考古学,そして韓国朝鮮へ

早乙女雅博(韓国朝鮮文化研究)

私は現在、韓国朝鮮文化研究専攻に所属する教員です。今から12年前にできた新しい専攻で、学部を持たない大学院のみの独立専攻です。したがって、駒場から文学部に進学した学生が、本研究室に属するようになるのは大学院へ入学してからです。人文社会系の専門分野が異なる教員より構成される本専攻は、韓国朝鮮という地域を研究対象として学際的な教育と研究をおこなっています。私の専門分野は考古学で、その対象地域が韓国朝鮮なので、進路の選択にあたっては「考古学」と「韓国朝鮮」という2つの段階がありました。

さて選択とはいっても、大学を受験する時にはすでに考古学の道に進もうと考え、文科Ⅲ類を受験し、進振りでは迷わず考古学科に進んだ。その頃の進振りでは底点でも進学できたので、成績を気にせず駒場時代を過ごした。ということで、私の進路選択は学生諸君には参考にならないと思うが、このような東大生もいたのである。成績を気にせずとはいえ、単位を落とせば本郷に進学できないので、必ず試験を受けレポートがあれば提出することだけは心がけた。

考古学に興味を持ち始めたのは、中学生の頃だったと思う。多摩川を渡って都心の学校に電車通学を始めた私は、田舎から都会へ出たような感覚でさらに大人になった気分であろうか、同じ方向に帰る友人と途中下車して古本屋通いを始めた。そこで何気なく1冊の本を手に取ったのが、考古学とのはじめての出会いであった。中高生向きにやさしく書かれた本で、ペラペラめくったのちすぐに購入した。この本は、その後何度も読み返し、今でも記憶に残っている。まもなく、両親の郷里へ帰省したとき、かんぴょうの皮むきを見にいこうと伯父に誘われ畑に行ったとき、そのとなりで大学生たちが発掘をしていた。たしか寺院址の発掘であったかと思う。伯父は中学校の教師をしていたが、中学生を連れて発掘に参加した経験もありすぐに発掘現場での見学となった。自分では掘っていないが、この時がはじめての発掘との出会いとなった。

高校では自分の関心に近い地歴部に属していたが、地理や歴史(文献)に全く興味を持たず、他校のクラブの発掘に1人で参加したこともあった。博物館や美術館にもよく行っていたが、このころは漠然と遺跡や遺物に興味をもち、学校では学ぶことのない考古学へ憧れ、将来はこの方面に進もうと考えていた。そのようなわけで、文系か理系か、法学部か経済学部かという迷いもなく、文学部へ進む文科Ⅲ類を選んだ。また、文科Ⅲ類にいて気が変われば、他学科や他学部へ進むことも可能なので気楽に考えていた。

駒場では遺跡や発掘現場の見学に行ったり、自らも古墳の発掘に参加した。教科書で読んでいた歴史とは異なり、自分の眼と手で直に歴史に触れている気がして、ますます考古学にのめり込んでいった。教養としての考古学の授業はなかったので、東大紛争後にできた自主ゼミナールを利用して考古学の先生を呼び、発掘報告書などを輪読して理論的なことも少しは学んだ。

古墳の発掘に参加したことやゼミで古墳を専門とする先生を呼んだことがきっかっけとなり、日本の古墳時代に興味をもち古墳研究に進もうと考えた。しかし、その時代はすでに文献にも記されているので、文献の古代史も学ばなければいけないと思い国史研究法入門の授業をとった。この授業のときか、誰かに薦められて読んだかは覚えていないが、石母田正の『日本の古代国家』(岩波書店1971)を読んだのが、韓国朝鮮や中国に関心を持つきっかけとなった。「対外関係という一つの契機が一国の内政に転化してゆき、また逆に内政が対外関係を規定する基礎となる」(2頁)という一文に目がひらかれ、日本の古代史を考えるのに日本の古墳時代の勉強だけではダメで、アジアの古代史と考古学を勉強することにより、新しい展望か開けるのではないかと考えるようになった。

ちょうどその頃、1971年に韓国で武寧王陵(百済)の発掘があり、1972年には奈良で高松塚古墳が発掘された。前者からは中国の陶磁器や日本の高野槇でつくった柩が出土し、後者の壁画図像には中国の唐や朝鮮の高句麗の影響が見られ、考古学からも対外関係の重要性が認識され始めた。「対外的契機」という言葉が、なぜか新鮮に感じられた。文学部に進学してから、はじめて韓国に行く機会が訪れた。そのとき偶然ではあるが、慶州で古墳の発掘現場を見学し、純金の冠や帯金具が掘り出されたのを間近に見ることができた。この時の感激は今でも忘れない。この古墳は慶州では最大の大きさで、発掘の結果により新羅の王陵とされた。これがきっかけとなり、大学院では韓国朝鮮の考古学を学ぼうと考えた。

もうずいぶん昔になるが、韓国の友人から日本人がなぜ韓国のことを研究するのですか、韓国人が韓国の考古学を研究しているから、その成果をもとに「対外的契機」を考えればいいではないか、と言われたことがあった。しかし、日本を中心としたつまみ食い的な「対外関係」では、ご都合主義になりはしないかという疑問をもち、一度日本という地域から離れて外国考古学として韓国朝鮮を研究しようと考えた。その際には、日本での考古学や史学の方法論がたいへん参考となった。また、韓国考古学での方法論で日本をみることもできた。日本人が外国研究をする意義もそのへんにあるのではなかろうか。

なぜ考古学へ進んだかは深い理由があるわけではないが、なぜ韓国朝鮮を対象地域として選んだかは、大学時代のこのような経験があった。