本論は、16世紀後半から17世紀後半にかけてのおよそ一世紀の間に生じた西洋の数学的音楽理論の展開を、特にイタリアでの動向に注目することによって明らかにすることを目的とする。ここで言う「数学的音楽理論」とは、協和音を中心とする音程関係を数学的な手段によって考察する理論的試みを指す。このような考察は、古代ギリシャのピュタゴラス派に端を発し、ボエティウスを介して中世からルネサンス期のヨーロッパにおいて数学的四科(クァドリヴィウム)の一学科として幅広く浸透し、音楽理論の領域においてもっとも枢要な位置を占めてきたものである。
本論の本体部分は6つの章から構成されている。第1章では、16世紀最大の音楽理論家として知られるザルリーノ(GioseffoZarlino,1517-90)の主著『ハルモニア教程Istitutioniharmoniche』(1558/1573年)における理論と作曲実践との関わり方を検証する。彼はまず、神秘主義的性格の色濃い数学的音楽理論の伝統的枠組みの中で、協和音を規定する数に存在論的根拠を与える。そのうえで、それらの協和音の音響特性によって歌詞の音楽的表現という当時の実践的な要請に対応している。そこには理論と実践の相補性という彼の理想が強く働いていた。その理想は、オペラの創始に貢献したフィレンツェの「カメラータ」に属し、同じく歌詞の感情表現という観点から多声音楽を否定したヴィンチェンツォ・ガリレイ(VincenzoGalilei,1520s-91)への反論にもつながっていく。ザルリーノにとって、多声音楽の根幹をなし、数的調和を体現する協和音こそが音楽の本質的要素だったからである。
第2章では、同じくザルリーノにおける数学的音楽理論の変革への動きを検討する。数学的四科において、音楽は整数比を扱う学問として、整数論としての算術に従属する学科と見なされてきた。ザルリーノはその伝統的な学問観を基本的には維持しつつも、他方で、楽器の調律という現実的な要請から、そこに幾何学の論証法を導入し、幾何学的な連続量を用いて音程を規定することによって、離散量(整数)をその基体とする旧来の数学的音楽理論の基本的前提を否定するような議論も展開している。そのことはまた、音程を二音の関係としてではなく、ひとつの実体的な大きさとして捉えるという音程観の変化をもたらす契機を含んでいた。このように、彼は数学的音楽理論における伝統の維持と時代的な要請への対応との間で揺れ動いていたと言える。
第3章では、音律をめぐるヴィンチェンツォ・ガリレイのザルリーノに対する批判を検討する。声楽曲に使用されている音律が純正律であることを超越的な規範概念である「自然」によって正当化するザルリーノに対し、ガリレイは演奏実践における経験を重視する立場から、音楽をあくまで人為的な営みと見なし、ザルリーノが主張するような音楽の観念的性格を否定する。それはとりもなおさず、ピュタゴラス主義的・四科的な旧来の音楽観に対する懐疑的な姿勢の現れであった。彼はまた、古代ギリシャの音楽理論の中でもとりわけ感覚判断を重視するアリストクセノスの音律体系を強力に擁護することによって、旧来の数学的音楽理論に付随していた思弁的側面を排除することに大きな役割を果たした。
第4章では、ケプラー(JohannesKepler,1571-1630)の『世界の調和論Harmonicemundi』(1619年)で展開される協和音に関する議論を扱う。ここでドイツ人のケプラーを扱うのは、彼の議論が、本論が主題とするイタリアでの数学的音楽理論の流れにおける16世紀と17世紀をつなぐ線を見通す上で重要な論点を含んでいると思われるからである。ケプラーはピュタゴラス派の調和と協和音の概念を規定する数のシンボリズムを斥け、具体的な弦の長さに即した幾何学図形を用いることによって協和音を数学的に規定し、数をその長さの測定値としてのみ扱う。このように旧来の数学的音楽理論における思弁的伝統が否定される一方で、彼の協和音の理解もまた、新プラトン主義的な独自の形而上学に支えられた非常に観念的なものである。ケプラーによれば、まず調和という概念一般は感覚的なものと純粋なものに区別される。感覚的調和としての協和音は、感覚によって知覚される二音を魂が比較することによって実現されるが、純粋な調和はその感覚的調和の原型として機能する。それは、協和音の弦長比を規定する図形のかたちをとって人間の魂に生得的に刻み込まれている抽象観念であり、外的な知覚対象である感覚的調和をそれとして保証するものである。協和音を聞く際に人が快を感じるのも、それを規定する弦長比がこの純粋な原型的調和と一致するからである。ケプラーの協和音論は、音楽論としてはきわめて特殊なものであると同時に、数学的音楽理論が内包してきた思弁的性格を残しているという点で、保守的であるとも言える。
第5章では「近代科学の父」ガリレオ(GalileoGalilei,1564-1642)の協和音論を扱う。それは科学革命期に特有の機械論哲学に徹底して貫かれており、また、抽象的な数学的思弁から具体的な音響現象を扱う物理学への移行がそこに明確に認められる点において、真の意味で数学的音楽理論の方法論的転換を示す事例となっている。彼が掲げるのは、二音による空気の鼓膜に対する打撃が一致する頻度が高ければ高いほど、それら二音の協和度は高くなるという、協和音の「一致理論」である。この理論は当時から幅広く受け入れられ、現在の周波数による音響学的分析にもつながるものである。しかし、ガリレオは協和音を外的な自然現象として徹底して即物的に分析するために、協和音を知覚する主体である人間の内的な感覚的認識作用についての考察を放棄してしまっている。
第6章では、ガリレオの新科学の系統を継承しつつも、彼が放棄していた音程知覚の問題を主題的に扱った、ボローニャの数学者メンゴリ(PietroMengoli,1625-86)による音楽論『音楽についての考察Speculationidimusica』(1670年)を検討する。彼の議論のもっとも画期的な点は、音程知覚が理性的認識ではなく、もっぱら感覚的認識として捉えられているということである。旧来の四科的な数学的音楽理論の常識では、音程は数比によって理性的に理解されるべき学問的対象であった。感覚は理性よりもその認識能力において劣るため、感覚は音程を受容するための窓口ではあっても、それについての明晰判明な判断ができる主体とは見なされていなかったのである。こうした感覚の判断能力の限界を踏まえつつも、メンゴリは感覚に固有の限定的な計算能力を認めることによって、人間の魂がもっぱら感覚的な対象としての音程を認識するための合理的なメカニズムを構想する。彼は、科学革命期の機械論的自然観の根幹をなしていた粒子論に基づき、空気を粒子状の物質と見なして、その鼓膜への打撃の頻度によって音高が決定されると考える。魂は空気の打撃数を感覚固有の計算能力のみを用いて数えることによって二音の打撃数の差異を理解し、その差異を音程として認識することになる。メンゴリは感覚の計算能力の限界に付随する音程の誤差の許容度についても詳細な数学的分析を行っている。人間の魂は音程の大きさの認識に際して数学的明証性を求めるため、空気の打撃数の比が感覚の計算能力によって把握できない場合は、自ら鼓膜を伸縮させることによって打撃数を変化させ、把握可能な音程比に補正する「能動的注意」を行使する。さらに、感覚に対する音程の数学的明証性の要求は、彼の旋律論にもあてはまる。つまり、感覚によって明瞭に把握可能な音程によって構成される旋律こそが彼にとっては望ましく、その条件を満たす無伴奏聖歌の旋律に彼は規範性を見出す。メンゴリの議論はこのように主知主義的であると同時に、感覚的認識の自律性を認めている点において18世紀半ばに提唱された、感覚固有の認識を対象とする学問としての美学の構想にも通じると言える。
本論で検討する理論家たちは、いずれも聴覚の判断を重視しつつ、その判断の根拠を客観的な数学的合理性に求めようとした。しかし、本来非合理的で雑然とした感覚的認識は、数学的明証性によっては十分に汲みつくすことはできない。それが数学的音楽理論の限界でもあった。