本論文の課題は、上座仏教の信徒が人口の90%以上を占めるタイにおいて、20世紀初頭から独自の瞑想実践と活動を展開している「パークナーム寺」、ならびに1970年代にこの瞑想実践を引き継いで巨大な仏教教団と化した「タンマカーイ寺」に着目し、これらの寺院における活動とその社会的背景を明らかにする事にある。この2つの寺院では、「タンマカーイ(法身)」と呼ばれる宗教的観念を中心に据えた、特異な瞑想実践が行なわれている。この瞑想は独特な「涅槃」観念を伴なっており、自己の内面に水晶や光球や仏像の姿を内観する事でこの「涅槃」に至る事を救済の目標としている。またこの瞑想を行なう事は神秘的な守護力の獲得にもつながっている。
この瞑想実践の形成過程、ならびに上記2つの寺院の活動とその社会的背景を論じることは、単に特殊な仏教団体の歴史を明らかにする事に留まらない。それは19世紀末から20世紀初頭の近代タイにおける宗教変動の特質、ならびに急激な変容を遂げている現代タイ社会と宗教の関係など、長期にわたる歴史的ならびに社会的状況をも明らかにする事ができる。本論文は、主としてタンマカーイ式瞑想の形成と展開に着目し、このような約1世紀に渡るタイ社会と仏教との関係、ならびのその変化の特質を論じている。
この課題に取り組むため、本論文の第1部では、パークナーム寺の歴史と活動を取り上げ、かつてこの寺の住職であったプラモンコン・テープムニー師(ソット師)の瞑想思想と活動内容ならびにその社会的背景を論じている。タンマカーイ式瞑想といった独自の瞑想思想と守護力信仰は、当時のサンガ制度改革の影響をうけながら形成されたものであり、また、ソット師の周りに集まった信徒は、村落社会における地縁的なつながりから離れた人々であった。ソット師のタンマカーイ式瞑想の思想は、主流派仏教の教義をも取り入れて教義が二重化しており、独特の「涅槃」概念などを伴なっている。しかし師の没後、この寺ではカリスマ性を引き継ぐ瞑想指導者が不足していた。
第2部では、この瞑想を引き継ぎ、都市新中間層を中心に信徒を拡大していったタンマカーイ寺の活動をとりあげている。1970年代から活動を開始し、主として都市新中間層を中心に広まっていったタンマカーイ寺は、1,000名近くの常住の出家者を抱え、また一般信徒の組織的活動も幅広く行なわれ、今日では世界10カ国に支部を有する巨大な仏教寺院となっている。この寺では、瞑想実践に伴なう守護力信仰が脱呪術化する傾向があり、修養的な側面も強調されていった。一般信徒の信仰心は、瞑想と持戒などの規律訓練を重視し「涅槃」への到達を目指す「瞑想・修養系の信仰」と、寄進による現世利益を強調した「寄進系の信仰」が、組み合わさったものである
第3部においてこれら2つの寺院の活動を、タイの近代初頭における宗教政策や現代の消費社会との関わりから分析している。近代初頭におけるタイ仏教の制度化はは、[A/A+非A]という二項対立を生み出す過程であった。前者の項[A](主流派の伝統)と後者の項[A+非A](主流派と非主流派の混合)の両方の存在様態が可能なので、前者を見ると純粋な仏教が残っていると語られ、後者を見るとシンクレティックな仏教になっていると語られるわけである。ソット師の思想は、後者のタイプに位置している。また、この瞑想実践を通して得られる守護力は、個々人に内在化した守護力へと変容しており、このことによって個人化した特異な宗教的自己を生み出している。そしてそのような宗教的自己がタンマカーイ寺の、「瞑想・修養系の信仰」と「寄進系の信仰」に引き継がれていった。この宗教的自己は、社会関係の再構築や消費社会への対応と関わりを持つ。このようなタンマカーイ寺の運動が生じる背景としては、地縁的な人間関係とそこに埋め込まれた信仰が流動化しつつある事と、統一サンガ(タイ仏教の全国組織)と王権の複合的なナショナリズムが、そのような地縁的な信仰を基盤としてきた事とのズレを指摘できる。これはその他の新たな仏教運動にも共通の社会的背景であり、このズレを縫合し改変する多様なアイデンティティ模索の試みがなされている。現在のタイ上座仏教は、多様な立場の運動の共棲・競合・討議によって不安定ながら維持されている。
以上。