本論文は、近代日本社会、つまり明治期以降1980年代に至るまでおよそ120年間の日本社会におけるセクシュアリティ現象を、歴史社会学的な手法を用いて、総体的に把握することを企図している。

第1~4章にかけては、セクシュアリティの歴史社会学を立ちあげるための方法論的検討が行われている。私たちは「セクシュアリティとは、人々がセクシュアリティ(性)と想定するものである」という構築主義的な定義を採用し、フーコーの言説分析を批判的に検討しながら、「言説の外側をいかにして把握可能か」という「言説/実態」問題を認識論的な教義としてではなく社会科学のデータ方法論として引き受けた。そして、(1)テクストや言説が書かれた意図、書かれたコンテクスト、それがいかに読みとられ受容されたかを考慮する、(2)語られたことの「言説化」「通俗化」「社会問題化」「国語化」といった様々なレベルでの「制度的再帰性」を射程に収める。(3)性(セクシュアリティ)と愛(親密性)を論理的にも歴史的にも、独立した現象として分析する、(4)日本社会における性と愛を、固有の論理と歴史を有した現象として記述する、(5)ある言説の、言説空間にしめる位置と機能を測定するために、どの範囲の言説にアクセスしたかを明示化する、(6)「どこでどのように語られる性に、リアリティがあるのか」の領域変動を捉える、といった作業方針を得た。

第5章から15章にかけては、オナニーに関する言説の形成と変容を縦軸に、「性欲」に対する社会的意味づけの変容を横軸にして、分析を行った。

オナニー言説については、明治期の開化セクソロジーを通して、近世以来の養生訓パラダイムに折り重なるようにして、西洋出自のオナニー有害論が日本社会に着床していったこと。大正期の通俗性欲学を通して「強い」有害論が日本社会に定着し、性欲の統御を修養やナショナリズムと結びつける「性欲の善導パラダイム」が存在したこと。1950年代には「弱い」有害論が「強い」有害論を凌駕するが、そのことはフロイティズムと養生訓パラダイムのシンクレティズムを意味していたこと。70年代以降の「オナニー必要論」においては、オナニーを通して自己の性的アイデンティティを確認する側面が強調されることなどを明らかにした。

性欲の社会的意味づけについては、明治期末から大正期にかけて成立した「性欲=本能論」では、性欲が、自己の内部にありつつ外部的でもあり、また、発動しつつ処理されねばならない実在として表象されることによって、「性欲をどの性行動によって満足させるか」という「性欲のエコノミー問題」が登場したこと。また、1920年代における夫婦間性行動のエロス化(規制緩和)と他の性行動の規制強化は性欲のエコノミー仮説によって説明できることが示された。

さらには、性欲=本能論への対抗言説として登場する性=人格論が、性欲の善導パラダイムを脱臼させると同時に、性を自己の内側に回収するフロイト式の性=人格論と、性を他者との関係性に回収するカント式の性=人格論に分裂していく様相を論じた。前者は、オナニー=自己確認論、オナニー至上主義へと引き継がれ、後者は、愛を至上の原理とする親密性パラダイム、セックス至上主義へと引き継がれる。最後に、現代においては親密性パラダイムは性欲のエコノミー秩序を凌駕し、セクシュアリティ観念の中核を担うようになっていることを明らかにした。