駒場から本郷へ進学する前後の事

渡辺 明(英語英米文学)

父親が英語学者で、将来大学の英語の先生になるのもよいのでは、という程度の気持ちで大学に入ったのであったが、受験勉強も終わったし、駒場時代は小説その他読みたい本を読みながらのんびり過ごしたい、というのが、当時、最大の希望であった。しかしながら、履修しなければならない授業はあり、サークルにも入っていて、なかなかのんびりとはできない。そうした中、第二外国語としてフランス語を選択していて、英語と似ているところが多々ありながら違っているところは違うフランス語に、不思議な感じを覚えていた。駒場時代に一番力を入れていた授業はフランス語だったかもしれない。加えて、私が駒場にいた1980年代前半は、丸山圭三郎のソシュールに関する本が出ており、一般言語学について興味をかき立てられる環境でもあった。オレも英語学者になるかな、と安易に考えたとしても、研究で何をやるか全く見当もつかなければ話にならないので、英語で書かれた言語学の入門書を読んだり、あるいは、英語学専攻学生のためのハンドブック(これは日本語の本)に目を通したりはした。その程度で何がわかるというものでもないが、それでも言語を分析していくとはどういうことか、初歩の初歩に触れることにはなった。また、人間の思考を支える言語一般ということは十分魅力的な問題であったし、人間として可能な思考は何か、そしてその裏返しとして、人間として不可能な思考とはどういうことになるのか、などといった疑問を漠然と考えてもいた。

そうこうしているうちに、進学振り分けで進路を決めなければならないので、言語学科という選択肢も考えつつ、「つぶしがきく」ということで英文科に進学した。当時、英文科の英語学は長谷川欣佑先生という生成文法をやっている人だということで、2年生の最後の学期の試験が終わる頃には、とにかくまずチョムスキーのものを何か読まねば、と思い、Aspects of the Theory of Syntaxという、生成文法の標準理論を確立した初期の重要な本に挑戦した。まあ、この辺から始めるのがいいいかも、ということは、上記のハンドブックなどを読んだりすることで頭には入っていたのである。Aspectsは、学部2年生がいきなり原文で読むにはちょっとハードルが高くはあったが、普遍文法の理論を作らなければならないとするとどういうことを考える必要があるか、ということに関して、現在から見てもほぼ完璧な問題設定を第1章で行っており、その熱度は当時の語学力でも十分感じ取ることができた。(ちなみに、その第1章は、『統辞理論の諸相』のタイトルでつい最近岩波文庫から出た。)それに比べると、これまた一応、駒場にいるうちに読んでおくか、ということで手に取っていた、伝統文法の英語学者として有名なイェスペルセンの英語文法の本などは退屈であったのだ。今でもそうだが、普通の文法書など、何かよっぽど特別の目的でもなければ通しで読んで面白いわけがない。

で、Aspectsの標準理論だが、ヒトの言語能力を解明する普遍文法の理論を作ろうという決意表明を第1章でしているぐらいなので、普遍文法の理論といえるほどのものは実はまだない。生成文法というのは理論言語学のプロジェクトなので「標準理論」などと称したりするし、数学的に厳密な言語演算システムが構造分析のために提案されてもいるのだが、真に普遍文法の理論の名にふさわしいものが登場するのは、Aspectsの出版から16年たった1981年に出た、チョムスキーのLectures on Government and Binding(以下略してLGB)という本である。例えば英語とフランス語は似ていても違うところがあるわけで、普遍文法理論と呼べるものは、言語間の違いをどう位置づけるかということに関して少なくとも全体像がイメージできるような原理的な答を用意していないと話にならない。文構造に関してそうした理論を人類の言語研究史上はじめて提示したのがLGBで、これに出会ったのが学部3年の秋である。カードにメモを取ったりしながらAspectsをひと通り読み終えたあと、チョムスキーの主要な論文や著書を授業とはほとんど関係なく読んでいってLGBまでたどり着いたのだが、何といってもこれは決定的であった。この本で提示された普遍文法理論がどこまで妥当かはさておくとしても、いい線いってるのではないか、と思わせるだけの実質的内容がそこにはあり、Aspectsにおいていわば五里霧中であった状態からよくここまで来たもんだと感動すらおぼえたのである。英語とフランス語の違いをどう捉えるかという課題についても、チョムスキー自身によってではないが、当時の理論の枠組みで研究がいろいろとなされており、そうした論文を読むことによって、第二外国語を学んでいたときの不思議な感覚を研究レベルでの具体的問題として認識することができたのは、間違いなく、日英語の文構造の比較分析を中心にすえた現在の研究者生活の出発点となっている。

という感じで、とりたててビジョンがあったわけでもなく、英語学者にでもなるかな、とぼんやり考えていたところからは想像もできない、面白い知的世界がひらけていったという次第である。今世紀に入ってから、係り結びの構造分析に手を出してみたり、自然数と言語の関係について考えてみたり、英文科の先生をしているので英語の研究もやってます、と一応言ったりしつつも、どちらかというとそれ以外のことに夢中になれたりしているのは何ともいえず楽しい。Aspectsの出版から50年ちょっとたった現在では、普遍文法理論との関連でこれらの問題に意味ある形で取り組むことが可能になっているのである。数学に英語に日本の古典が好きだった中学高校時代を懐かしく思い出すことが年のせいでよくあるのだが、その連立方程式を解けば生成文法だった、といえようか。