広東幇華人の慈善ネットワークに関する史的研究

帆刈 浩之

この研究は、明・清・民国期の中国大陸に会館として発展し、そして現在では海外華人社会において存続している同郷組織が織りなすネットワークの歴史とその構造を明らかにしようとするものである。

19世紀中葉、香港や上海など開港都市では列強によって近代都市建設が進行する。この時期、急速に台頭してくる商人グループに広東幇そして寧波幇がある。彼らは商業拠点にそれぞれ香港東華医院、上海四明公所を結成し、様々な慈善活動を展開した。

香港の東華医院は病院という近代的形態ではあるが、実体は同業ギルドの連合にもとづく広東人の同郷組織と考えられる。その活動は、医療はもとより学校・養老院の運営など香港の華人社会を対象とするもの以外に、難民の収容や故郷への送還、助葬、災害救済など、海外華人や僑郷を対象とするものが充実していた。

華人ネットワークはその発展過程において、次第にその機能の一部が制度化され、安定化がはかられる。広東幇の場合、医療機能の面において組織化が進行した。19世紀末、東南アジアを中心として世界各地の広東幇華人社会において民弁華人医院の設立が相次ぎ、医師や中医技術の交流を通して華人医院のネットワークが形成されていった。

この背景には、19世紀後半以降、広東幇華人の多くが肉体労働者として、東南アジアのプランテーションやアメリカ大陸やオセアニアにおける鉱山開発に従事していた事情がある。下層労働者にとって医療(中国医学)の無料提供は重要な慈善行為であった。一方、富裕な商人にとって、慈善組織の董事職への就任は自らの私的利益を拡大すると同時に、社会的名声を獲得する格好の機会であった。

広域商人のネットワークを維持するための方策の一つとして、慈善行為を不断に再生産させる社会倫理および制度の構築が必要とされた。それはネットワーク内における私的利益の調和的な実現(「公」の実現)への配慮であり、それを同郷組織の一事業として安定的に保障することであった。上海の寧波人同郷組織である四明公所、そして香港の東華医院はともに重要な慈善活動として、移民先で逝去した同郷の遺体を故郷へと送還するという運棺事業を運営していた。それは、東華医院の場合、北米・中米・東南アジア・東アジアという世界規模で行われており、そこから広東幇華人の所行活動の地域的広がりを窺うことができる。移民ブローカーなど同郷の商人によって組織的にリクルートされた移民の場合、客地での死亡に際して、同郷の慈善組織が助葬に尽力することは道義上、当然であった。運棺は故郷、ネットワークの中継地、そして移民先とを結ぶ同郷ネットワークを総動員する形で行われたため、ネットワーク参画者による経済的負担または慈善意識の共有という点でネットワークの安定維持に貢献したものと考えられる。

中国の同郷組織をその「団体性」において捉える限り、同じ機能を持った同郷組織が海外の華人社会でなお存続し続けていることの理由は見えてこない。中国社会における同郷組織の歴史的意義は華人の海外への展開をも視野に入れて考える必要がある。明清期以降、中国の商業都市に発達してきた同郷会館は20世紀初頭に衰退したのではなく、少なくとも大陸中国では50年代に共産党によって禁止されるまで存続した。世界的に地域間経済格差が存在し、人の移動が許容される限り、華人のネットワークは拡張し続け、同郷組織は再生産されるのである。東華医院を中心に形成された広東幇華人のネットワークは19世紀末すでに国境を越えて展開していた。個人にとって、国家や共同体ではなく、同族・同郷の結びつきによるネットワークこそがリアリティーを持つような空間、それが歴史的に形成された地域が華南であった。東華医院の慈善ネットワークは広東幇華人が共有したであろう、こうしたリアリティーによって支えられていたのである。

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