本稿は、中世の訓点資料などを研究対象として、そこに表れた漢字音、とりわけ声調について論じたものである。
日本漢字音の歴史については先学の研究成果により多くの事実が明らかにされてきたが、声調はその中で付随的な事柄として扱われることが多く、声調を考察の主対象に据えた研究書は、いまだ管見に入らない。しかし、古訓点資料などによると、ある時代までは声調に関しても分節音と同様の伝承が存したことが窺えるのであり、日本漢字音史研究の一分野として声調の研究は欠かせないところである。
仮名音注と同様、声調に関しても両方向からの力が働いていた。すなわち、一つは日本語の音韻体系の干渉であり、もう一つは韻書・反切などの学習による知識音の介入である。本稿では、この両者がどのように日本漢字音の声調に関与していたのかを考察することを主眼としている。
日本漢字音については、漢音/呉音、漢籍/日本漢文の別などにより様々な姿を見せていることが従来指摘されており、その種々相についての記述も行われている。このような事情を踏まえ、本稿は第一部~第三部の3部構成とし、第一部で呉音、第二部で漢音の声調について、それぞれいくつかの場合に分けて述べた。また、第三部で呉音・漢音が相互に干渉した、あるいは呉音・漢音の別を超越した特殊な場合について論じた。なお、第三部第一章で検討する『観智院本世俗諺文』については、仮名音注・声点を列挙した字音点分韻表を付録として掲げ、今後の研究の便宜に供することを企図している。
次に、本稿の構成・内容について述べる。
まず、第一部・呉音声調論では、第一章で呉音声調に関する先行研究を概観する。研究の論点を整理するとともに、本稿での議論の前提を確認するのが目的であり、呉音声調は平声・去声・入声の3声体系であり、上声を欠いていたと考えられていること、上声発生の主な原因として「1音節去声字の上声化」「中低型回避」があったことなどを述べる。
続く第二章では、親鸞による字音直読資料『観無量寿経註』『阿弥陀経註』における呉音声調の実態を考察する。本資料においては、従来指摘されているような「連声濁」や「入声韻尾の促音化」などが発生していることを述べるとともに、それらは音声的条件にのみ依存しているわけではないことを指摘する。すなわち、本資料では文脈を把握しながら読解が行われていたのであり、決して漢字を棒読みしていたわけではないことが大きな特徴として挙げられる。併せて、先述した「1音節去声字の上声化」「中低型回避」という2つの上声発生の要因についても、次元の異なるものであったことも論証する。すなわち、前者は日本語の音韻体系に同化した音変化だったのに対し、後者は語構成や文脈に左右された形態音韻論的変化なのであった。
第二章の検討結果を承けて、第三章では同じ親鸞による片仮名交じり文である『三帖和讃』について検討する。『観無量寿経註』『阿弥陀経註』と比べ日本語化した語形が多く出現することを確認した上で、「漢語」レベルで見た場合の日本語化の傾向について論じる。三帖和讃で注目されるのは、3字の漢語の熟合度に差が見られることである。すなわち、「2字+1字」という組み合わせのものは「1字+2字」のものに比べて熟合度が高いことが指摘でき、このような組み合わせの漢語から3字全体で1語として把握されるようになったものと考えられる。
第四章は、南北朝時代以降の資料である『四座講式』各本の漢語声調の考察である。現存最古の『大慈院本涅槃講式』と、それ以降の写本・刊本とを比較し、同じ位置に付された声点がどのように変化しているかを検討する。ここでは従来存在した呉音声調の枠組みを超越した声調変化が見られ、3字以上の漢語の中低型が完全に解消されている場合があること、またそのような変化は『三帖和讃』で見られた流れの延長線上にあることを論じようとする。
第二部・漢音声調論では、第一章で漢音声調に関する先行学説を概観し、本稿での論点を浮かび上がらせた上で、第二章以下で個別的な検討に入る。
第二章では博士家の学者の訓を伝えた四種類の『論語』古写本について検討し、字音点に本質的な違いはなく、それぞれの書写年代に応じた日本語化を蒙っていること、その背後には注釈書『経典釈文』の存在が想定されることをまず指摘する。続いて各本の同じ箇所に記入された声点を比較し、差声された場所・内容に大差がなく、声調においては日本語化の現象があまり見られないことを論じる。
第三章では、鎌倉時代に書写された3種類の『本朝文粋』古写本の声点について検討し、これらの資料には、従来漢音資料では珍しいとされてきた日本語化を蒙ったと考えられる声点がしばしば出現することを指摘する。その上で、韻書からは説明しがたい声点が多く見られるという特徴があること、しかもそのような声調変化は各本の間で連動しているものではなく、本によって三者三様の声点が記入されていることなどを論じる。
第四章では真言宗における漢音資料『文鏡秘府論』を考察の対象とし、日本漢音声調の相違の中には日本語化によるものだけでなく中国語の側に原因があると考えられるものがあることを論じる。このような漢音声調の相違が存在することは従来指摘されてきたところであるが、その度合いは必ずしも資料によって固定しているわけではない可能性があることを述べる。
第三部は「<漢語声調>の種々相」と題し、呉音・漢音にまたがった、あるいは呉音・漢音の別を超越した問題を論じる。
第一章では、真言宗僧によると考えられる加点資料である『世俗諺文』を検討し、呉音声調が漢音声調に影響を及ぼした一つの特殊な場合を見る。本資料の漢音声調を検討すると、韻書上声字に去声点が加点されている割合が多く、しかも1音節字にその傾向が強いことが分かる。本稿では、この原因として呉音声調が干渉したことによる「直しすぎ」を想定した。すなわち、この時代には「呉音1音節去声字の上声化」が相当程度進んでいた中にあって、この資料においては呉音1音節去声字が多く現れるという特徴がある。これは音変化に逆らった現象であり、1音節去声を保持しようとした意図が垣間見える。これが漢音にも及び、本来上声を加点すべきところにまで去声が出現したものと考えられる。
第二章は、貞享版『補忘記』における漢語声調を考察するものであり、補忘記に現れた漢語アクセントの性質は、第一部で見た日本呉音声調の延長線上に位置づけられるものであることをまず指摘する。その上で、そのような日本呉音声調と日常漢語アクセントとの間に逕庭があることを論じ、補忘記の漢語声調とは論議の場における特殊な抑揚であったという蓋然性に言及する。
補忘記に典型的に現れているように、訓点資料などに記入された声点とは、「日常漢語アクセント」とは別次元のものであると考えられる。日常言語からは離れたところで、韻書や反切の学習と日本語の音韻体系の干渉という両方向の力がせめぎ合っていたところに日本呉音・漢音声調の特徴があると言える。
外国語を日本語に導入するに当たっては、分節音については原音の特徴を保持するよう努力が払われ、時には日本語に本来存在しない音節が創造されることすらあるのに比べ、超分節音素である声調・アクセントは捨象されがちである。声調はその分抽象論に結びつきやすかったのであり、このような錯綜した状況が見られることも首肯できるのである。