戦国秦漢時代の法と訴訟の研究─新しい中国古代法制史構築の試み─

廣瀬 薫雄

二十世紀に入るまで、先秦秦漢時代における法制度の研究は皆無に等しかった。研究対象として最も時代が溯るのは漢代の律令であり、秦代やそれ以前の春秋戦国時代の法制度についてはまったく資料が残されておらず、その実態をうかがい知るすべはなかったのである。
ところが、二十世紀前半より今日に至るまで、簡牘・帛書などの文字資料が陸続と出土し、その中にこれまで知られていなかった漢律令が少なからず含まれていた。例えば敦煌漢簡・居延漢簡などの辺境出土漢簡、張家山漢簡などがそれである。さらに重要なことに、睡虎地秦簡・龍崗秦簡などの出土により、これまでまったく実態の知られていなかった秦律が大量に発見された。しかも睡虎地秦簡『為吏之道』には魏の安釐王二十五年に制定されたとされる魏の戸律と奔命律が見えている。さらに二十世紀後半に入って戦国時代の楚国の資料、いわゆる楚系文字資料が大量に出土し、その一つの包山楚簡には統治や訴訟について記した文書が含まれている。今や秦漢時代を超えて戦国時代の法制度研究まで可能な時代が到来しつつあると言えよう。
本論文は、これらの新たに発見された出土法制史料を用い、それと『史記』、『漢書』、『後漢書』など通行文献の記載を対照させることによって、新たな中国古代法制史を描こうとするものである。

本論文は三部からなる。
第一部「序論」は、本論である第二部・第三部の解説である。
第一章「律令制の時代区分について」は、第二部を読むための導論である。本論文が主たる研究対象とする秦漢時代の律令制度が律令制度史の中でいかなる位置を占めているのか、そして本論文がこれまでの律令制度研究にいかなる点で修正を迫ることになるのかについて簡明に提示する。
第二章「出土文字資料を読むために」は、第三部を読むための導論である。中国古代法制史研究において出土法制史料がとりわけ重要な位置を占めているわけだが、出土法制史料を解読するためには出土文字資料研究に必要とされる特殊な手法を知っておかなければならない。本章ではその手法の一端を紹介する。
第三章「楚簡研究概述」は、楚簡研究紹介である。日本では、楚簡研究は主に思想研究者の手によってなされており、歴史研究者の間ではあまり注目されていない。しかしその一方で、思想研究者が注目する楚簡というのは楚簡の中でもごく一部に集中しており、すべての楚簡の出土情況と研究情況に注意を払っている研究者は非常に少ない。そのため、日本語で記された楚簡研究の概説がまったくなく、その点で楚簡研究は秦簡・漢簡研究と比べて大きく遅れている。本章ではその欠を補うべく、特に楚簡について概説する。

第二部は「秦漢律令制度の研究」である。戦国時代、魏国の李悝が『法経』六篇を著し、商鞅がそれを持って秦国に入り、六律を制定した。そして漢代の蕭何がそれをもとに九章律を作成し、漢代を通じて国家の基本法として機能しつづけた。これが唐代の頃から今日に至るまで語り継がれてきた律令制度成立の物語である。第二部では、李悝『法経』六篇、商鞅の六律、蕭何の九章律という伝統的な律令制度成立の物語がもはや維持できないことを明らかにしたうえで、これに代わる新たな律令制度成立史を描き出すことを試みる。
第一章「『晋書』刑法志に見える法典編纂説話について」では、李悝『法経』、商鞅『法経』、蕭何九章律という法典編纂説話が虚構であって、秦漢時代には法典が存在しなかったことを論証する。
第二章「秦代の令について」では、これまで存在が疑問視されてきた秦令が存在することを証明したうえで、その制定・伝達・保管・整理のプロセスを考察する。そしてそれによって秦令と漢令は形式・制定手続きがまったく同じであること、秦漢令は法典ではなかったことを論ずる。
第三章「秦漢時代の律の基本的特徴について」では、秦漢時代の律が皇帝の制詔によって制定されたこと、従って秦漢時代の律の制定手続きは漢代の制詔(令)の制定手続きとまったく同じであること、秦漢時代の律と令は本質的に同じものであることを論ずる。
第四章「九章律佚文考」では、章帝の下した詔書の中に九章律囚律の佚文が引用されていることに注目し、後漢時代には九章律は『律』という経書として経学的な解釈が施されていたことを明らかにする。そしてそれをもとに、『律』は前漢武帝期以後、後漢明帝・章帝期以前に成立した書物であること、古文学の諸経兼修という学風の成立が主たる要因となって経書化が進んだことを論ずる。
第五章「漢代の故事」では、漢代において故事(先例)が各官署ごとに蓄積・整理されていたこと、故事が律令と似た強制力を持つことがあったこと、そのため故事の蓄積が各官署の独立性を強める結果となり、それが律令による中央集権統治を阻害する弊害となったことを論じる。

第三部は「出土法制史料の解読」である。第一章は包山楚簡(戦国時代)、第二章は張家山漢簡(前漢)、第三章は額済納漢簡(新)、第四章は王杖木簡(後漢)、第五章は東牌楼簡牘(後漢末)と、戦国時代から後漢末に至るまでの各種簡牘の解読の成果を紹介する。
第一章「包山楚簡一三一~一三九号簡考証」は、包山楚簡の中で最も長文で複雑な構成を持つ一三一~一三九号簡の解読を行い、その上で事件経過を復原し、この文書の性格の解明を試みる。
第二章「張家山漢簡『二年律令』史律研究」は、『二年律令』史律に見える践更の記述を解釈し、それによって漢代の践更制度の実態を明らかにする。秦漢時代には少なからぬ官吏が一ヶ月を単位として輪番でそれぞれの職場に出勤していたこと、践更で就業する官吏は半官半民の存在であり、彼等は「賤更の小吏」と呼ばれ蔑視されていたことなどを論ずる。
第三章「額済納漢簡新莽詔書冊詮釈」は、額済納漢簡のうち、王莽が匈奴を十五に分割し、大軍を動員して匈奴攻撃を行ったときに下された詔書について論ずる。詔書冊を復原して通読を可能にするとともに、王莽による匈奴十五分割が完全な茶番劇であったことを明らかにする。
第四章「王杖木簡新考」は、王杖木簡が蘭台挈令を本文とし、注としてそれに関連する法令と案例を組み込んで作られていることを明らかにし、これまで諸説紛々としていた王杖木簡の排列と構造を解明する。
第五章「東牌楼東漢簡牘五六号牘試探」は、整理者が私信・習字と考えていた木牘が実は魔除けのおふだであることを明らかにし、後漢末の道教成立時の情況について論じる。

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