サドにおける言葉と物

秋吉 良人

サドの作品においては、多くの場合、リベルタンによる長大な唯物論的「議論」とヒロインらが「語る」性的実践や出来事の物語りが交互に描かれている。本論はこのようにサドの作品において大きな比重を占める「言葉」の問題を取り上げ、それをサドの唯物論との関係で考察し、サドにおける「物」の世界とそれについて語る「言葉」の関係を明らかにする。

各章の主な内容は以下の通りである。

第1章サド的世界の基本原理
サドの描き出す「物」の世界は、一貫して「衝突」「火」「切断・細分」化といった原理によって統べられている。サドは、原子から太陽まで世界を律するメカニズムを「衝突」として、またその動力である生命原理として太陽に起源する「火」を措定する。さらに、その中に位置するサドのリベルタンたちは、自然の再生のために、幾層niもわたる関係の切断を実施して、人間を原子に至るまで「切断・細分」化していくのである。

第2章サド的世界における言葉と物
前章で明らかにされた基本原理は、たんに物質的自然や身体的実践だけではなく、それについて語り、物語を展開していくサド(的リベルタン)の「言葉」そのものをも支配する原理である。サドの言葉の世界は、物の世界と同平面にあって、原子さながら相互に「衝突」し、不断に「ずれ」、異なった組み合わせの中に並べ換えられるさまざまな異質な語、言説から成り立っている。またサドは、身体の「切断・細分」化も、「語り」における「詳細さ」もともに「detailler」といった語によって指示し、また、身体の動力と言葉の力をともに「エネルギー・電気・火」とすることで、この二つの次元に見えるものが、同じ原理にしたがって動いている地続きの物であることを示している。

第3章サドにおける自然の声とその代弁者
このような言葉と物の重なりは、サドの世界の要ともなるpassion、organeにも及んでいる。サドは、passionsに唯物論的意味を与えるだけでなく、それをまさに「言葉」の次元にあるものとして語るルソー的な議論を参照枠とし、善と悪の対立を「(良)心の声とpassionsの声」の対立としてとらえていた。また、サドはその「声」にあたる語としてorganeを用い、さらにサド的人間を自然の代弁者organeとするなど、このorganeをキリスト教的言説などに対抗する仕掛けとして多義的に用いていくのである。

終章言葉の病理と作品の言葉
上述のような多義的で、常にずれゆくサドの作品の言葉は、牢獄におけるサドの不幸な言語体験を反映するものである。それはサドが彼を苦しめるために共謀しつねに曖昧なことを言うと妄想したところの他者の言葉と同一のものなのである。また、自然の延長物としてその意図するところを知り尽くした彼のリベルタンのあり方は、そのような他者の言葉の曖昧さに翻弄され、その真意を知ることができず、たえまない不確実さに悩むサドの姿の対極にあるものである。

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