今水 寛(心理学)

心理学を意識したのは,かなり早い時期だったと思う.小学生のころ,理科が好きだった.実験,観察,解剖・・・,この世の中がどういう仕組みで動いているのか知ることは楽しかった.もうすぐ小学校を卒業というある日,商店街の本屋で「心理学入門」という文庫本を見つけた.「僕は難しい本を読んでいる」という見栄もあったと思うが,なんとなく惹かれて購入した.今となっては内容をほとんど覚えていないが,「ひとの心を科学的に理解する」というメッセージは覚えている.ひとの気持ちになりましょう,とか,ひとが何を言いたいのか考えましょう,というのは,だいたい道徳や国語の時間にやることで,科学=理科と結びつくことが不思議だった.


その後,思春期を過ごす中で,人との関係で悩むことも多く,「ひとの心がどういう仕組みで動いているのか」解れば,もっと楽に生きられるのではないかと思うようになった.生物も面白く,迷ったこともあったと思う.しかし,大学受験の頃には,実験心理学なるものが存在することを知り,その言葉の響きに魅了され,そのあたりで人生の選択をしたのかも知れない.駒場の進学振分け(進学選択)では,心理に行けなかったらどうしよう,と言う不安はあったが,他に迷いはなかった.


幸い点数は足りて,本郷で実験心理学を学ぶことになる.しかし,心理学の講義を聞くにつれて,「ひとの心がどういう仕組みで動いているのか」科学的に理解するまでには,まだ相当時間がかかりそうだ,ということはまず理解できた.実験をしてデータを解析することは,それなりに楽しかったが,これが自分のやりたかったことなのか,という思いは残った.


そんな月日の中で,プリズム眼鏡という実験装置に出会う.目の前にプリズムを置くと,光は屈曲して目に入ってくるので,実際とは異なる位置に対象物が見える.その状態で,何か物体を掴もうとして手を伸ばすと,そこに物体はなく,虚空を掴むことになる.言葉で説明するとただそれだけである.しかし,実際に体験したときの不思議さは,ちょっと言葉にならない.いままで普通にできていた,物体に手を伸ばすという行為が,一瞬でできなくなるのである.いったい自分は何を信じたら良いのか,絶望的な気持ちになる.だが,何回も手伸ばしを繰り返していれば,やがて物体が掴めるようになり,プリズム眼鏡をかけた世界に適応する.この驚きと,短時間のうちに自分の中で生じるダイナミックな変化は,他の心理実験では経験したことのないものだった.


世の中では,ちょうどMacintoshやWindowsでコンピュータ・マウスが使われ始めたころである.私は,プログラムを書き換え,マウスが動く方向と,コンピュータ画面のカーソルが動く方向にズレを与えて,プリズム眼鏡と同様のことができるようにした.プリズム眼鏡では,手先がどのように動いたのか記録は残らないが,マウスの軌跡はコンピュータですべて記録することができる.ひとが新たな環境に適応するとき,どのような行動を取るか,そのパターンを詳細に分析することができる.


幸運だったのは,それとほぼ同時期に,機能的磁気共鳴画像法(fMRI)という,ひとの脳活動を測る方法が発明されたことである.fMRIで脳活動を測りながら,ズレを加えたマウスを使ってもらう.何回も練習して,うまく使えるようになるにつれて,脳活動がどんどん変化していく様子を画像で捉えることができた.プリズム眼鏡のダイナミックな体験と,脳活動が結びついたのである.その後は,ひとの学習や適応のメカニズムをもっぱら研究することになる.


少し横道に逸れたが,「ひとの心がどういう仕組みで動いているのか」,私は理解できたのであろうか.面白いことはいろいろと知り,経験もしたが,理解するのにまだ時間を要する状態は変わっていない.しかし,ひとの行動に影響を与える,いくつかの原理・原則が存在することは確かである.それは極めて概念的な知識であったり,時には数式で表現できるような理論であったりする.原理・原則が解っていれば,ある程度,行動を予測することができる.一見,不可思議な人間の行動の背後にある,実は単純な原理・原則を見つけたとき,心の底から面白いと思う.


ここまで書いて,今さらであるが,「選択盲(choice blindness)」という心理実験がある(Johansson et al., Science, 2005).2人の人物の顔写真を,実験参加者に見せて,どちらが魅力的かを指さしてもらう.一度,写真を伏せて,指さした方の写真を渡し,なぜそちらを選択したのか理由を問う.このとき,参加者に気づかれないように,写真をすり替え,実際には選択しなかった方の写真を渡す場合がある.参加者は,すり替わったことに気づかなくても,尤もらしい理由を述べることがある.ひとは自分の選択を肯定するために,後付けの理由を考える,という原則も存在する(同様のことは,これまで「私の選択」にエッセイを書かれた何人かの先生も指摘しておられる).既に選択してしまった人の意見は,参考にならないというつもりはない.しかし,もし進路の選択に迷うなら,自分が理屈ぬきで気になったこと,惹かれたことは何だったのか,子供の頃まで遡って考えて見るのも良いのではないか.そのとき,文学部のいずれかの研究室(もちろん心理学も含めて)が,選択肢に残る確率は高いと思う.人間にとって一番興味があるのは人間だから.