本博士論文は、ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ(1749-1832年)の文学作品を研究対象としている。時期的には、彼の壮年期から、老年期に差し掛かるまでの時代を扱う。具体的には、ゲーテがイタリア旅行に出発した1786年から1805年のシラーの死までのいわゆる「古典主義」の時代に属する二つの作品、戯曲『トルクヴァート・タッソー』(1790年)と小説『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』(1796年)、および、老年期のとば口において書かれた小説『親和力』(1809年)を論じる。いずれの作品もこの時期における彼の代表作である。

本論文はゲーテの執筆年代順に三部構成を取る。
第一部・無名の関係-『トルクヴァート・タッソー』をめぐって-
第二部・『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』における「想像力」について
第三部・『親和力』における「遅れ」の問題について

各部はそれぞれ独立した作品論として書かれたものであるが、同時に一本の糸で結ばれている。これらの作品はいずれも、青年期のいわゆる「疾風怒涛」の時代を経過し、「成熟」したゲーテの「調和」に満ちた作品、として語られることが多い。ドイツ古典主義の戯曲の代表作とされる『トルクヴァート・タッソー』は、三一致が守られ、ブランクヴァースの形式を守った抑制された言葉で対話が交わされる。『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』は、「教養小説」の典型とされ、人間の「調和的完成」がテーマとなる。『親和力』は、古典主義の時代には属していないが、ゲーテは晩年期には、『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』や『ファウスト第二部』といった、全体の統一性を追求するよりはむしろ無限に拡散していく作品を書くようになってゆくことを考えれば、『親和力』はその緊密な構成において、なお古典主義の強い影響下にあると言える。

ところが、古典主義時代のゲーテは、一見抑制され、調和に満ちた「全体性」を構成しているように見えて、作品を仔細に分析してみると、そのテクストは実は余剰をはらみ、作品を調和的なものにする動きから逸脱してゆく力を有している。仮に作者が「全体性」を指向していたとしても、テクスト自体は「全体性」を解体する要素をはらんでいるのである。本論文は、ゲーテの「抑制」された作品に垣間見られる「逸脱」を、作品の持つ豊かさとしてとらえ、新しいゲーテ像を呈示しようとするものである。

第一部では、戯曲『トルクヴァート・タッソー』に多くの評者が表明してきた「違和」の内実を検討しつつ、この戯曲が、作品の構造においても、また登場人物の間の関係においても、規制の枠組みのなかに収まらない「無名」のものであり、その点でこの作品は「古典主義」の概念から逸脱する側面を持っていることを示す。

第二部では「教養小説(Bildungsroman)」の典型とされる長編小説『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』を扱う。その際キイ・ワードとなるのが、「教養(Bildung)」の概念と深く関わりを持ち、小説の展開において重要な役割を果たしている「想像力(Einbildungskraft)」である。「調和的完成」を目指す「教養」の概念に関わると同時に、そこから逸脱する側面も持つ「想像力」がいくつかの層を有し、それらが互いに連関しつつ小説空間を形成しているという視点に立ち、多面的に作品全体の構造を明らかにする。

第三部では、ゲーテ老年期のとば口において書かれた小説『親和力』を論じる。登場人物エードゥアルト、シャルロッテ、オッティーリエの時間意識を軸にそれぞれの存在様式を分析し、調和的な生をめざす登場人物たちの理性的な営みのはらむ様々な亀裂が「遅れ」というかたちであらわれてくることを指摘し、近代人の危うさを明らかにする。