小売革新にみる大衆消費社会の形成過程―戦前期日本の通信販売と月賦販売―

満薗 勇

一般に、経済発展の一つの到達点として、大衆消費社会の成立という社会経済史上の一大変革が存在するという捉え方は広く受け入れられており、日本では1950年代後半から1970年代頃までの間にそうした変化が急激にみられたと考えられている。それに対して、近年では、日本におけるその萌芽を両大戦間期に求める見解が提示されはじめるに至ったが、いまだその画期性を史実に即して析出し得ていない状況にある。このような状況を踏まえて、本研究においては、大衆消費社会の形成過程を、「生存レベルを超えた商品文化とそれに対するアクセシビリティ(=商品の潜在的な購買可能性)が大衆を捉えるに至る過程」という側面から把握した上で、戦前期日本における小売革新、とりわけ通信販売と月賦販売の歴史的展開のうちに、そのダイナミズムを見いだすことを課題に据えて実証的な検討を行った。論文は、第一章から第五章までの通信販売を扱う第Ⅰ部と、第六章から第八章までの月賦販売を扱う第Ⅱ部から構成される。

第一章では、代金引換小包郵便制度をとりあげ、数量データを交えながら、それが通販市場そのものの形成に関わる制度的基盤であったこと明らかにした。具体的には、商品の受け渡しと代金決済とのタイムラグに起因する不確実性を減じ、過大な取引コストを削減することによって、消費者や多様な業者による活発な遠隔地間取引を可能にするものであり、それが三等郵便局体制に支えられた官営事業として有効に機能していた。実際に、代引引受個数は1896年の制度創設から1922年度まで急増し、国際的にみても、統計の得られない英米を除けば、ドイツに次ぐ第2位の位置を占めていたのである。また、その代引利用は、百貨店に代表される都市型通販と、呉服悉皆業者や製茶業者に代表される地方産品型通販との二類型に大別され、零細業者を含む活発な取引参加がみられた。1923年以後は代引引受個数が停滞的に推移するが、その要因には、都市化の進展や小売流通機構の整備などの影響が考えられる。

第二章では、地方産品型専門通販の代表例として、宇治茶通販について検討を加えた。宇治茶産地においては、1890年代半ば以降に国内市場への展開が課題となっていたが、そこでは中間流通段階における不正な茶のブレンドが横行し、宇治茶のブランド価値が損なわれる事態が生じていた。そのなかで、郵便制度を利用して通信販売を導入する産地茶商が登場し、中間流通を排除しながら、宇治茶の販路を全国へ広げていった。1920年代には通信販売が全盛期を迎え、「衛生」「栄養」をアピールして宇治茶の大衆化にも寄与していたが、昭和恐慌により大きく後退した。ここに通信販売の販売チャネルとしての量的な比重は低下したわけだが、それまでの過程を歴史的にみれば、消費者に対する直接販売の展開が、中間流通に対する牽制的な効果を発揮したことによって、宇治茶ブランドの再建・維持に寄与したと考えられる。その意味で、産地主導型流通構造の形成を促すテコになったのが、通信販売の展開であったと評価できる。

第三章では、都市型総合通販の代表例として、百貨店通販について考察した。三越では1900年代後半、その他の百貨店(化を志向した呉服店)でも1910年代には代理選択に基づく独自の事業モデルを確立し、富裕層を対象として1920年代初頭にかけて一定の成功を収めた。代理選択とは、個別アイテムの選択を店側が行うことをさし、カタログ販売とは異質な取引形態であったが、消費市場が複雑多様で情報メディアも未発達であるような当時の市場環境においては、顧客にとっても利便性が高い形態であったと考えられる。百貨店の側でも、返品・交換の保証、流行をテコにしたストア・ブランドの訴求、出張販売との組み合わせによる地域差への対応といった形で、顧客の満足度を高める戦略をとっていた。しかし、1920年代半ば以降、百貨店経営全体が大衆化戦略をとって拡大するなかで、通販部門は大衆消費者を捉えきれずに頭打ちとなった。

第四章では、戦間期に停滞する百貨店通販に代わって、大衆消費者を対象に急成長を遂げた婦人雑誌代理部の通信販売を検討した。『主婦之友』をはじめとする「実用派」婦人雑誌は、衛生・栄養・健康・能率などに基礎を置く「合理的」な生活像と、美容・流行などに関わる「享楽的」な生活文化を誌上で提示するとともに、商品の委託販売を行う代理部を通じて、そうした新しい生活規範を商品文化と有機的に結びつけることで、大衆消費者市場の形成に大きく寄与した。代理部の商品は取扱業者の資本の大小に左右されることなく、かつ基本的に一品目一アイテムという形で選定されていたから、小零細業者にまで雑誌の信用が付与される一方、消費者の情報探索コストが引き下げられることで、両者の活発な取引が促進されることとなった。結果的に代理部商品が地方小売店に流通するようになるなど、通信販売の流通チャネルとしての量的な位置づけには一定の限界があったが、商品文化の速やかな再編のテコになったという意味で、婦人雑誌代理部の通信販売は固有の歴史的役割を担っていたと考えられる。

第五章では、同業者組織によって小売通販の展開が規制された事例として、自転車産業に竜目して分析を加えた。1910年代以降、自転車産業では輸入代替が進展し、その需要構造も大衆化へ向けて変化するなかで、多くの問屋商人が通信販売を行うようになった。そこではほとんどが消費者向けの小売通販でなく、小売店向けの卸売通販という形をとっていたが、それは機械工業史的にみた人的資源の賦存状況を前提に、修繕・組み立て機能を有する小売商のネットワークが速やかに展開したためであった。その後、1920年代初頭に卸売通販がさらなる広がりをみせるなかで、カタログ「濫発」問題としてその弊害が顕在化し、消費者との取引を行う問屋商人が出てくるようになると、自転車商は同業者の組織化を進めて小売通販の規制に乗り出した。同業者組織は修繕拒否という対抗手段を有するため、その規制は有効に機能したとみられ、現実に以後の自転車産業において小売通販が広がっていくことはなかった。

第六章では、月賦販売の戦前期における到達点を、制度的基盤の欠如とその影響に注目して明らかにした。日本における月賦販売は、1880年代半ばにはある程度の広がりをもって展開しはじめていたが、1920年代半ば以降に本格的な発展期を迎え、データの得られる1934年の東京市では、小売総額に占める月賦販売額の割合が1960年代前半の東京都に匹敵する水準に達していた。法律、金融、信用調査といった制度的基盤はいずれも不備が顕著であったから、そうした不備にもかかわらず月賦販売が一定の発展性を示し得たのは、消費市場から高まる要求に小売商が対応しようとした結果であったと理解される。そこには、講会方式、貯蓄月掛方式、指定商人方式、百貨サービスといったように、制度不備を所与の条件とした経営的対応がみられたが、月賦販売の対象商品は新中間層向けの紳士服・革靴、商業者向けの自転車・ラジオ、タクシー事業者向けの自動車といった仕事用品が中心で、戦後の家庭用耐久消費財とは一線を画していた。ただし、そのなかでも、一般家庭用のラジオや蓄音器が一定の比重を占めていたことは、家庭娯楽に関わる商品文化の広がりを示すものといえる。

第七章および第八章では、月賦販売の主要な担い手の一類型であった伊予商人をとりあげ、近年利用可能となった「曽我部家資料」に依拠して、曽我部千代吉という一商人の事例分析を行った。まず、漆器販売を主体とする1890年代末から1910年代半ばまでを扱った第七章では、1900年代後半からはじめた月賦販売によって、客単価が飛躍的に上昇して売り上げの著増を実現していたことが帳簿により確認された。月賦販売による行商活動は各地で展開され、その売り上げの中心は〈ハレ〉の日の膳椀類(数十人前)であったが、当時の消費市場に目を向けると、一般に〈ハレ〉の日の膳椀類を個人所有することは豪農・豪商のステータス・シンボルとなっており、伊予商人による月賦販売はその購入機会を中間層の人々にも切り開くものであったと捉えられる。他方、大阪進出を果たした1910年代半ばから1930年代までを扱った第八章では、大阪進出を機に取扱商品が家具類にシフトしていったこと、さらに1930年代前半には月賦百貨店としての性格を備えるに至っていたことが明らかにされ、あわせて一般家具店や百貨店との比較から月賦百貨店の経営的特徴が明確にされた。これら両章の検討を通じて、伊予商人の経営展開が、地域的拡大による成長から商品多様化による成長へと大きく転換し、漆器という利幅の大きい商材に由来する自己資金の蓄積と、伊予商人相互の地縁的ネットワークがその転換を資金面で支えていたことが浮き彫りになった。そして、その市場対応力も注目すべきものであり、〈ハレ〉の日の膳椀類から、家具、さらに「百貨」へという取扱商品の変化は、戦間期における生活規範と商品文化との新たな関係性を物語る例に数えられる。

以上にみたのは、通信販売(を通じた流通機構の再編)と月賦販売が、いずれも戦間期における新しい商品文化の展開と結びつき、その商品文化に対するアクセシビリティを大衆のもとへ切り開いていく過程であった。なかでも特筆すべきは、その担い手が百貨店や大手メーカーといったこれまでの研究で想定されてきた主体に限らず、中小零細業者を含めたより裾野の広いものであったという点である。こうして戦間期に裾野の広い形で再編を遂げた小売業は、戦後日本における急速な大衆消費社会化を、流通面で支える歴史的な基盤の一つになったと想定される。よく知られているように、日本的流通といわれるものの特徴の一つは、欧米諸国と異なり1980年代初頭まで中小小売商が衰退傾向をみせなかった点にあるが、本研究の検討結果は、こうした特徴を歴史的に説明しうる可能性をも示唆するものとなっている。

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