オーストリア哲学における命題的対象・モメント・非存在者 現代オントロジーの観点から

倉田 剛

「オーストリア」という国の名前から、われわれは何を連想するであろうか。おそらく真っ先に思い浮かべるのは、モーツァルトやシュトラウスをはじめとする作曲家たちであろう。オーストリアの首都ウィーンは今なお「音楽の都」として世界中の人々を惹きつけてやまない。音楽以外にも、クリムトやシーレに代表される世紀末美術、ムージルやツヴァイクらの文学を連想する人も多いだろう。学問の分野においても、ボルツマンやマッハらの自然科学、ゲーデルの数学などが挙がるに違いない。また、あのフロイトが精神分析学を創始した地はオーストリアであったことをわれわれは鮮明に記憶している。
哲学に関して言えば、シュリックやカルナップらに代表されるウィーン学団のイメージがあまりにも強く、オーストリアと言えば、もっぱら「論理実証主義」が栄えた地ということになってしまう。しかしながら、オーストリアにはもう一つの哲学的伝統があったことを忘れてはならない。その伝統は「論理実証主義」の前史であるとともに、それを大きく超えた射程を有している。
本論文は、B.ボルツァーノ(1781-1848)の影響のもと、F.ブレンターノ(1838-1917)を祖として19世紀後半から20世紀初頭にかけて、広い意味でのオーストリアの地に誕生した哲学理論の総体を「オーストリア哲学」と名づけ、その哲学史的意義ならびに現代哲学における可能性を、オントロジー(存在論)という観点から評価することを目的とする。
われわれの言う「オーストリア哲学」は、現代哲学のほぼすべての分野の起源となったにもかかわらず、それに見合った評価を受けてこなかった。現象学を創始したE.フッサールは(1859-1938)が当時のオーストリア領内で生まれ、ベルリン大学で数学を修めたのちに、ウィーン大学のブレンターノのもとで哲学者に転向したことはよく知られている。しかし今日、フッサールは「カントの後継者」あるいは「ハイデガーの先行者」としてドイツ哲学史のなかに位置づけられるのが常となっている。むろんフッサールには超越論的観念論の系譜に連なる側面があることは否めないが、ボルツァーノとブレンターノの伝統のなかでフッサール哲学を考察することなしに、現象学の構想を十全に把握することはできないだろう。フッサールはまずもって「オーストリア哲学者」として捉えられなければならないのである。分析哲学に関してはどうだろうか。今日、分析哲学の父と呼ばれるフレーゲに半世紀あまりも先行して、すでにボルツァーノが現代論理学における重要な諸概念を得ていたことは論理学者たちの共通認識となりつつある。それにもかかわらず、ほとんどの分析哲学者たちは、ボルツァーノおよび彼を継承したオーストリア哲学に関して何も知らないというのが実情である。また、ブレンターノの弟子であったK.トワルドフスキ(1866-1938)はポーランドにおいて多くの後継者たちを育て、そのなかには、レスニエフスキやウカシェビッチといった論理学者たちやコタルビニスキといった哲学者も含まれる。オーストリア哲学はポーランド学派を介して現代論理哲学の一つの源流となったにもかかわらず、それに見合った研究がなされているとは言い難い。心理学の哲学あるいは心の哲学に関しても同様である。ブレンターノの最古参の弟子C.シュトゥンプフ(1848-1936)が、ヴェルトハイマーらゲシュタルト心理学の創始者たちを指導したことは比較的よく知られているが、今日、心理学の哲学に従事する者たちの関心がオーストリアに向かうことはほとんどない。また彼らは、志向性概念を論じつつ、それが誕生したオーストリアの地を完全に忘却してしまったかのようにも見える。
このように、オーストリア哲学は現代哲学における様々な分野の基礎を築きつつも、正当な評価を受けていない、あるいは評価を受けつつも、実際にはほとんど研究されることのない対象なのである。
われわれは、しかし現象学や論理哲学や心の哲学といった観点からではなく、オントロジーという観点からオーストリア哲学の歴史的意義と可能性を評価することを試みた。なぜならば、オーストリア哲学から現代哲学への最大の貢献は、その存在論的カテゴリーについての先駆的かつ洗練された諸議論に他ならないとわれわれは考えるからである。このことは、現代オントロジーのなかで扱われる主題の多くが19世紀後半から20世紀初頭のオーストリア哲学者たちによって確立されたという事実によって確かめられる。幾つかの事例を挙げるとすれば、(1)ブレンターノ学派の哲学者たちは、ボルツァーノの影響のもと、「事態」という存在論的カテゴリーをはじめて明示的に論じ、(2)現代オントロジストたちが「トロープ」と呼ぶ個別的性質のカテゴリーに関しても先駆的な業績をのこした。また(3)マイノング(1853-1920)およびグラーツ学派の対象論は、「非存在者」を扱う現代の意味論・存在論に多くのインスピレーションを与え続けており、(4)フッサールによる全体‐部分の理論は、現代のフォーマル・オントロジーの源流の一つとして評価されている。さらに(5)ポーランドのトワルドフスキに学んだレスニエフスキはフッサールと同様、メレオロジー(「全体と部分に関する一般理論」)の創始者となり、(6)同じく、トワルドフスキの弟子コタルビニスキに学んだタルスキは後のモデル論的意味論を生み出すことになる。網羅的ではないが、このリストを見ればオーストリア哲学の現代オントロジーへの貢献がいかに大きいかが分かるであろう。
本論文は三部から構成されており、それに補論が加わっている。各部における最初の章は、現代オントロジーの視点から、そこで主題となる存在論的カテゴリーについての問題の所在を明らかにする導入的な役割を担っている
第一部「命題的対象の理論」の第一章で、われわれは現代オントロジーによる命題的対象論を、Truth-maker理論の事態カテゴリーを中心に論じ、現代の論者たちがそのルーツと見なすラッセルの事実概念が、オーストリア哲学(とりわけマイノングのObjektiv論)に起源をもつことを示そうとすると同時に、現代のもう一つの有力な理論と目されるチザムの事態オントロジーがオーストリア哲学者たちの諸議論を現代に甦らせようとする試みであることを明らかにしようとした。第二章では、オーストリア哲学の命題的対象論の雛形となったボルツァーノによる「命題自体」を議論の俎上にのせ、その諸性質を詳しく検討することを試みた。つづく第三章で、その命題自体というカテゴリーが、どのようなかたちでブレンターノ学派の哲学者たちによって受容され、また彼らによっていかに変容させられたのかを、マイノングのObjektiv論ならびにマルティのUrteilsinhalt論を通じて論じた。その際、命題自体というカテゴリーから事態という新たなカテゴリーが生みだされることになるが、フッサールは両カテゴリーを保持する理論を模索したことも明らかにされる。さらに第四章でわれわれは、判断の対象としての命題的対象を断固として認めなかったブレンターノの「非命題的判断論」を吟味することによりオーストリアにおける命題的対象論を補完することを目指した。
第二部「モメントと全体-部分の理論」では、まず第一章で、ブレンターノ学派が論じた「モメント」(非独立的対象)というカテゴリーと重ね合わされることが多く、なおかつ現代オントロジーにおいて頻繁に取り上げられる「トロープ」カテゴリーなるものが何であり、どのような問題を提起するのかを確認した後、第二章においてブレンターノ学派における分離可能性/不可能性の区分、および独立的/非独立的内容の区分を、ブレンターノとシュトゥンプフの記述的心理学を通して検討した。第三章では、それらの区分を、心的領域から対象一般の領域にまた拡張したフッサールの『論理学研究』第三研究におけるモメント論および基づけ理論の射程が明らかにされる。最後の第四章で、われわれはモメント論を核とするフッサールの全体-部分理論を、現代オントロジストらによる形式化の研究を参照しつつ厳密に考察することを試みた。
第三部「非存在者の理論としての対象論」は、マイノングの創始した特異な存在論である「対象論」を主題とする。この対象論は今日におけるあらゆる非存在者の理論の出発点と見なされている。まず第一章において、われわれは現代オントロジーの視点から、非存在者に関する論点を確認した後、第二章においてブレンターノの志向性理論がいかにして非存在者の理論へと転回したのかをトワルドフスキについての分析を通して明らかにしようとした。そこではこの志向性理論の「存在論的転回」に、今日ではあまり顧みられることのないボルツァーノの表象理論が関わっていたことが示される。また、非存在者の理論に対するフッサールからの批判も併せて検討した。この歴史的な経緯を明確にしたうえで、第三章においてはマイノング=マリーの「独立原理」(対象が性質をもつことは対象が存在することから独立している)を特別な述定概念を用いて擁護することを試み、マイノング対象論のもつ可能性を模索した。続く第四章でもわれわれは、マイノングが「不完全対象」を呼ぶ非存在者を、現代の「マイノング主義者」たちによる核性質と核外性質との区別を参考にしつつ考察し、対象論のための弁明を行った。
補論「ボルツァーノからフッサールへ:『学問論』と『論理学研究』第四研究」では、フッサールの『論研』第四研究をボルツァーノ論理学への徹底的な応答として読み解くことを提案した。まず第一章では、ボルツァーノ論理学を支える方法としての「表象変化」の独創性と問題点が明らかにされ、続く第二章において、いかにしてフッサールがその方法の孕む困難を、ブレンターノ学派による自義的/共義的表現の区別に由来する「意味カテゴリー」という考え方によって乗り越えようとしたのかが検討された。フッサールのこの試みは、現代の論理学的構文論に大きな影響を与えたと同時に、それはボルツァーノとブレンターノとの見事な「綜合」であるという意味において、まさにわれわれの言う「オーストリア哲学」を体現したものとなっている。

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