査に内包された家族観をあぶり出す作業に費やされている。同時にこの作業は、敗戦後日本社会における「家庭のない児童」に向けられた差別的な処遇と眼差しとを、児童を施設保護する際に要請された専門家言説における問題認識の枠組みを分析する中で再検証する作業でもあった。

第3章「敗戦後社会におけるホスピタリズム(施設病)論争の興隆と里親委託制度の促進」では、特に1950年代初頭以降、原家族や実母から切り離されながら児童施設で生活をおくる「家庭のない児童」の中に、発達障害児や情緒障害児などの中軽度の障害児が多いことを告発するかたちで、「ホスピタリズム(施設病)」という呼称を伴いながら形成された病理の生成過程を主題とした。この「ホスピタリズム」は、敗戦後社会における「家庭のない児童」の中に多いとされた病理の発生原因を、児童の養育環境として「家庭」や原家族そして実母による養育が不在であることに専ら帰属させるかたちで形成された。総力戦として戦われた第二次大戦前後に多く生じた、疎開児童や戦災孤児などの「家庭のない児童」の存在は、フロイト派の流れをくむアンナ=フロイトやジョン=ボウルヴィらに代表される児童精神医学の大家たちにとって格好の「研究対象群」を提供することになったこと。そして大戦後の「家庭のない児童」の保護施設が、戦後の母子関係論や育児論の「古典的テクスト」が産出される際の「エビデンス」が提供された場であったことは、ファン=デン=ヴェルグらによる母性研究においても批判的に検証されてきた論点であった。日本社会におけるこのホスピタリズムの移入は、戦災浮浪児や孤児・捨児などの「家庭のない児童」の施設保護問題が喫緊の社会問題を構成する中で、あるべき「家庭」概念との「偏差」という枠組みの中で構築された点に特徴がある。またこの「ホスピタリズム問題」の形成は、その副産物として、児童施設を「家庭的な場」にすることをめぐる議論を喚起するとともに、戦前期は抑制傾向にあった里親委託制度を、児童に「第二の家庭」を与えるという理念の下に、推奨されるべきものとして議論にのせる際の科学的根拠を提供した。

第4章「高度経済成長期における社会的養護問題の変容と「新しい児童問題」の興隆」では、主に高度経済成長期に当たる1960年代初頭以降、戦災浮浪児や孤児・捨児の存在が社会的養護の場から消失していく中で生じた、養護施設の維持をめぐる議論の興隆を主題として設定した。また、それまで専ら「家庭のない児童」を収容保護する施設としてあった養護施設や乳児院が、戦災浮浪児たちが施設退所した後も現在に至るまで施設数と入所児童数とをほぼ維持しながら存続し得た理由を考察した。田間泰子らによれば、高度経済成長期に該当する1960年代後半以降、「家庭崩壊」や「育児放棄」、「母性愛の喪失」といった言葉の生成を伴いながら、捨児や置き去り児、被虐待児などの存在が原家族や実母の養育責任を糾弾するかたちで、新聞等の大衆メディアの中で大きな社会問題を形成し始めることが指摘される。1960年代以降の日本社会における社会的養護をめぐる児童施設の存続は、このいわばこの「新しい児童問題」ともいうべき問題が構築される中で、養育機能を衰退化させた「問題家族」の中で生活する児童を、原家族や実母から引き離しながら公的に保護する必要性が喚起される中でなされたといえる。前章の主題であるホスピタリズムの構築は、「最悪の家庭は最良の施設に優る」という標語を伴いながら、児童の養育環境として原家族や実母の必要性を過度に強調するかたちで形成されたのとは対照的に、1960年代以降生じた社会的養護をめぐる変容は、児童の養育環境として適切ではない「問題家族」の中での生活を強いられる児童を原家族や実母から切り離しながら保護する「避難場所」としての地位を獲得していく点に求められる。またこの「問題家族」への介入と児童の公的保護をめぐる実践の開始が、その後1990年代以降構築されるとされる「児童虐待問題」形成の序曲をなしていた点も本稿で明らかにされる。

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