本論文は、八~九世紀の日本古代国家で営まれていた対外の人々との関係を、「王権」と「外交」という視点で取りあげて検討するものである。

第一章では、当時の東アジアの国際関係の秩序を示す中国的概念の「蕃」を取りあげ、日本古代国家の対外認識、王権を基点として提示される外交理念の基礎をなす概念に対する整理を行う。それによって、当時の日本朝廷が、中国律令の単純な借用ではなく、自らの世界観や国家観を表明しようとした点、また、国家対国家の公式外交関係を前提とした法や外交儀式の整備を行い、国内の王権に正当性・正統性を付与しようとした点を明らかにすることができた。つまり、先行研究のように中国律令の概念をそのまま日本の場合に当てはめて解釈してはならないことが指摘できた。

第二章では、日本古代国家の外交の問題を、公式使節以外の一般人の来日の次元から取りあげ、王権と彼ら外来民との関連づけの意味について考察した。それによって、日本古代国家の「(王)化」の論理に関しては、「帰化」と「王民化」という二つの次元から理解すべきことが分かった。つまり、中国の場合とは異なる日本の特性、歴史概念の意味に注意すべきことが明らかになった。

第三章では、まず、日本古代国家の外交行事である「蕃客」の「入京」の問題には、天皇の直轄地に入るという特別な意味が含まれていた点を明らかにすることができた。そして、朝廷の対「蕃客」機構の治部玄蕃寮の職掌も、来客の「入京」という自体を前提として機能することや、「遣使体制」というのも、使節の「入京」の過程を補助する中で活用されていたことなど、中央における外交行政体制運営上の特徴を指摘することができた。

第四章では、太宰府や諸国といった地方で行われた外交諸機能を、先行研究のように「地方権」として解釈するのではなく、朝廷との間の行政システム上の相互作用として捉えることができた。そして、時代の要請にしたがって、朝廷との間に連絡を取る体制がより成熟し、朝廷の儀式をも代行できる国家外交行政上の一機構として地方の機能が整備されていくことも明らかにした。

第五章では、天皇と太政官とを外交関係諸措置における命令行為の主体とみなし、その命令の具体的な内容を検討する。その結果、天皇は、対外的代表権者として対外的派遣の動きを主導することなどで、また、太政官は、儀式的・事務的次元を管轄する役割を通じて、各々異なる次元でその機能を担っていたことが指摘できた。つまり、外交をめぐる天皇と太政官の関係は、従来の見解のように権力対立的関係ではなく、各々機能すべき役割を有する補完的な関係であったことが明らかになった。そして特に日本古代国家の王権は、国書発給の主体、賜与権、交易権によてその「外交権」を具現していたという点をも指摘することができた。

第六章では、「日本古代国家の王権と外交」の実状、という次元からの検討を行う。それによって、八世紀の新羅との関係を、従来のように単なる対外的事件、日本の対外認識(「小帝国意識」)の実現の次元に限ってその意味を論じてはならないことが指摘できた。日本が置かれていた東アジアの情勢、慣例、中国律令法の影響という状況を理解し、また、日本朝廷がその政策的基盤に関連して、かつ時の王権がその正当性を主張する上、新羅との外交関係を重要に、かつ能動的に活用していこうとする面が深く関わっていたことを明らかにした。