戦国期の徳政と地域社会

阿部 浩一

本稿は、日本史上の一大転換期と位置づけられる戦国期を主たる分析対象に、新たな権力機構として全国各地に登場した戦国大名と、中世後期に惣的結合を強めることで自立した社会集団としての地位を築きつつあった村落・都市社会の双方に注目し、両者の相互規定による中世から近世への転換のあり方とその歴史的意義について考察するものである。

序戦国期研究の歩みと本稿の視角において学説史の整理を行い、第I部戦国期徳政論で、中世社会を一貫して特色づける現象として、権力・民衆を問わずさまざま局面で追求されてきた「徳政」について、戦国大名の領国支配における役割と意義、および近世初期における徳政観念の変質を論じた。戦国期の民衆も、中世社会の伝統的な徳政観念にもとづき徳政的措置の実施を求めていた。私年号の流布もその表れで、特に「命禄」年号は伊豆三島社で作成され、東国一帯に流布し使用されていた。戦国大名も家臣に個別に徳政を与え、戦乱や自然災害、代替りを契機に領国民を対象とする徳政令を発布した。遠州井伊谷徳政は、戦乱の代償としての徳政を求める在地での要求運動にもとづくものであった。そこでの領主権力の庇護下に入った有力銭主と債務に苦しむ郷村の百姓等の間の対立関係は、徳政令の矛盾と限界を集約的に示すものでもあった。一方、後北条氏の永禄三年徳政令は「撫民」を基調とする後北条「国家」の支配原則のあらわれと評価され、百姓身分と再生産活動の保障を求める中世民衆の徳政一揆の要求と相通じるものでもあった。やがて中世社会の終焉とともに徳政令も消滅するが、領主の役割として「撫民」の実現を求める民衆の要求は、徳政令から大名の「御蔵」での種貸・夫食貸を通じた「百姓成立」の公的保障として制度的に確立される一方、代替りと戦乱を軸とする戦国期徳政のあり方は「国替」と「弓矢徳政」に象徴される徳政観念として近世社会に継承されていった。

第II部戦国期の「蔵」と蔵本では、大名権力と在地社会を有機的に結びつける接点として、戦国大名の「蔵」に注目した。蔵は租税徴収と勧農実現の場という歴史的性格を有しており、甲賀山中氏のような中世領主も出挙や「蔵本」としての貸付行為を通じて領主としての経済的機能を担い、在地支配の強化をはかっていた。戦国大名の蔵も財政機構としてばかりでなく、在地支配の一拠点と位置づけられ、時には勧農実現の場としての役割も担っていた。年貢収取は蔵の管理・運営に関わる代官の力量に負う部分が大きく、近江国菅浦でみられた年貢未進などによる惣村のたび重なる抵抗に対しては、代官による未進分の立替なども広く行われた。一方、蔵の経営には蔵本・蔵方・銭主等が深く関与しており、彼らは徳政令からの保護を契機として大名権力の末端に組み込まれていた。戦国大名の蔵は、年貢諸役の収納の場、在地への貸付・助成行為の拠点などさまざまな性格をもち、大名権力と在地社会を結びつける場として社会的機能をはたしていたのである。

第III部戦国期東国の流通と地域社会は、戦国大名研究に比してその遅れが指摘されている戦国期東国の村落論・都市論を進める上で、流通論の視角から村・町を軸とする地域社会形成のあり方を捉えなおそうとしたものである。その方法として、下総国関宿を例に、水陸交通の有機的連関および結節点となる都市・商人の問題から物流体系を総合的に捉える視角の重要性を提起し、中世浜名湖を例に、自然災害により引き起こされた交通体系の変動に即した大名・領主支配と物流構造の展開、ならびに水運の発達を機に台頭した在地勢力と惣的結合の進展などの問題を論じた。一方、戦国期の東国社会で広範な活動のみられる宿(しゅく)の問屋は商人宿を原初形態とするもので、商人の誘致や宿の整備、市立・市祭の主催など宿の指導者的立場にあった。戦国大名は問屋を通じて宿の住人に伝馬役を賦課し、領国内の交通網を整備した。こうした宿の問屋や名主・老・小代官などの在地有力者層は、新宿など在地の開発を主導するばかりでなく、時には大名の「案内者」をつとめるなど、戦国大名の在地支配を補完する役割をはたしていた。

戦国期の畿内近国における惣村・都市の発達、あるいは有徳人層を軸とする地方社会の郷村・宿・湊での惣的結合の展開といった自立的社会の形成を受けて、戦国大名は民衆の求める「徳政」を徳政令や蔵の機能を通じて実現させることで領主としての機能をはたし、そこでの領国民の支持に「国家」存立の一基盤を求めた。また、蔵本や問屋など在地有力者層の取り込みをはかることで、郷村・町場の掌握にも乗り出した。戦国大名による在地支配のあり方は、村請制を基盤に在地有力者層を媒介とした領主支配と、大名の「御蔵」を通じた「百姓成立」の公的保障という近世社会のシステムとして確立されていった。

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