本論文は、主として房総地域の「海付村」を題材に、近世に固有な漁業社会の構造を明らかにしようとしたものである。

第一部では、房総地域における浦(=漁場)請負の構造を明らかにすることを課題とする。第一章では、房総地域に普遍的にみられた浦請の構造を検討し、浦請とは領主に運上金を上納する代わりに、村内漁獲物の集荷権、もしくは一定範囲の漁場で操業する漁民から運上金を徴収する権利を獲得することであると定義し、近世中期以降には浦を請負う請負人が低廉な価格で独占的に漁獲物を集荷することを漁民が嫌い、漁民が自由な漁獲物販売を希求した結果、浦請負人の権限は縮小され、その独占的な漁獲物集荷権が打破されつつあったことを明らかにした。また請負の主体が江戸や房総周辺の商人から漁場に面した村自体に移る趨勢あったことも明らかにした。続く第二章から第四章においては、安房国長狭郡浜波太村の平野仁右衛門家という浦請負人を素材に、請負人の職能や漁場での操業状況、あるいは村と請負人との対立の具体相を、一村の分析にこだわりながら明らかにした。
補論は、平野仁右衛門家文書を整理した際に、目録作成の方法などをめぐって考えた内容を掲載した。
第五章は、直接浦請を扱った論文ではないが、紀州からの出漁漁民と湊に面した土地の所持者とが、湊を開発した後、領主に運上金を上納してその湊と湊内の漁場用益権を独占した事例を扱ったものであり、浦請負人の請負システムと近似的であると考えられることから、ここに配列した。

第二部では荒居英次氏の提起を受けて、「海付村」内部の岡方(農業集落)と浜方(漁業集落)との関係を具体的に取り上げて考察し、また漁獲物流通の構造を検討した。浜方が分村運動を展開した事例を、第六・七章と先に二つ並べて検討し、分村運動が何故必然化されたのかを明らかにし、第八・九章では、分村運動に帰結しない岡・浜関係や岡・浜争論を考察し、第六・七章と対比的にその関係を把握することを目指した。そして浜方が漁場利用を独占した「海付村」では、浜方の漁場利用に関する特権は岡・浜争論でも堅守されたこと、しかし村政運営上は岡方の従属下に置かれたこと、などを明らかにした。
第十章では、個々の岡・浜関係の分析においては触れることができなかった、浜方における漁獲物の流通構造を、江戸魚問屋の構造的特質も視野に入れて、明らかにした。

第三部には、直接「海付村」に関わらない研究を収録した。第十一章は年貢米が村ではなく、郷蔵組単位で納入されるあり方を検討したものである。いわば年貢米の郷蔵組請負制度ともいえるシステムの事である。浦請負人が徴収した運上金と地主が徴収した年貢米・小作米が一体となった入立米はともに、請負制度のもとでの近世的な公私未分離の状況を反映しており、共通性が窺えるため、第一部の内容の延長として収録した。
第十二章では、近世の天草地域に特殊な法令として有名な百姓相続方仕法について分析した。この論文は、直接的には、近世農民の土地所持権を質地請戻しのあり方から考察した論文であり、質地証文に記載された文言などの表層から実体的な土地所有関係を明らかにしようとする神谷智氏の研究への批判を含意したものだが、それのみではなく、今後筆者が、個々の網株所有や船所有といった漁場の所有関係を考察するための出発点とも考えて執筆したものである。耕地の売買証文・質入れ証文に対応して、「海付村」には網株や船の売買・質入れ証文が残されており、土地所有との比較・検討が可能なのではないかと考えている。第十二章は、こうした筆者の今後の研究を展望する上で収録した。