本論文「源氏物語と平安朝漢文学の研究」は、『源氏物語』における『白氏文集』をはじめとする漢籍受容の様相を分析することを中心的な研究課題とし、同時に作者紫式部と同時代の文人貴族達にみる漢籍受容のあり方を調査し、それら平安朝漢文学の動向との関わりにおいて『源氏物語』を論ずるものである。『源氏物語』には、非常に数多くの漢詩文が引用されているばかりでなく、その引用のあり方にも極めて独自の特徴が認められる。しかしながらこうした漢詩文受容のありかたは、同時代の漢文学全体の中において考究されるのでなければ、その独自性を真に明らかにすることはできない。なぜならば『源氏物語』の生まれた長保寛弘期とは、仮名文学の興隆する一方で、漢文学的な文化的潮流が頂点に達した時期であり、同時代の文人詩人達の文学活動が『源氏物語』創作形成の背景基盤をなしていたと考えられるためである。
『源氏物語』における漢文学の影響に関する従来の研究は、中世の古注釈書以来、殆どが個別的な漢籍の出典を指摘することに終始していて、総合的・複合的な視野からの研究は少なく、とくに平安朝の仮名文学作品における中国文学の影響を考究する場合、当該作品と中国文学の出典とを直接に結ぶだけでなく、その間に平安朝漢文学を介在させて考察する必要があるが、そうした視点からの研究は『源氏物語』において未だ殆ど行われていない。本論文は、『源氏物語』の出典研究を同時代の漢籍受容の動向を含めた総合的な視点から行うことによって、『源氏物語』を前後する仮名作品の文学史との関わりにおいてのみでなく、平安朝漢文学史との関わりを含めて位置づけることを目指すものである。論文の構成は、三篇十章からなる。
第一篇「『源氏物語』における漢詩文受容の様相」は、中国文学及び平安朝漢文学が『源氏物語』にいかに深く影響し、『源氏物語』作者の〈表現〉や〈思考〉の方法の獲得過程と密接に関わっているかを追究した論で成る。
第一章「『源氏物語』と中国文学史との交錯」は、『源氏物語』作者の持つ合理精神と、非合理なるものを物語に取り込む虚構の方法に対する自覚とを、中国文学との関わりにおいて論じる。紫式部については、『紫式部集』に超自然現象(=物の怪)に対する合理的な思考態度が認められる一方で、『源氏物語』では、超自然現象を積極的に取り込んでゆく創作態度がみられる。こうした作家の自覚的態度は、日本古典文学史上にあっては特異だが、これには作者の漢籍の素養が大きく関与していると推察される。そこで本章では、『源氏物語』に最も多く引用される『白氏文集』の諷諭詩群と、同じく『文集』の「長恨歌」「記異」といった作品、及び唐代伝奇小説とを軸としてその影響を分析した。唐代伝奇の担い手は儒教を奉ずる白居易ら中唐の士大夫達だったが、彼等の創作した作品の中に、古代儒教における合理と非合理の問題と、六朝志怪を経て唐代伝奇小説に結実した虚構の方法に対する自覚の高まりを確認し、それらを受容した『源氏物語』の世界生成における、虚構と真実のダイナミズムの解明へと展開した。
第二章「『源氏物語』と史書の接点」。『源氏物語』の史書受容について先行研究では、史書に記載の儀式行事や伝承が引用されることが指摘されてきたが、これに対しては紫式部が史書そのものでなく、史書の内容を簡略にまとめる「皇代記」「年代記」といった書物を利用したのではないかとの疑問が『日本書紀』研究者から問われていた。しかし本章では、『源氏物語』では史書の内容にとどまらず、史書にみられる、歴史を記述する立場に立つ者の政治批判・歴史認識の方法である、「童謡曰」の方法が取り入れられていることを指摘論証し、史書受容の様相を新たな角度から照らし出した。
第三章「『紫式部日記』の思考の姿」では、『紫式部日記』水鳥の一段の表現に関して、白居易閑適詩に極めて類似した詩句のあることを指摘し、紫式部の思考に白居易閑適詩の深い影響が認められることを他の閑適詩及び『紫式部集』を含めて検証した。そして、そのような閑適詩摂取のありかたがが一条朝文人達の閑適詩受容の趨勢と密接に連動しつつも、文人達が閑適詩世界への深い傾斜を示すのに対して、『紫式部日記』ではむしろ、あえて閑適とは対極のところへ自らを位置づける方途として閑適詩を引くという独自性を持つことを明らかにした。
第四章「六条御息所の「心」」は、生霊となる六条御息所の「心」の記述について、漢文世界の、特に老荘道家の思想における「心」をめぐる思惟を手がかりに考察する。さらに、礼教が后妃に求めた「心」の姿を『毛詩』に確認し、かつそうした礼教の求めが平安朝の、后妃となるべき女性達に受けとめられていたことを確認した。嫉妬を抑制する御息所の姿は、とりわけ后妃の嫉妬を禁じた礼教の教えに適うもののはずだが、そうした姿──女性に対する儒家的な価値基準──を相対化する視点を六条御息所の物語の中にみた。
第五章「『白氏文集』と『源氏物語』」は、若菜巻以降にとりわけ鮮明になってゆく、女性の人生の困難さを見据える物語の視座について、漢文学における女性の人生の困難を詠う伝統、特に『文集』のそれとの関わりにおいて考察を試みたものである。白居易諷諭詩中の新楽府詩群や「婦人苦」等によって詠われた〈女の生き難さ〉の表現の形と関わらせ、さらには『文集』がその内部に抱え持つ矛盾であるところの、恋愛詩群に対する『源氏物語』の共感ということに論及し、『文集』における女性観・恋愛観が『源氏物語』にいかに影響しているのかを探った。
第二篇「『源氏物語』女主人公紫上の造型」は、紫上造型について分析する論で成る。本論文の中心課題は、漢詩文を作品創造の糧とした『源氏物語』の、漢籍受容の様相を明らかにすることだが、その過程において、『源氏物語』が漢詩文的表現世界にただ傾倒するのでなく、およそ中国文学史には類例のない表現世界を構築し得た所以は何なのかという新たな課題が浮上する。その際に、漢詩文に支えられつつ中国文学の典型的な女性像から離れてゆく、女主人公紫上の形象に注目することが大きな鍵となるという予測から、第二篇では紫上造型を扱ったのである。
第一章「若紫について」は、紫上の初期の造型を分析する。従来初期の紫上には、物語展開上の要請からイメージの改変があり観念的な人物像となっているという通説がある。この通説を検討するべく、若紫巻の登場以降賢木巻から明石巻にわたる表現を本文に即し詳細に検討することにより、物語が呼称の使い分けや乳母の描出、和歌の詠法等の近現代小説と異なる固有の方法によって、紫上の成長の様相を生彩に描き出していることを明らかにし、従来の解釈を修正した。
第二章「朝顔巻の紫上」は、『源氏物語』及び一条朝の漢籍受容の問題と、紫上造型の問題とを連関的に扱う論である。朝顔巻巻末の紫上の和歌は、先行和歌に例のない詠みぶりのために古来解釈が定まらなかったが、本章では紫上の和歌表現が「長恨歌」と並ぶ著名な白詩「琵琶行」を典拠とすることを突きとめ、「琵琶行」を踏まえることで一首がよりよく理解されることを明らかにした。この典拠が何故見過ごされてきたかといえば、『文集』は現在通行の諸本と古抄本との間に多々異同があり、古注釈書も古抄本と異同する本文に拠っていたためである。本章では平安当時の本文形態に近い古抄本・金沢文庫本に拠り、金沢本の「琵琶行」本文に、紫上歌に用いられた語句と景があることを突きとめ、さらに『枕草子』等他の平安朝作品から、白居易詩を愛好した一条朝貴族に「琵琶行」は正確にその主題が理解され、よく諳んぜられていたことを検証した。それとともに、紫上の内面の形象に漢詩文が関わることで、和歌の伝統とは異なる独自な思惟の形式が与えられ、人物造型に彫り深い内面性が付与されるとともに、そのことが同時に漢詩文に描かれる典型的「閨怨」の女性像からも離れた、独自な理想的女性像の創造に与っていることを論じた。
第三篇「平安朝漢文学と『源氏物語』」は、『源氏物語』成立の背景にある一条朝漢文学の動向の側に重点をおきつつ、漢籍受容の様相の同時代性や差異性を検証した論で成る。
第一章「一条朝前後の漢詩文における『白氏文集』諷諭詩の受容について」。『源氏物語』には白居易諷諭詩から多くの引用があるが、これは従来、諷諭詩享受の形跡が漢詩文にさえ少ない平安朝文学の中で、極めて独自な現象とされてきた。この通説を検証するべく、一条朝前後の漢詩文作品のうち、紫式部の父藤原為時が属した文学圏の重要な人物、具平親王と慶滋保胤の作品の分析・出典調査を進めた。その結果、『本朝麗藻』所収の具平親王詩に諷諭詩の典拠のあることを指摘し、又慶滋保胤の草した詔の文面が、内容的に諷諭詩と密接な関わりを持つ白居易の散文「策林」を典拠とする表現を持ち、発想の脈絡においても大きな影響が認められること論証した。そして『源氏物語』作者に特異とされた深い諷諭詩受容が、決してこの時代に孤立した現象だったのではなく、同時代の中で紫式部に最も近しかった男性文人達のあり方と密接に連動した傾向であることを明らかにした。
第二章「一条朝文人の官職・位階と文学」では、大江匡衡・藤原行成・藤原為時という、紫式部と同時代の文人達の詩文を個別に検討することで、一条朝の漢詩文の様相の総体と個別の傾向を探り、行成や為時の作品に、白居易閑適詩への深い共感が認められることを確認するとともに、匡衡の白詩受容の特異性を浮き上がらせた。
第三章「『源氏物語』と菅原道真「九月十日」詩」では、道真の詩と文学観を、『文集』の文学観との関わりにおいて考察し、そのうえで『源氏物語』の道真詩引用の態度を検討した。