肥爪周二(国語学)

「私の選択」というお題を与えられた。国語学を専攻するという選択、就職をせずに大学院に進学するという選択、研究者として生きてゆくという人生の選択、等々、主に筆者の二十代の頃を振り返ることが期待されているのであろうが、あれこれ考えてみても、どうもはっきりした記憶がない。細かな断片的な出来事は色々あるのだけれども、「選択の瞬間」とでも言うべき、凝縮・純化された出来事が、どうも思い当たらないのである。

私が国語学を専攻するようになったきっかけは、偶然の要素がかなり強い。進学振り分けの時、いくつかあった候補のうち、たまたま最終決定の段階で、国語学の気分であったという程度のことであって、タイミングが数ヵ月ずれていたら、言語学や中国文学に進学していた可能性だって大いにあるのである。生来、優柔不断・楽天的な私は、その場その場の流れに身を委ねてしまう傾向の強いようである。もし国語学以外に進学していたら、おそらく大学院に進学することもなかったであろうし、学部生のころアルバイトをしていたサンリオの倉庫にそのまま就職し、今頃は、キティちゃんに囲まれて、毎日楽しく暮らしていたかも知れないのだ。

もちろん、駒場のクラスメートの中には、入学した時から将来専攻する分野を決めていた人も少なくはなかったし、本当にそのまま、当初の志望通りに進学した人もいる。それはそれで結構なことであるし、そもそも具体的に学びたいことがあったからこそ、文科三類を受験したのであろう。しかしながら、東京大学の進学振り分け制度は、むしろ最初から進学先を決めているわけではない、かつての私のようにぼんやりした学生にこそ最適なシステムであると思われる。あるいは、心に決めた進学先があったとしても、いったん思い込みを白紙に戻し、あらためて様々な学問ジャンルに目配りをするための期間が、駒場の教養課程なのであろう。

私が最終段階で国語学を選択した時の気分は、今振り返ってみるとごく浅はかなものであった。色々な外国語を勉強するのが大好きではあったけれども、結局何一つとしてものになっていなかったという現実がまず前提となるのであるが、自分の母語である日本語以外では、何らかの独自性のある研究をすることなど不可能だというのが、当時の私の気分であった。言語研究は、その言語を母語とする研究者が圧倒的に有利であるというのは事実であるけれど、実際の研究はそれほど単純なものではない。研究分野も研究スタイルもきわめて多様であって、母語話者以外にはすぐれた研究が出来ないなどということは全くないし、そもそも母語話者の研究者が存在しない言語・方言はいくらでも存在する。一方、実際に進学した国語学にしても、駒場生のころ想像していたものとはだいぶ異なるものであった。

このような思い違いは、どのような専攻であっても多かれ少なかれ起こることであると思うが、私の専攻である「国語学(日本語学)」は、特に誤解されやすい分野であると思われる。まず、学校の教科としての「国語」では、国語学が研究対象としている内容は、ほとんど扱われていないという事実がある。また、テレビのクイズバラエティなどで取り上げられる日本語関係の情報(漢字の読み書き、語源、「正しい日本語」など)は、表層的な知識の断片に過ぎないのであって、本質の解明を目指してデータを集めてゆく「研究」とは、方向性が正反対であるとさえ言える。言語研究においては、これらのいかにも「知識然」とした事象よりも、むしろ小学生でも無意識のうちに使いこなしているような、ありふれた事象こそが、研究の中核となる。助詞の「は」と「が」の使い分けなどは、日本人ならば特に迷うこともないし、使い分けを考える機会自体がまずないであろう。しかしながら、どういう時に「は」を使い、どういう時に「が」を使うのか、使い分けの基準を明示することはきわめて難しく、誰もが納得できるような説明は、いまだ提出されていない。研究が進展すればするほど、問題も細分化され、分かっていないことのリストが増えてゆくのが言語研究の常である。日本語は分からないことだらけなのであるが、それは、日本語が世界でも研究が進んでいる言語の一つだからなのである。

欧米の言語研究の影響を受けて、日本国内で近代的な日本語研究が為されるようになってから、すでに百数十年が経過しており、研究の深化とともに、「国語学」と称する学問領域が扱う範囲は、拡大の一途をたどってきた。傍から見ると、「それのどこが日本語の研究なの?」と思われてしまうようなことまで、国語学の守備範囲となっている。そういう意味でも、国語学は一般の人には分かりにくい学問である。私が国語学が扱う範囲の広さを思い知ることになるのは、様々な関連学会に参加するようになり、他大学の先生や大学院生の研究発表を聞くようになってからのことである。

ところで、私の中学二年の時の夏休みの自由研究は「早口言葉はなぜ言いにくいのか」であった(学校長賞をいただき、わりと気をよくした)。このテーマは国語学の中でも、現在私が専門とする分野(日本語音韻史)に、きわめて関連の深いものである。この話をすると、そんなに昔から音声の問題に関心を持っていたのかと驚かれるが、実際には、この自由研究の後、特に音声・音韻に関わることに強い関心を持っていたということはないし、以上縷々述べてきたように、ぼんやりと遠回りをし、多大な勘違いを抱えたまま国語学を専攻するようになったのである。音声・音韻に専門が絞られてゆくのは、さらに後の話である。

私の選択には知識不足による勘違いも多かったのであるが、この選択自体を後悔しているということはまったくない。東京大学の文学部に設けられているような専攻は、それぞれが長い研究の蓄積を持っており、それぞれが多彩な研究分野を内包している。進学前に想像していたものとかなり実情が違ったとしても、必ずそれぞれの専攻の内部に、興味を持てるジャンルがあり、自分の肌に合う研究スタイルが存在するはずである。