コンバウン朝前期ビルマにおける地方支配と地方権力の研究

岩城 高広

本論文は、コンバウン朝前期(1752~1819年)のビルマを対象として、王朝国家における王権と地方権力との関係を、地方支配システムの考察、ならびに地方権力の存在様態を個別的に論じること、の2つの面から検討することを課題とした。
コンバウン朝の地方支配は、ダヂーと総称される地方支配者を通じて行なわれていた。国家は、その地位を任命、認証する一方、地方社会において住民を直接支配した彼らを通じて人力や租税を動員、収納していた。
本論文では、まず、王権による地方支配者の掌握策とそれが地方支配者の地位に与えた影響について考えた。地方支配者が中央政府に出した地位の任命・認証申請書と、それに対する中央の裁定書を検討した結果、王権は、国王の印璽が付された任命書の給付、スィッターン・サイーン文書(地方支配者の家系や任地の状況を記した文書)の提出要求、一地方単位において認証されるのは一人に限るという、任命、認証の手続を明確化することによって、地方支配者を統制しようとしていたことが明らかになった。しかしこれは、地方支配者の地位や権限に直接介入することを意図したものではなかったから、かえって地方支配者の地位を不安定化させることにつながったといえる。一地方単位における支配者の地位をみると、短期間のうちに任命、解任、再任命が行なわれたり、自分の地位の正統性を主張する者が複数現れて、王権による認証をもとめて長期間対立したりするなどのケースが観察されたからである。
つぎに、スィッターン文書(スィッターン・サイーン文書の一部で、地方支配者が任地の状況を報告した部分)の分析を通じて、南部のハンターワディー、マダマ地方と、中部のサリン地方における地方権力の存在様態を論じた。南部の地方支配者には在地性が稀薄であった。ただしハンターワディー地方については、任地の境界や人口など最低限の情報をもつ者がいたこと、地方官による地方支配者の新規任命により、地方支配システムが及び始めていたことが読みとれた。他方マダマ地方については、支配者のほとんどが、1770年代以降にその地位についていたため、任地の状況をほとんど把握していなかった。文書の記載内容は変化に乏しく、形式的であったことがそれを示している。サリン地方については、2人の支配者(ミョウマ・ダヂー)が北部と南部を2分するかたちで管轄し、実際の支配は下位支配者が担っていた。北部と南部から提出されたスィッターン文書をみると、前者ではダヂーを称する者がほとんどなのに、後者ではそれ以外を称する者が半数近くにのぼるという偏差が観察された。この地方では、ミョウマ・ダヂーが自己の正統性を主張して互いに対立関係にあったため、劣勢に立たされた側が、本来ならば認証を得なくてもいい職掌の者にまでスィッターン文書を提出させることによって、自分たちの存在をアピールしようとしたのではないか、とした。地方支配者掌握策が、地方権力内部に変動をもたらした例とみられる。
これまで、地方支配者については、その地位が安定的で、王権の目が完全には届かない地方社会において、自己利益と権力を拡大することができたという説明がなされることが多かった。しかし本論文において検討したことにもとづけば、そうした見方は再検討を求められよう。王権との関係からみるならば、むしろその地位は不安定化する可能性を有していたからである。

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