本論文では、鎌倉初期を代表する仏教者の一人である明恵房高弁(1173-1232)について、その仏教思想の展開過程を考察し、思想史的に位置づけることを目指す。
明恵の思想の特色をなすものは、生涯にわたる諸実践の模索である。「称名念仏のみ」という法然などの立場とは対照的に、明恵に於いては様々な実践が試みられ、時として併存している。しかし、それは決して単なる包摂的な態度なのではない。そうした諸実践の裏にあるものは、きわめて一貫した仏教実践についての理念である。
それは要約するなら、「人法二空(個我・外物がそれぞれ空であること)を証得することで、自らに内在する真如が顕現する。真如が完全に顕現したものが仏である」という理念である。明恵の生涯は、この理念をより有効に実現する実践を探求することに費やされたと見ることができる。
本論文では、以上のような構想のもと、明恵の諸実践の展開を考察することを主眼とし、併せて、これまで十分考察されてこなかった明恵思想の諸側面を明らかにすることを目指した。
まず、第一部「明恵思想の教理的枠組み」では、明恵が自らの思想の骨格とした華厳学及び密教を中心に、同時代の思想との対比から、明恵の特色を明らかにした。顕教に於いては有・空の問題が諸宗を序列づける際の中心的な価値をなしている。顕密の関係では、言説を超えた密教が実践面で優位に立つものの、密教の理解のためには顕教の分節的な言説が必要となるというかたちで、両者の不可分な関係が成立していることを示した。
第二部「明恵に於ける諸実践とその基礎理念」では、明恵が仏教の核心と見なした「人法二空」の理念を中心に、明恵の諸実践の展開を見通すことを試みた。特に明恵が最終的に自らの実践として選択した仏光観について考察し、それが明恵の実践理念との関係で如何なる意義を有するかを論じる。明恵が宗密の影響のもとに行じていた『円覚経』の観法に比較した場合、仏光観は、自らの心を空と観ずる点でより徹底したものであり、これが人法二空の理念の上から大きな意味を持っていることを示した。
第三部「明恵の戒律観」では、これまで十分に考察されていない、明恵に於ける戒の問題を考察した。明恵の戒律への関心は、仏光観の実践や高山寺の経営と深いつながりを有していることを示し、「明恵=一生不犯」説の成立を中世に於ける戒律への関心の高まりから考察した。
第四部「高山寺教学の展開――喜海の華厳学をめぐって」は、明恵の高弟・喜海の『起信論』解釈を検討し、明恵の思想がいかに継承されたかを考察した。喜海の思想はおおむね明恵を継承しているものの、観照的な傾向が前面に出て、明恵とは異質であることを示した。
「まとめ」として、以上の諸論考をふまえ、理論と実践との往復作業の中にこそ、明恵の個性があることを論じた。