本稿は、「近世の百姓たちが、いかなる社会構造や諸条件のなかで、それらにいかに規定されて、どのように再生産や生活を成り立たせていたか」を、百姓にとって最も基底的な土地制度の問題を軸にして、その他、金融・流通、共同体などの諸観点から考察したものである。時期的には近世初期(一七世紀)を中心的に取り上げ、できるだけ戦国期(一六世紀)に遡って考察した。
第一部「土地制度史研究の到達点と課題」では、当該テーマの膨大な研究史が、十分総括されていないことに鑑みて、その到達点ないしは課題をまとめて論じた。地域的には畿内近国に限定し、戦国期の土地制度(小領主、農民的土地所有、村請制)、太閤検地における石高や名請人の性格、豊臣政権の年貢収納法の意義や実態、近世初期の村落構成に関する諸説(朝尾直弘・佐々木潤之介・水本邦彦氏らの説)の問題点、などを検討した。また補論で、久我家領山城国久我庄における、中・近世移行期の年貢収取体制の変容を簡単に辿った。
第二部「近江における土地制度の展開」では、近江、とくに羽柴秀吉が最初に「領国」とした江北(坂田・浅井・伊香三郡)を対象に、戦国期から近世初期にかけての土地制度の変容を辿って、それぞれの段階における特質を、中間層の存在形態とあわせて明らかにした。第一章では、伊香郡余呉庄の東野氏をとりあげて、その土地帳簿(所有地の記録)を、当該地域の土地制度の特質や権力の土地政策(指出・検地)とも関連させながら検討し、東野氏の在地における土地所有が「小領主」から「百姓」へ転換させられる過程を跡づけた。第二章では、研究史上著名な坂田郡箕浦の「小領主」井戸村氏をとりあげ、その一五・一七世紀における土地所有の内容を検討し、また一六世紀における坂田郡南部の争乱の過程を辿って、そこに近世的な土地制度が萌芽していることを展望した。第三章では坂田郡八条村を例に、近世初期、村請制下における土地制度の特質、それに規定される有力百姓=「村方地主」の存在形態を分析した。また、第四章では、野洲郡三上を例に、村落指導者層のあり方・変遷を辿った。
第三部「信州東部における在地社会構造」では、信州佐久・小県両郡をフィールドに、近世の在地社会構造を、土地制度にとらわれず、むしろ多様な視角から明らかにすることを試みた。第一章では、小県郡長窪(新町、中山道長窪宿)の商人石合家に残る寛永期以降の「大福帳」等から、江戸と信州(材木など)、畿内と信州(繰綿など)を結ぶ隔地間商業の実態を明らかにし、また居村をこえた近隣地域の百姓等に対する、土地集積をともなわない金融の様相などを分析した。第二章では、信州から上州にかけての中山道や脇往還における宿(宿駅)の構成と展開過程を論じた。近世初期に、商人荷物輸送をめぐって問屋と一般の町人との対抗関係が存在し、次第に前者が後者の共同体(町中)に包摂されてゆく過程を明らかにした。第三章では、佐久郡下海瀬村を事例に、当初いびつな領域をもち擬制的な面が強かった行政村が、近世後期にかけて、百姓たちにとって内実を備えた枠組に変革されてゆく過程を跡づけた。このように第三部では、近世初期の総合的な在地社会論、地域社会論を構築してゆくためにも、今後さらに発展させるべき多様な論点を提示した。