フランス中世抒情詩の位相と構造

辻部(藤川) 亮子

12世紀後半から13世紀末にかけての北フランスにおいて制作された2200編余の抒情詩は、形式や登場人物、モチーフ、語彙など、さまざまな次元において多様性とゆるやかな類型性とを提示する反面、全体的に均質な印象を与え、作者の個性的な感性や思想といったものは全く見いだせない。これらの抒情詩群に対し、19世紀以降の研究者たちは作品の個別性と作者の独創性の痕跡を探り出すことに専心してきた。20世紀の半ば、R.ギエットが、中世の抒情詩は個性を尊重する現代の抒情詩とは異なり、詩人が読者と共有する何らかの理念を規範に即した技法で形を与えてゆく、その形式の完成度を追求する詩学であるとした「形式詩論」を唱導し、フランス中世抒情詩の新しい理解の仕方を示したが、後続の研究は作品の表層をなす技巧の分析にとどまり、そこからなおも個別性や独創性を求めようとする傾向にある。本論考は、「形式詩論」が踏み込むことのできなかったその詩的理念の内実を、作品の広汎かつ綿密な解読と先行研究の批判的検討を通じて明らかにし、今後のフランス中世抒情詩研究の土台たることを目指すものである。
第一章では、従来のジャンル分類論における諸観点とその問題点を明らかにする。こんにちフランス中世抒情詩は、12世紀南仏の宮廷詩人たちによる「宮廷風恋愛詩」を模倣した作品群と、北フランスの民衆の間で古来流布していたとされる「民衆的抒情詩」に大きく二分された上で、さらにいくつもの細かいジャンルに分類され、各々個別に研究されるのを常とする。騎士が高貴の婦人に対する報われない恋慕の情を歌う「宮廷風恋愛詩」、騎士が野で見初めた羊飼い娘を誘惑する「パストレル」、恋を禁じられ、幽閉された若い女の嘆きを、針仕事の情景のうちに描き出す「お針歌」、強いられた結婚生活からの脱却を渇望するブルジョワ風の女を表した「不幸な人妻の歌」、等。このようなジャンル分類が定着する経緯には次の三段階を認めることができる。①19世紀半ばのドイツ文献学者たちを中心に提唱された、ヒロインの社会的身分を基準にした分類。これは、ヒロインの身分のヴァリエーションに対応するようにして何種類かの作品グループが形成されているという、コーパスの最も顕著な特徴に基づいた分類である。だが、この方法は、K.バルチュに顕著に見られるような、機械的な分類を作品に施すことになった。②19世紀末のA.ジャンロワを中心として唱導された、①の分類法に語りの形態や舞台装置をなすモチーフを加味するという分類基準を複合化した分類法。これは、ある特定の身分において表されるヒロインが、特定の語りの形式や舞台装置を伴って描かれる傾向にあることに着目した方法であり、個々のテクストの現実をより正確に反映した分類を可能ならしめた。だが、ヒロインの身分とその他の要素との組み合わせの条件を満たさない数多くの作品を例外としてこのジャンル体系からはじきだしてしまった。③20世紀後半、P.ズムトールは、それぞれの詩篇を導く「調子」という観点から、フランス中世抒情詩を「恋愛の成就を求める」詩と「生活の愉楽を求める」詩という2つのカテゴリーに整理したが、後者の範囲は多岐にわたり、現在はなおその中にヒロインの身分や舞台背景の違いによる煩瑣な再分類が行われている。
一方、実際の詩篇を幅広く再検討することで確認されるのは次のような事象である。話題の人物の社会的身分や舞台背景をなすモチーフ、語りの形態といった作品の構成要素は、研究者たちの古来の認識に反し、それ自体が自律したジャンルを構築する求心力を有していない。むしろ、それらの要素は作品に先んじて存在する詩的マテリアルのストックとも呼ぶべきものであり、作者はそのストックの中から任意のものを組み合わせて個々の作品を構築している。そこにはあらゆる組み合わせが見られるが、とりわけ現れやすいものが存在し、これが研究者たちに自律したジャンルのように思わせてきた類型性の正体である。さらに、12~13世紀のいくつかの詩論を参照すると、中世抒情詩は、①作品の主題をなす理念はこれが表されるに相応しい特定の身分の人物に託して描かれなければならない、②表される特定の身分の人物は相応しい文体や装飾を伴って描かれなければならないという、古典古代の修辞学から継承した「相応」の理念を極度に押し進めていることがわかる。ここにおいて、フランス中世抒情詩の次のような内部構造が明らかとなる。個々の作品は、最も上位にある何らかの詩的主題、中間にあるヒロインの社会的身分、そして最下層を形成する語りの形式や舞台背景をなすモチーフ、という三層の審級を経て製作されている。それぞれの審級層は、上から下に向かって、「相応」の理念により緩やかに結びついている。
第二~四章では、高貴の婦人か下賎の羊飼い女か、婚姻を明示された女か否かといったヒロインの社会的身分の相違に着目しつつ、フランス中世抒情詩が扱う詩的主題のヴァリエーションを実際の詩篇の解釈の積み重ねによって抽出する。まず第二章では、ヒロインの社会的身分の相違を超えて言及される肉体の美に着目しながら詩篇を分析し、女性を賛美することを目的とした顕彰のトポスという従来の解釈を批判する。この解釈は、①顕彰のレトリックにおいて、名前は最も重要な要素であるにもかかわらず、作品はヒロインの名をことさらに隠匿する、②「相応」の理念によればヒロインの身分に応じた差異化がなされるべき、肉体の美の描写の仕方(用いられる語彙や技法)に差異化がなされていない、③語り手と特別な利害関係のないヒロインまでもがその美貌を提示される、④肉体の美以外の何らかの点についてヒロインは非難されている、の4点において不適当であることが明らかになる。
第三章は、ヒロインに関する非難の所在と、肉体の美に関する記述との関連性を明らかにする。多くのジャンルにわたる作品を対象とし、ヒロインに用いられる形容語や彼女のものとして表される言動を綿密に分析すると、コーパスとなる作品群が一様に、「慈悲」「礼節」「貞潔」という三種の倫理のいずれかへの違反を扱っていることがわかる。その上これら三種の欠陥は、肉体の美とは逆に、ヒロインの社会的身分にほぼ対応するように特定のものが表れている。すなわち、高貴の婦人については<慈悲の欠如>、下賎の娘については<礼節の欠如>、婚姻が明示される女の場合には<貞潔の欠如>。コーパス全体は、ヒロインがこうした欠陥を美しい肉体に覆い隠しているように描かれることにおいて一貫している。
第四章は、この三種の倫理への違反こそが、ヒロインの身分やその他のモチーフを選択肢として従える詩的主題のヴァリエーションであることを裏付ける。従来の研究では、特定の身分の女を表象すること自体がジャンルのヴァリエーションであり、ヒロインについて言及される欠陥は彼女の身分に内在する単なる属性であると認識されてきた。そうした認識法がコーパスの実情に基づくなら、ひとつの倫理の欠損は特定のひとつの身分の女でしか表されないはずだが、作品の調査が明らかにするのは、コーパスがヒロインの身分と欠陥との組み合わせが交叉した作品を、すべての組み合わせにおいて提供しているという事実である。加えて、ひとりのヒロインについて複数の美徳の欠如を話題にする作品、ヒロインの身分を明示しないが、彼女についてかの三種の倫理のいずれかを欠いた女として描き出す作品、さらに、三種の倫理のうちのいずれかを<欠如>ではなく<具足>として表し、<欠如>として示してある別の倫理とともにさまざまな詩的効果を挙げる作品も見られる。こうした実例の存在は、個々のヒロインを造形する基本原理を構成するのは彼女の社会的身分ではなく、三種の倫理の方であることを示している。
第五章では、上で導いた三種の詩的主題の意味と互いの連関性を特定する。従来フランス中世抒情詩は、各々異文化に根ざした恋愛観を展開するとして、常に二種類の作品群(南仏宮廷詩由来の「宮廷風恋愛詩」と北フランス土着の「民衆的抒情詩」)に区別されてきた。だが、この二つの作品グループを照合し、恋愛を表す語彙や登場人物の表象、言葉遣いなどを検討すると、男女の恋愛関係を封建的主従関係のアナロジーでとらえる倫理観、すなわち「至純の愛」という同一の恋愛観によって貫かれているという事実が明らかになる。「至純の愛」は、「奉仕」と「報酬」の二大要件によって成立する恋愛観であり、「宮廷風恋愛詩」と呼ばれる作品グループはその「奉仕」の過程を、一方、民衆の詩と思われていた作品グループは「報酬」の局面を、それぞれ焦点化しているのである。加えて、単なる装飾としてほとんど着目されることのなかった脇役たちを綿密に分析すると、彼らが結婚の倫理観や合理的精神といった「至純の愛」と衝突する別の価値観の代弁者として表れていること、また彼らに起因する「至純の愛」の頓挫がつねに女性の責任問題に転嫁されていることが明らかになる。すなわち、「至純の愛」の敵ゆえにヒロインが「報酬」を与えなければ、それは「奉仕」を行う男性に対して「慈悲」あるいは「礼節」を欠く行為である。だが「報酬」を与えるならば、「貞潔」を欠くとして脇役たちに迫害される。ここにおいてフランス中世抒情詩は、「至純の愛」という倫理観が外部の価値観と衝突するジレンマを表す詩学と定義される。
終章では、読者(聴衆)も参入して製作された難解かつ特異な作品グループ「問答歌」もこの定義に即して読み解けることを多数の実例とともに示しつつ、「至純の愛」のジレンマこそ、中世北フランスにおいて広く共有された詩的理念の内実であると結論する。

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