本稿は、『源氏物語』論として、その主題と表現について考察した十篇の論稿を、三つの論点によって整理したものである。

本稿第一部では、光源氏の造型と主題とがどのように関わっているかを考察した。『源氏物語』第一部においては、光源氏のさまざまな女たちとの交渉と、そこから生起する栄華への道程に焦点が据えられている。このような作品の構造については、古代国家支配の理論の投影と見なす〈色ごのみ〉論が提起され、文化人類学における成果とあいまって〈王権〉論による説明がなされてきた。〈王権〉論は、『源氏物語』における数々の恋の物語と不即不離にある政治の文脈を明らかにし、主に第一部前半にあたる、光源氏の須磨流離前後までの物語の理解にはとりわけ有効である。源氏帰京後に造営される六条院が抱える四方四季の構造もこの論理によって説明されている。しかし〈王権〉の論理は、『源氏物語』正編のすべての説明として有効であるわけではない。ことに第一部後半以降、超越的な偉人としての印象を薄くして、次第に権勢家の相貌を帯び、政権獲得の対立の構図の一角に据えられ、さらに第二部では、新たに得た正妻女三宮の人柄や柏木との密通によって、いっそう人間的な苦悩の人となっていく光源氏の後半生の姿は、〈王権〉の論理によって把握しようとする限り、その超越性の凋落であり、無残な老いの姿でしかないことになる。今日の源氏研究においては、とかく光源氏の後半生の造型については「凋落」「相対化」が指摘され、その中心性の喪失が指摘されがちであるが、少なくとも『源氏物語』の正編は、光源氏の一生の物語であり、ゆるぎなく主人公であり続けるその絶対性は疑うべくもない。光源氏の造型の変質は、物語の質の変化に対応するものとして、〈王権〉にさしかわる光源氏後半生の主題を、物語の表現に即して探る必要がある。光源氏は、物語が進行するにつれ、次第に記憶や人心を支配する者として、またより大きな認識や、人としての喜びや苦悩を担う者として、その主人公性が保証されるようになる。このような問題について、微視的な叙述の検討を通じて論じたのが本稿第一部である。

本稿第二部では、『源氏物語』を成り立たせる背後にある精神的もしくは社会的土壌の質を、平安時代の言葉の用法を通じて探ろうというのである。和歌や物語の発想によって造られた、平安時代の言語意識、物を見る発想の形を明らかにしようとするものであり、具体的には「名」「世」「人」の三語を取り上げた。

平安時代の語の用法は、〈自〉対〈他〉の構図を常に内に抱える。ただし、〈自〉対〈他〉は明確な二元というよりは、その間を繰り返し視線が往復することで、〈自〉によって〈他〉があり、〈他〉によって〈自〉がある、といった仕組みになっている。例えば「世」の語は自分の一生を表す語であると同時に、社会における関係を表す語でもあるという意味では、他者との関係と自己の生とが一体に認識されている。「名」も、固有名の意識が低く、状況に応じてしばしば改変される、という具合に、その時点での〈他〉との関係に応じて改変されるのである。このような〈自〉と〈他〉との間を無限に視線が往復するような認識の仕組みは、〈自〉対〈他〉の意識がきわめて強固であるからだともいえよう。「人」の語は、対象を異質なものとして認識し、その認識を介して自己を把握する語といえるが、平安時代においては、恋の相手も、世間の人々もみな等価に「人」である。そのような対〈他〉意識は、強烈な自意識の反映と受け止められよう。このような「世」「名」「人」などの語は、平易な日常語であると同時に、いずれも和歌の中で用いられた歌言葉であって、『万葉集』から『古今集』への和歌の表現史の返還の中で、平安時代に独自の言葉の意味を錬成させていったと思われる。本稿では、そのような和歌的土壌に育った語が、平安朝の仮名散文の生成にどのように寄与しているか、『伊勢物語』や『蜻蛉日記』や『源氏物語』など、平安の諸々の散文作品を通して確かめた。

第三部は、「『源氏物語』の論理」と題し、『源氏物語』の作品の論理を先行の物語や和歌、史実などとの関係において論じた。第一章では「後見」という概念を考察した上で、『源氏物語』の中の語の用例を確かめ、その使用のあり方から光源氏と女たちの関係についての一視点を提起した。また、第二章では「按察大納言」という官職名をとりあげ、『源氏物語』が歴史的事実や先行の物語の類型を踏まえつつ、いかにそこから離陸して『源氏物語』固有の論理として再構築しているか、明らかにしようとした。また、第三章に、引歌論を挙げた。狭い射程での引用論としてではなく、物語を構築する発想の核として和歌を論じたものである。