本稿は、感情経験を社会学的に分析する新たな理論的視座を提示すると共に、現代社会を「感情管理化」社会と捉え、そこからの自律性を確保する自己の技法を分析したものである。
まず、心理学的・生理学的決定論を廃しつつ、感情の社会構成性をより強調しうる構成主義的感情社会学という理論的視座をまず提示した。そして、自発的な感情経験と、社会拘束的な感情経験とが交錯し、感情経験と自己像構成の関係が先鋭化する「感情管理」という点を分析すべきであるということを新たな理論的視座として示した。
その上で、「感情管理」のあり方について社会史的な考察を行う中で、これまでの感情社会学とは異なる、現代社会における「感情管理化」の論理を提示した。具体的には、これまでの感情社会学においては、「感情管理」を徹底化させていくのが「感情管理化」だとされてきた。それに対して、社会史的な考察を踏まえ、強固な感情制御をメタ的に行っていることを前提として、自律的に「感情管理」を行うことが許容されると同時に課せられているのが現代社会の「感情管理化」であることを示した。さらにこうした「感情管理化」であるため、現代社会においてわれわれに、自己の感情を気にかけるエモーション・コンシャスな状態であることが重要なこととして組み込まれ、「感情管理」を自律的にすることが重要なこととして組み込まれていることを示した。
本稿後半部では、逆に「感情管理」を自律的にすることが出来ないという意味において、より「感情管理化」された場面として「感情労働」を分析する中で、「感情管理化」に対抗する技法について看護職への実証的研究から考察を行った。
まず、看護職は「感情労働」を支える規則体系を相対化する中で、自律的な「感情管理」を行えるようになる。そうした規則体系を相対化する技法として、規則を固定的に運用する中で患者に接していくのではなくて、状況依存的に運用していくなかで患者に接する技法がある。また、看護職がその職業キャリアの中で、「感情労働」を支える規則体系の意味内容を変更させて、患者に対して接していく技法がある。そうした技法を通して、看護職が自律的な「感情管理」を回復することが可能であり、「感情管理化」に対抗する実践を行えることを示した。
しかし、看護職側だけが「感情管理」の自律性を回復していくことは不可能であり、不十分でもある。何故ならば、患者にそれが承認されなければならないし、入院している患者も、疾患に拘束された中で「感情管理」の自律性を奪われているからである。こうした観点から、患者と看護職との関係形成の過程を分析し、そこでの「感情管理」のあり方を分析した。患者は当初、疾患を受容できないことから「感情管理」の自律性を喪失している。またそれに起因して、看護職に対してニーズを提示することも出来ない。その結果、看護職も自律的な「感情管理」を行うことが出来ない。
それに対して、疾患を受容することを強制したり療法を押しつけたりするような看護職に求められていると考えられる「感情管理」を行うのではなく、それをしない自律的な「感情管理」を看護職が患者に行っていくことで、患者も疾患を受容し、療法を行うようになって疾患に拘束されない自律的な「感情管理」を行っていくことが出来る。それによって患者は自身の心理的ニーズの多様性を看護職に提示出来るようになり、対話実践の中で看護職もそれに対応した自律的な「感情管理」を行っていくことが出来る。こうした対話実践を通して、看護職と患者との関係が相互補完的な関係になる中で、看護職と患者双方が自律的な「感情管理」を行えるようになる。そしてそうした技法を通して、「感情管理化」に対抗する実践を行えることを示した。
以上の分析から、本稿では「感情管理化」する社会においても、自己が自律性を確保し、「感情管理化」に対抗する実践が可能であることを実証研究を通して示した。