本論文は、潜在的認知指標を用いて測定される自尊心(以下、潜在的自尊心)の性質について、これまで主流であった自己報告法を用いて測定される自尊心(以下、顕在的自尊心)との関連を中心に検討することを目的とした。人間が自尊心を維持・高揚することへの動機づけを持つことや、高い自尊心を持つことの肯定的な効果は多くの社会心理学理論において前提とされてきた。しかし一方で、比較文化的には自尊心高揚動機の一般性に疑義を呈する知見があり、また高自尊心が必ずしもよい結果をもたらさないなど、自尊心の機能が上記の前提とは一貫しない場合があることも先行研究で明らかになってきている。その原因の一つとして挙げられるのが、多くの研究で用いられてきた顕在的自尊心の指標は実験参加者が反応をコントロールできるものであるため、自己呈示や自己欺瞞が混交している可能性である。こうした理由から、意図的に反応をコントロールできない潜在的自尊心についての研究が行われるようになってきた。
本研究で用いた潜在的自尊心の測定法は、潜在的連合テスト(ImplicitAssociationTest:IAT,Greenwald,McGhee,&Schwartz,1998)である。IATによる自尊心の測定は、肯定的または否定的な意味を持つ属性(例えば、快・不快)と、自己の連合の強さを、カテゴリ判断課題における回答速度(反応時間)によって測定する手法である。IATの得点は、実験参加者が意図的にコントロールできないことが確認されている。
IATによる潜在的自尊心測定の初期の段階では、潜在的自尊心は顕在的自尊心から自己呈示の影響を除いた、真の自尊心を測定する指標としての役割を期待されていた。しかし、その後の研究で潜在的自尊心と顕在的自尊心の相関が低く安定しないなど、両者の違いが自己呈示の有無のみではなく、自尊心の異なる側面を測定しているために生じている可能性も考えられるようになった。現在では、潜在的自尊心では何を測定しているのか、という点が重要な問題となってきている。
本研究では、特に潜在的自尊心と顕在的自尊心の相違点と両者の関連性に注目して、潜在的自尊心の性質について以下のような仮説を立てた。それは、顕在的自尊心の水準に拠らず、基本的に潜在的自尊心の水準は高いというものである。顕在的自尊心の水準に自己呈示が反映されているとすれば、それは個人が望ましいとみなす水準に顕在的自尊心の得点を近づける効果があると考えられる。どの程度の顕在的自尊心の水準が望ましいとされるかの基準は周囲の他者と共有されている価値観に依存するため、文化などの社会的要因によって異なると考えられるが、その基準に近づくことは肯定的な意味を持つと考えられる。そのため、自己呈示の効果の表れ方によって顕在的自尊心の水準が異なっても、自己と肯定的な属性の連合は安定して強いと考えられるため、潜在的自尊心の水準も高いと考えられる。
上記の仮説に基づき、本研究では以下の4つのことがらを実証的に検討した。第一に、顕在的自尊心の水準は北米よりも低いことが確認されている日本人を対象とした場合でも、潜在的自尊心は北米と同様に安定して高水準であるか、という疑問である。IATの得点は、刺激語やカテゴリ名によって影響を受ける可能性があるため、研究1から研究4を通じて、実験デザインを変化させて日本人の潜在的自尊心の水準について検討した。その結果、刺激語やカテゴリ名の組み合わせによらず、安定して日本人の潜在的自尊心が高水準であることを示し、仮説と一貫した結果となった。特に、アメリカ人サンプルを用いた先行研究と同様のデザインで追試を行った研究2で、先行研究でのアメリカ人サンプルとほぼ同程度の潜在的自尊心の水準であったことが確認された。また、先行研究と同様に、顕在的自尊心と潜在的自尊心の間には安定した相関は見られなかった。
第二に、顕在的自尊心が顕在的・潜在的な自己呈示的価値観と関連しているか、という疑問である。この疑問には、2つの意味がある。1つは、顕在的自尊心の水準に自己呈示が関連していることの直接的な証拠が不足していることである。そこで、本研究で実証的な検討を行った。もう1つは、顕在的自尊心が潜在的自尊心とは関連しなくても、潜在的な自己呈示的価値観とは関連する可能性である。研究4までの結果により、顕在的自尊心の水準に関わらず潜在的自尊心が高いことは示されたが、単にIATで測定された潜在的態度は自尊心に限らず顕在的自尊心と関連しない、という解釈を否定できない。顕在的自尊心が潜在的な自己呈示についての自己概念と関連すれば、その解釈は排除できることになる。研究5で、自己呈示的価値観として謙遜、自己主張を用いてこの点の検討を行った。その結果、顕在的自尊心は、1)顕在的自己主張・謙遜傾向と0.8を超える強い相関があり、2)潜在的自己主張・謙遜傾向と中程度の相関が見られた。また、潜在的自己主張・謙遜傾向と顕在的自己主張・謙遜傾向との間にも中程度の相関が見られた。以上の結果より、顕在的自尊心が、顕在的指標・潜在的指標ともに自己呈示的価値観と関連していることが個人差レベルで示された。
第三の疑問は、顕在的自尊心と潜在的自尊心の相関は、社会的文脈によって変化するかという問題である。顕在的自尊心と自己呈示が強く関連することと、日本人に謙遜を望ましいとする価値観が一般に見られることを示した先行研究から、本研究の視点からは、日本人にとっては顕在的自尊心が低い状態を望ましいとみなし、そのときに潜在的自尊心が高くなると考えられる。しかし、前述のように両者の相関は低く、安定していない。ここで注目するのは、相関が単に低いだけでなく安定しないという点である。このことは、顕在的自尊心と潜在的自尊心の対応関係が、測定時に認知的に活性化している知識によって変化する可能性があることを示している。その点を検討するため、研究6、研究7では謙遜・自己主張という自己呈示的価値観に関連する社会的文脈を操作し、その後に顕在的自尊心、潜在的自尊心の測定を行った。研究6では謙遜、自己主張がそれぞれ重要となるような社会的相互作用場面を実験参加者に想起させるという操作を行った。その結果、謙遜が重要な文脈では顕在的自尊心と潜在的自尊心が負相関し、自己主張が重要な文脈では両者は正相関し、ともに活性化したと想定される知識と一貫した対応関係が見られた。研究7では、価値観の文脈についての操作をより抽象化し、存在脅威管理理論(TerrorManagementTheory,Greenberg,Solomon,&Pyszczynski,1997)に基づく死の顕現性の操作を行った。存在脅威管理理論では、死の脅威が顕現化すると所属する文化的世界観に合致した行為や判断が行われやすくなると予測している。前述のように謙遜が望ましいとする価値観を共有している日本人を対象とした場合、死の顕現性が高い条件では顕在的自尊心と潜在的自尊心の間に負相関が見られると予測し、結果もこれを支持するものであった。研究6・7の結果は、潜在的自尊心と顕在的自尊心の相関関係が、測定時に活性化された知識の影響を受けることを示唆している。
第四の疑問は、潜在的自尊心が自己以外の対象に対する潜在的態度と個人内で一貫するか、という問題である。研究8で、潜在的自尊心と潜在的個人主義―集団主義傾向が個人内で一貫するかを検討した。その結果、個人主義と集団主義のいずれの価値観についても、1)その価値観と快概念の連合が強い、2)その価値観と自己の連合が強い、という2点をともに満たす場合にそうでない場合よりも潜在的自尊心が高くなることが示された。これは、支持する価値観によらず、その価値観と自己を結びつけて認知している場合に潜在的自尊心が高くなるという形で、潜在的態度間の一貫性があることを支持する結果である。
以上の結果から、次のように結論できる。第一に、顕在的自尊心の低い日本人を対象とした場合でも、潜在的自尊心は安定して高い水準である。これは、潜在的自尊心が顕在的自尊心とは異なる側面を測定していることを確証する証拠の一つであると言える。第二に、顕在的自尊心と自己呈示的価値観が強く関連している。特に、顕在的自尊心と顕在的自己主張傾向の相関は非常に高く、統計的には同一の概念を測定しているとみなされる水準であった。この結果は、これまでの顕在的自尊心を扱った研究の解釈にも再考の余地があることを示す。第三に、顕在的自尊心と潜在的自尊心の相関に対する文脈操作の効果が確認された。両者の相関が見られないことの理由について、先行研究でははっきりとした要因が示されていなかった。測定時に活性化される知識を統制することによって両者の相関が明確な形で表れ、しかもその相関の方向が活性化された知識に対応することを示した点は、潜在的自尊心に留まらず、潜在的態度全般についての理解を深めることになろう。
潜在的自尊心の研究はまだ発展途上の段階であるが、潜在的自尊心が周囲の他者と共有された基準と自己認知が対応していることで高まる、という本研究で得られた知見は、自尊心が個人内で閉じたものではなく、社会的・文化的な側面を持つものであることを示しており、この点を考慮することで自尊心についての理解が進展することが期待される。