<根源的獲得>の哲学 -カント批判哲学への新視角-

山根 雄一郎

カントは、同時代のヴォルフ派講壇哲学の立場からなされた自らの批判哲学への論難に応えるべく1790年に公刊した論文において、私たちの認識を構成する「ア・プリオリ」な道具立てとしての「直観」と「概念」とについて、それらのアプリオリテートを在来の意味での「生得的」な在り方と混同してはならず、むしろそれらは「自然法」の意味で「根源的に獲得される」のだ、と主張している[Vgl.VIII221]*。本研究は、批判期の思索の全体を牽引する「ア・プリオリ」という枢軸概念の一位相に対してカントが自ら与えたこの「根源的獲得」という性格描写に着目し、これを問題分析概念として批判哲学の全体像を批判的な形而上学という構制において統一的かつ総合的に把握すべく試み、批判期に至るカントの思索史に沿いつつ近世哲学史の一局面を新たな角度から照らし出そうとする。
「根源的獲得」概念の上述のような導入経緯に鑑みるならば、この概念を論究の基軸に据えるにあたっては、一方で、それが既存の「生得的」の概念をどのように批判するのか、また他方で、カント固有の批判的な「ア・プリオリ」の概念をどのように際立たせるのか、この両側面がそれなりに明らかにされる必要がある。カント自身が前批判期に自ら提起していた「獲得」概念との異同も絡んで、研究史上、誤解に晒され続けてきた「根源的獲得」概念をめぐる哲学的探究は、20世紀後半に新たな段階を迎えたと見られるが、なお明快な解決を得たとは言えない。とりわけ、かの両側面の統合的理解ならびに批判哲学の体系中へのその位置づけの試みという点に関しては、未開の沃野は依然として小さくないように見受けられる。本研究はこの点に一灯を投じようとする。以下、全8章の論点を略述する。
第一章では、「根源的獲得」概念によって際立たされる「直観」と「概念」との「ア・プリオリ」が批判哲学の認識理説(以下では批判的認識論という)に占める位置価をまず明確にすべく、この概念の<位相性>を考察する。「直観」と「概念」との「ア・プリオリ」が単に認識論的であるにとどまらず、認識者としての人間の在り方を根本的に規制するという意味で存在論的な性格を色濃く有することが確認される。第二章では、分析判断・綜合判断の区別の定式化にヴァリアントの見出される事実を手掛かりとして、批判的認識論に「根源的獲得」概念の導入が求められた経緯を浮き彫りにする。第三章では、批判哲学における「生得的」の概念の変容(<神からの賦与>という核心的契機の喪失)の次第を解明する。「生得的」表象の否定という文脈で導入される「根源的獲得」概念には、「ア・プリオリな綜合判断」の既存の「分析判断」への還元、また神の知性の現れであるライプニッツの「思考の真理」との同一視といった、講壇哲学徒による誤解を糺そうとするカントの意図が託されていると見られるからである。第四章では、批判期におけるかかる「生得的」の概念の変容を踏まえつつ、1770年の教授就任論文にてやはり「生得的」の概念に対置されていた「獲得的」の概念と1790年の「根源的獲得」の概念との差異を明確にする。「生得的」「獲得的」両概念の克服から「根源的獲得」の概念の確立への過程は、カントの批判的な形而上学の形成という観点から整合的に解釈され得ることが示される。
第五章では、従来主題的に論じられることの多くなかった「直観」の「根源的獲得」に着目しつつ、「概念(カテゴリー)」のそれと併せ、両者のアプリオリテートが「根源的に獲得的」とされることで注視される哲学的事態を剔抉する。第六章では、「直観(時空)」の「根源的獲得」という性格描写を通じて批判的認識論の説く空間の根本性格であるユークリッド性が根拠付けられ得ることを示し、そこに生きる「私」の特質を素描する。第七章では、「根源的獲得」という考え方が実践哲学の領域で発揮し得る可能性を測定する。このことは、現に「権利問題」への関心がカントの実践哲学的考察を駆動している以上、正当な試みである。具体的には、「ア・プリオリな綜合的=実践的命題」[IV420]としての「定言命法」をカントが論じる際、その「概念」と「法式」とを位相的に区別している事実に注目する。第八章(終章)では、『判断力批判』に展開される美的経験の理論におけるアプリオリテートの批判的意義を、「根源的獲得」の概念を触媒として炙り出す。
カントはライプニッツの説いた予定調和的世界を批判的に再解釈し、「根源」性を神の地平から人間の地平へと置き移す。彼が批判的な形而上学の全体系の存立をそこに賭けた逆説的洞察こそ、「理性的であるが有限な存在者」をモナドに見立てての<神なき予定調和>である。この間の消息を仄示する存在論的概念だという点に、批判的な「ア・プリオリ」概念への端的な性格付与としての「根源的獲得」の概念の位置価は今や見定められた。

*引用箇所は『純粋理性批判』のみ哲学文庫旧版、他はアカデミー版に拠り、慣用の表記法で示した。

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