いくつもの出会い

大津 透(日本史学)

自分がどうして現在専攻している研究分野を志すようになったか、答えられる人は多くはいないだろう。好きだからというのが最も正しい答えだろうが、どうして好きになったかのかを説明するのはむずかしい。あとで振り返った合理的な叙述は、自己正当化や言い訳がはいり、史料としては信頼できないものである。ここでは筆者が駒場の一・二年生の時にどのようなことがあったか、記憶を探ってみることにしたい。


筆者が駒場に進学したのは一九七九年のことである。そこではいくつもの重要な出会いがあった。第一は、先生とゼミとの出会いである。駒場での大人数の講義に生理的になじめなかったが、当時小人数講義という二〇名以内のゼミナールがあり、それに積極的に参加した。笹山晴生先生は、駒場から本郷に移られたばかりだったが、なお駒場で『日本書紀』講読(天武紀下)の授業を続けられていた。そこで皆で史料を読み、調べることの楽しさにはまっていった。日本古代史には厖大な研究史があるが、駒場の学生なりに関係する論文を読んで研究史を踏まえながら、日本書紀のこの一条の歴史的意味を考えて発表するという作業により、限られた史料から確実なことを何処まで言えるかという学問の厳密さを垣間見ることができ、本郷の文学部で行なわれている演習とはどのようなことかを体感することもできたのである。また史料編纂所の山中裕先生の『栄花物語』講読のゼミがあり、駒場の稲岡耕二先生(上代文学)の折口信夫を読むゼミにも参加した。駒場の授業だから文Ⅲの学生だけではないのだが、ある程度の学問的水準が維持されていたのが不思議である。

笹山先生の日本書紀のゼミでは、秋休みに奈良への旅行があり、平城宮跡や飛鳥など、古代史の基礎であり、日本書紀の舞台となっている史跡の見学をした。このときには文学部三年生の古代史の先輩方も参加してくれるという組織的なものであった。本郷で古代史を教えるようになって、駒場のあいだに奈良・飛鳥の基本となる史跡をきっちり見学しておくことがいかに望ましい環境だったか痛感する。宿は奈良国立博物館の向かいの日吉館であった。文化人の宿として有名なこの宿のほぼ最後の営業期間に宿泊できたことは、今となっては学術的な価値がある。名物女将(田村キヨノさん)が笹山先生に「立派になって」といっていたのが忘れられない。またこの時平城宮の案内をしてくれたのが、当時奈文研に就職して間もない佐藤信氏であった。山中先生の栄花物語のゼミも、本郷から国文の院生や学部生であるIさんやFさんも参加され、終了後は渋谷でお茶をするという先生のお人柄を慕って集う親密なゼミであった。結局両氏とはその後『御堂関白記』や藤原道長の研究会などで三〇年以上のおつきあいとなった。

そういうつきあいのなかで多くの気の合う友人に出会った。駒場では語学がドイツ語既習という変なクラスに入ったので、英語で一緒になる中国語の文Ⅲ二組の人々と仲良くなった。一緒に進学して古代史を勉強することになるE氏やY氏、中世史のH氏をはじめ、美術史や国文学、仏教、建築史に関心を持つ友人たちとともに学び、関東近郊の史跡や寺院などに旅行した。また、駒場図書館(現在のアドミニストレーション棟の場所にあった)の三階の部屋をかりて有志で『寧楽遺文』の研究会をした記憶もある。そのなかには現在文学部で同僚となっている人もいる。

もう一つの出会いは、もちろん書物である。容易には読めそうもないと思っていたので、まとまった時間をとって石母田正氏の『日本の古代国家』(岩波書店)を読んだが、その時の衝撃は忘れられない。実証的な研究成果を取り入れた上で、文化人類学をふまえ在地首長制という大きな独自の理論をくみあげ、古代国家の仕組みとその歴史的意義を描ききっている。日本書紀講読で見てきたような地味な史料の考証が、大きな理論のもとに再構築されるさまは圧倒的だった。古代史研究はこんなにスケールが大きく面白いのだと感銘を受け、日本古代史の勉強をしようと決断したように思う。

駒場での二年間には自由になる時間が多くあり、それが良かった。色々な本を読んだだけでなく、東北から九州まで各地に、ひとりであるいは友人と、遺跡や仏像巡りに出かけることができた。はじめて奈良国立博物館の秋の「正倉院展」を見に行ったのも、大学一年生のときであり、その魅力にひかれ、ほぼ欠かすことなく毎年見学を続けている。


笹山先生は文学部定年退官にさいしての挨拶で、自身は前期教育(名古屋大教養部と駒場)と後期教育(文学部)とほぼ同じ期間携わったとして、前期教育の重要性を述べられていた。自らの以上のべた経験もあり、私も一九九七年に文学部に着任してから、一〇年ほど小人数講義の後継である全学自由研究ゼミナールに出講し、できるだけ『日本書紀』のゼミを続けた。なかには日本史や考古学に進学した学生もいたので、駒場の学生の要望にある程度応えられたのではないかと思っている。ただ自身が忙しくなり、また学生の気質も変わってきたこともあり、近年は出講できなくなっていて、申し訳なく思う。奈良へのゼミ旅行もできたら良いと思っていたが、学生にかなりの主体性がないと難しく、結局二回しか実現できなかった。なかなか制度的な裏付けがないと課外活動は難しいように感じている。

駒場生のみなさんには、是非自分の時間を有益に使って、充実した生活をして、文学部に進学してもらえればと思っている。