本論は、日本古代における貨幣流通の実態を明らかにすることを目的とする。
日本古代における貨幣流通については、これまでに数多くの研究があるが、本論文では、1.銭貨だけではなく、現物貨幣の果たした役割に注目する、2.中央の視点からだけでなく、地域社会の視点からも、貨幣をとらえなおす、という二つの視角にもとづき、以下のような三つの柱を立てて、古代から中世(七世紀後半から十二世紀頃)にかけての、日本古代の貨幣流通の全体的構造を見通した。
第一部では、和同開珎以前の貨幣として登場する、無文銀銭と富本銭を取り上げた。
第一章「古代銀銭の再検討」では、日本列島における最初の銭貨が銀銭であるという点に「初期貨幣」の特質を見いだしたうえで、銀銭が最初の銭貨として採用されるに至った歴史的背景を考察する。無文銀銭を流通貨幣として強調することへの疑問から、厭勝銭的な要素を抽出し、日本の初期貨幣の特質が、「厭勝銭から流通貨幣へ」という流れで理解すべきことを論じた。
第二章「富本銭の再検討」では、奈良県飛鳥池遺跡の出土により七世紀後半に鋳造されていたことが確実になった「富本銭」の意義について考察した。富本銭が鋳造された七世紀後半においては、銭貨の流通をうながす政策や、銭貨流通の実態を示す史料はなく、また、飛鳥池遺跡での鋳造遺構が、効率的な生産体制を物語っていないことなどから、富本銭を国家による流通貨幣の発行と断定するには疑問が残る。こうしたことから富本銭を流通貨幣とは違ったとらえ方をする必要があることを論じた。
第二部では律令国家成立後の貨幣について考察する。これまで律令国家における貨幣として、和同開珎が取り上げられることがきわめて多かったが、ここでは、それ以外の貨幣である現物貨幣や平安時代の銭貨についてとりあげた。
第一章「律令国家と現物貨幣」では、律令税制である租庸調制のうち、庸制に着目し、中央の労働力の資養物である庸の品目が、地域社会に流通している現物貨幣を収取するねらいがあったことを明らかにし、古代社会の現物貨幣には、布が優位に立つ東国、米や綿が優位に立つ西国といった、地域差が認められることを指摘した。こうした東国と西国との地域差は、中世に至るまで潜在的に受け継がれていくと考えられる。
第二章「地域社会と古代貨幣」では、布と米に着目し、布は東国社会において財物や物品の代価として強く意識されていたこと、穎稲と穀米の貨幣としての役割には違いがあり、穎稲から穀米へと価値尺度が転換していく背景には、地域社会内部における構造的変化が密接に関わっていることなどを指摘した。
第三章「平安時代の銭貨流通」では、これまで六国史などの編纂史料にみえる銭貨政策の検討が主だった平安時代の銭貨研究に対して、文書や木簡といった一次史料の検討を中心に銭貨流通の実態を探った。これらの一次史料からは、平安京遷都後も、旧平城京地域において一定期間銭貨が根強く流通していたこと、平安京においても十一世紀初頭まで銭貨を流通させようとする意識がみられる点が確認でき、銭貨が古代国家の中心地域において強固な価値体系を構築していたことを明らかにした。またこうした銭貨による価値体系の確立には、律令国家の銭貨流通政策が深く関わっていることを指摘した。付論の「地方社会と銭貨」では、郡司層を頂点とする地方支配者層と銭貨との関わり方について、中央からの視点と、地域社会内部からの視点の両面から考察した。
第三部では、いわゆる「皇朝十二銭」が衰退した以後の貨幣流通について考察した。
第一章「平安貨幣としての絹」では、十一世紀以降に絹が価値尺度の中心として押し上げられていく背景を考察した。都における皇朝銭の衰退という事態から、銭貨に代わる新たな価値尺度が求められていく一方で、絹の生産・流通の全国的展開が素地となり、絹が銭貨に代わる新たな価値尺度として登場してくる過程を検証した。
第二章「皇朝銭の終焉と渡来銭のはじまり」では、いわゆる「皇朝十二銭」が発行されなくなった十世紀後半以降から、十二世紀半ばに渡来銭が流通するようになる「空白の時期」について考察した。十二世紀の日本で、中国からの渡来銭が流通することの意味を、古代の「皇朝銭」との関わりから検討した。
終章では、それまでの考察をふまえ、日本古代における貨幣流通の歴史的展開について見通した。