本論文は、日本天台宗の祖である最澄の「山家学生式」に見られる倫理思想を解明することを課題とするものである。最澄が「山家学生式」(以下「式」と呼ぶ)で規定したことは、真俗一貫の菩薩戒である梵網戒を受戒することだけで「菩薩僧」となり、同時に比叡山から降りることなく12年間籠山修行を行わせる、というものであり、従来の声聞具足戒は、籠山修行の終わった者のみが他者救済のために「仮受」する、というものである。

この「式」の倫理思想を解明するためには、インド・中国と受け継がれて日本に入ってきた戒律思想を中心とする仏教思想と、当時の日本の仏教状況を倫理思想として再考しておくことが必要である。

まず第1章で、インドの戒律思想を整理するとともに、大乗仏教思想の倫理思想的考察を行った。大乗仏教が抱えた声聞具足戒と菩薩戒の矛盾は、自己救済と他者救済の矛盾の問題であることを指摘し、また、大乗仏教思想における真理概念と仏菩薩概念をその発生から整理した。大乗仏教の真理概念は、存在するものそれ自体の真実であり、それは日常的自己の<外部>にある。仏・大菩薩は<外部>と自己との超越的媒介者として位置付けられる。

第2章では、中国の戒律思想を考察した。中国で生まれた純粋大乗の梵網戒と声聞具足戒の関係について、特に、智きの思想を検討した。智きには仏となることによってのみ矛盾は解決される、という思想が見られる。また智きは、法華開会の思想によって、声聞具足戒を大乗の精神で包括し、その受持を修行の受容な前提とする位置付けを行なった。それは鑑真経由で日本に伝来する。

第3章では、最澄の初期思想を、『願文』を題材にして、後の「式」制定に関係するものとして考察した。初期最澄の願望は、超越的媒介者たる大菩薩をめざしており、そのために、籠山という修行手段を選んだのである。当時の日本仏教は、都市仏教としての国家仏教(他者救済仏教)と、山岳仏教(自己救済の契機をもつ)が並存する二重構造にあったのであるが、最澄の思想は、当時の山岳仏教に連なるものである。

第4章で、この二重構造の倫理思想的意味を考察した。延歴25年、最澄の天台宗を加えて、山岳仏教が都市仏教と並んで正式に国家仏教の一つとなる制度が生まれる。この時点の最澄の思想も合わせて考察した。それは、小乗も都市仏教も山岳仏教も人間の個別的内的条件(機)に合わせたものとして、すべて肯定していくものであった。

第5章では、「式」の内容と思想史的特質について考察した。最澄は「式」で、菩薩戒単受で「僧」とするのではなく、罰則規定を持つ新たな「律」(籠山戒)を作り、それを守る限りで「菩薩僧」となる、としたのである。そして、「菩薩僧」はひたすら仏・大菩薩をめざして修行しつつ護国経典の読誦による他者救済も行う。即ち、自己救済と他者救済を同時に実現する制度なのである。この制度は第1章・第2章と前章で見た諸矛盾の統一止場の意味を持つ。しかし、そこで前提になっているのは、仏・大菩薩への速成性であり、速成性の確信こそ、「式」創出の思想的根拠の核心部分にあることを提示した。

第6章では、その速成性の思想を明らかにした。具体的に考察を行なったのは最澄の仏性論、及び速成性概念である「大直道」についてである。「大直道」とは、人間の本質である法身を速く顕現させるために、仏の知(内証果分)を今ここで修行するというものである。梵網戒単受は仏の戒のみを純粋に学ぶ「大直道」なのである。また、仏・大菩薩を山中に勧請して三師証とし、受戒を行う梵網戒受戒儀礼もまた、日本の神祗仰儀礼に類似する速成的方法であることを明らかにした。

終章では、「霊山浄土に現存する釈迦仏」と「比叡山の菩薩僧」との同一視について考察し、第6章を補足した。最澄は比叡山を霊山と同様の<外部>と接する媒介空間として意味付け、「大直道」の空間とする。また最澄は、仏として永遠の菩薩行を続ける釈迦を自他救済の完成を目指す理想的なありようとして、その釈迦仏に直接連なろうとする。「式」の「菩薩僧」には釈迦仏のありようとの類似が見られる。また、最澄自身も仏として永遠の菩薩行を続けようと意志しているのである。

以上第6章と終章で、最澄の「式」創出の倫理思想的根拠を明らかにした。