『うつほ物語』は、わが国初の長篇物語として、文学史上重要な作品である。本論文は、多様な角度から、この物語の本質を究明することを目指したものである。

論文の構成は、四篇十二章からなる。第一篇および第二篇は、物語の展開を追いながら、長篇物語の論理と構造、主題性などを考察したものである。周知のように、『うつほ物語』は、俊蔭一族の秘琴伝授の物語と、あて宮求婚譚の、本来別個のものとして成立した二つの物語が縒り合わされて、長篇化を達成したものである。あたかも水と油のごとく、全く異なる論理を持つ二つの物語は、時には歩み寄り、時には激しく反撥し合う。その軌跡を追うことが重要である。

第一篇は、物語の前半部(俊蔭~あて宮)を対象とし、特に大きな比重を占めるあて宮求婚譚を中心に論じた。求婚譚は、源正頼の栄花追及の物語である。「藤原の君」と称される一世源氏正頼は、王と摂関との間を往還する存在である。その摂関的性格は、多くの子女を武器とした閨閥に示されるが、より重要なのは、その王者としてのあり方である。正頼は絶世の美女あて宮を擁することで人々の心をつなぎとめ、更には朝廷をも凌ぐ盛大な年中行事の挙行により、精神的・文化的な位相での王たらんとするのである。首巻「俊蔭」で物語の主人公として登場した藤原仲忠が求婚譚に加わることで、正頼はいっそう王者性を強めていくが、これは「嵯峨院」でのあて宮入内という当初の構想を覆し、物語が長篇としての射程を伸ばしたことを意味する。また、仲忠の登場は、何よりも、正頼を中心とする世界とは別次元の価値観が示されたことにもなる。

にもかかわらず、求婚譚は、当初予想された通りの、あて宮入内という結末をみる。摂関の道を選んだ正頼は、仲澄の死の場面に顕著なように、その人間性の限界を露呈していく。これを単なる正頼の変貌として理解すべきではない。正頼のようなすぐれた人物さえをもゆがめてしまう現実の政治社会の苛酷さが示されているのである。求婚譚の主題は、その表面的な華やかさとは裏腹に、人間の愛情や信頼を無惨に打ち砕く現実の社会の非情さを描くことにある。なお、第一篇では、求婚譚からみると傍流であり、短篇性が濃厚であると論じられてきた「忠こそ」や「吹上」を、長篇の流れに積極的に位置づけた。

第二篇は後半部(内侍督~楼上)について論じた。後半部の主題は、更に厳しさをましていく政治社会の渦中にあって、人々が、いかに人間性を復興し、連帯を回復していくか、ということにある。かかる主題性を担っているのが新たな主人公として成長した仲忠であり、仲忠の理想的な人間性に、かつての物語の主役であり政治体制の象徴である正頼が次第に圧倒されていくのが後半部の眼目である。特に立坊争いを正面に据えたことで評価の高い「国譲」は、源藤二氏の抗争ではなく、仲忠と正頼の問題として考えねばならない。政争の中、正頼は自身の劣勢を痛感するが、これは婿たちの心までは掌握できなかったことに起因している。一方、仲忠は、忠こそや源仲頼の「家」を吸収し、繁栄の基礎を固めていくが、これは正頼のような政治の論理で形成された閨閥とは全く異質である。仲忠は、その人間的な魅力で人々の心を吸引し、精神的な派閥を形成していくのである。とりわけ、仲忠と藤壺の関係は重要である。仲忠は、娘いぬ宮の入内を早くから準備しており、最終巻「楼上」ではほぼ決定的となるが、これは仲忠の摂関志向を示すのではなく、結ばれなかった二人の愛の代償である。これは、朱雀帝・俊蔭女の関係にも通ずる、この物語の基本的な構図である。また、後半部の仲忠は過往の文章経国思想を体現した存在であり、この点においても摂関的な正頼とは対蹠的である。

第三篇は、『うつほ物語』の和歌と会話文について論じた。従来、高く評価されていない作中和歌であるが、「楼上」下巻の全二十九首の和歌を検討することにより、次第に方法意識が芽生えていることを明らかにした。会話文については、前半部と後半部の性格の違いを主に論じた。前半部では、引歌や漢詩文を踏まえたものが多いが、後半部では、会話の量は増大するものの、かみ合わない会話が多くなり、言葉を重ねれば重ねるほど、他者と相容れることのない孤独が浮き彫りにされてしまうのである。

第四篇では、『うつほ物語』の文学史的な位置づけを試みた。過往の文章経国思想の標榜された時代を憧憬しつつも、社会から疎外されざるを得ない作家の、理想と現実の葛藤は、この物語に顕著であるが、これもまた、物語の長篇化を促した大きな要因であった。