萩原朔太郎の作品における女性像の研究

徐 載坤

従来朔太郎の「女」の問題はエレナ中心に言及されてきたが、朔太郎の「女」を単にイコールエレナ(仲子)とする見解には疑問を抱かざるをえない。そこで、本論文では萩原朔太郎の作品を中心に、彼の言説を分析し、エレナ以外に<遊女>という新たなヒロイン像を探し出すことによって「女」の重層構造を解明した。次に、「女」の重層構造が朔太郎の詩精神と作品の中に、どのように投影されているかを究明することが本論文の目的である。

第一章では、習作期に書かれたエレナと<遊女>に関する作品と言説を分析して朔太郎がエレナに感じた「恋」がどのようなものであったかについて検証した。さらに、「除夜」は<遊女>がヒロインになっている小説であり、その系譜は『ソライロノハナ』の歌物語「大磯ノ海」に出てくる「美しき少女」にまでたどることができ、その結果、エレナと<遊女>という二つの「女」の系譜を確認することができたのである。

第二章は、朔太郎の初期の詩精神がどのように形成されたかを解明した。朔太郎のニーチェ受容における樗牛の役割と、ニーチェの影響から文学の「途」を発見するまでの過程、習作詩「憂愁の森」の解釈を通じて、朔太郎が「海」にまつわる原体験をどのように文学化したか、つまり「海」を<潜在化した詩人の内部生命>と認識することによって「憂愁の森」から脱出する糸口を見付け、本格的な文学への「途」を歩き出すまでの道のりを究明した。

第三章では、まず、朔太郎の「官能」受容の問題について考察し、「愛憐詩篇ノート」にある<遊女詩篇>の存在を明らかにした。「愛憐詩篇」期の朔太郎は快楽を追求し、放蕩を続けていたが、今までの<快楽による自己解放>から<文学による自己解放>へ転換したことが分かった。さらに、一九一三年五月の鎌倉旅行を再検討した結果、小山内薫の小説『大川端』を背景に、詩「別れ路」が書かれていたことが明らかになり、そのヒロインが<遊女>であることから、朔太郎の「女」の重層構造が判明した。

第四章では、一九一三年末から一四年初にかけての詩作中断期前後の創作活動の検討、そして、大正三年の日記内容、特に書斎の工事に関する記述を中心に「新しい生活」による「自己改造」の試みとその挫折、さらに「愛憐詩篇」後期の新たな詩精神の形成過程を考察した。一九一三年一二月一日、『上毛新聞』に「古今新調」を発表し、『新古今』の「象徴」を元にした独自の「象徴リズム論」を展開する。その一方で、「センチメンタル」を自己表現の基本戦略として確立することで、先の「象徴リズム論」と合わせ、独自の詩学の自立を目指す。次に、朔太郎は<日常の場>とは違う「書斎」という新しい空間、西洋風で都会的な人工空間を創造し、その中に自分を置くことで「新しい生活」を始めようとするが、結局挫折する。そして、『中央公論』新年号からニーチェ関係の文章を読み、「自己改造」に再挑戦することになる。以後、朔太郎は「自己改造」のアポリアを文学の原点と定め、自己救済のために詩風の純化へと向かうのである。朔太郎は、日記の中で、孤独で「何等の目標」もない状態に悩んでいた。これこそ、朔太郎と漱石とニーチェを結ぶキーワードである。『行人』の「塵労」第三六章の「兄さん」と「私」の独逸語でのやりとりが『ツァラトゥストラ』をベースにしていることはいうまでもない。当時の朔太郎は「世間」との断絶だけではなく、文学仲間との隔たりも感じており、<人生と文学の両方での「孤独地獄」>に落ちていた。

第五章では、朔太郎の詩精神の「聖ー淫」の二重構図と、「女」の重層構造を中心軸にして一九一四年後半の詩世界の解明を試みた。朔太郎は暮鳥宛の書簡の中で「聖者の心、淫婦の瞳」、これこそ現在自分が所有しているリズム(詩精神)のすべてであり、この二重構造こそ、自分の詩精神の本質であると告白している。「淫婦の瞳」は、詩「白き顔」の「邪淫の瞳」に燃えている「女」のイメージから捻出されたものである。詩「初夏の祈祷」では<性欲の芸術的昇華>を追求する。「えれな」がヒロインとして登場することは、人間仲子が洗礼によって聖女「エレナ」に新生し、<男と女としての関係性の消滅>によって、彼女との関係が形而上学的なものに代わり、<敬拝の対象へ昇華>したためであろう。聖なるエレナをヒロインにした詩を<聖女エレナ詩篇>と名付けてみた。その一方では、<敬拝対象としての「エレナ」>と<「いんよく」の対象としての「きみ」>というヒロイン像の分離があり、これこそが朔太郎が確立し続けていた「聖ー淫」の詩精神の本質であった。朔太郎こそ、白村のいう「霊肉不調和」の典型的な人物のひとりであったわけで、自らの突発的な行動によって喪失した聖女「エレナ」に代わる<新たなヒロインと「霊肉合致」への希求>、それこそが朔太郎が追求していた詩的イデアであったのである。

第六章は今後の展望で、朔太郎が求めていた「霊肉合致」の世界は詩「緑蔭」及び「雲雀料理」の世界で、新たなヒロインの「君」は『氷島』の恋愛詩にまで繋がっていく。

これまでエレナ中心に言及されてきた朔太郎の「女」の問題を再検討すること、それが本論の最大のテーマであった。エレナ以外に<遊女>という新たなヒロインを見つけだし、<遊女詩篇>と<聖女エレナ詩篇>の存在を証明してみた。それ故の「聖ー淫」の二項対立の詩精神を「霊肉合致」へとアウフヘーベンすること、つまり形而下のもの(色)でもなく形而上学的なもの(恋愛)でもない、両方が混合し、一つに凝縮している「艶かしき形而上学」的エロス、一言でいえば<男女関係の情操的言説化>こそが朔太郎の詩的イデアだったのである。

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