戦前期において、政党政治からの独立性を官僚が堅持していた時期は、藩閥政府下の官僚、すなわち藩閥官僚の時期と、一九三〇年代から戦時期にかけての内務官僚の黄金時代であろう。今日までその間の時期、すなわち「政党政治期」は、政党政治の形成と政党中心の政治が行われた時期としてイメージされていた。この時期の政党政治は、現代日本政党政治の源流として捉えられている。とすれば、同じ時期の官僚については、現代日本の官僚制の源流として捉えることも可能なのではないだろうか。
本稿は、政党政治期の官僚の性格を把握するために、内務官僚を主体として、政党政治を論ずる視点に立っている。政党政治期の内務官僚は、主たる政治主体として、その政局の変化のなかで捉えることは困難であるので、むしろ、政党政治期の内務官僚のもっていた政策構想のなかに見られる一貫した傾向に対する分析を行おうと思っている。
内務官僚の一貫した政策基調は、官僚による個々の国民の把握と組織化を通じた国民統合の構想としてうかがうことができる。内務官僚による国民統合の政策基調は、内務官僚の地方行政担当者としての性格に基礎する。政党政治期の内務官僚は、地方社会の政党政治を排除するために、地方政治の領域を行政の実務に還元させることで、行政実務の視点から政治を裁断したのである。本稿は、内務官僚の国民統合の政策基調を地方次元の政党政治排除の問題を通じて検討する。
日露戦後から選挙粛正運動にいたる内務官僚による地方における政党政治排除は、地方自治体住民の非政治化過程でもあった。地方自治体住民の非政治化を通じてみられる内務官僚の一貫した政策基調は、国家―国民との関係での抽象的に把握される国民とは異なる、国家―地方自治体―住民(公民)という系列な関係のなかで具体的に生活する個々の国民を把握することにあった。すなわち地方自治体住民の非政治化は、政党政治排除を媒介に、内務官僚による個々の地方自治体住民の把握と結びつけられたのである。
政党政治期の内務官僚による地方自治体住民の非政治化は、個々の地方自治体住民を把握し、組織化することで、政党と異なる国民統合を導いた。地方自治体住民の非政治化は、官僚の政党政治に対する独立性、すなわち「官僚の独立化の傾向」を支える力になったといえるだろう。
地方自治体住民の非政治化は、内務官僚の基準で政党政治を裁断することで、官僚の基準による政治のイメージを浸透させる役割を果たすことになった。内務官僚は、政治を利害調整の生々しい過程を通じて獲得すべきものと考えるのではなく、あるべき政党政治像を基準に裁断し、現実の政党政治を非難し、「国民の非政治化」を誘導する力になった。また地方自治体住民の非政治化は、国民を下から組織化することでもであり、政党政治の衰退とともに、内務官僚による下からの国民組織化を導く役割もはたすことになったとの見通しをもつことができる。つまり内務官僚による国民統合は、結果的に政党政治による国民統合を全面的に排除することになったのである。
現代官僚の政党政治に対する独立性は、彼らの優秀な能力または膨大な情報力などとともに、地方自治体住民の非政治化に基づく「国民の非政治化」観念に依存しているとも考えられる。