選択の自由 ―私の場合―

武川 正吾(社会学)

よく後期課程の学生から「先生は何で社会学を選んだのですか」と聞かれることがある.これは正直なところ,私にとっては答えるのが難しい質問である.「気づいたら今の自分がいました」とか,ましてや「理由などありません」と答えるわけにはいかないので,一通りの説明はすることにしている.たいていの場合,相手はそれで納得する.しかし自分自身がその説明に得心しているか心許ない.

ひとつには,何故なぜという質問に対して「それはAだからです」と答えてみても,「わかりました.それでは何故Aなのですか」と次の質問が待っているからである(実際にそこまで聞いてくる学生は少ないが,その可能性はつねに開かれている).「それはBだからです」と答えても,「それではなぜBなのですか」‥‥と無限に続く可能性がある.

もうひとつは,「それはAだからです」と明言しながらも,その背後には,「じつはA1という要因もあったな」とか「A2という要因もあったな」とか「A3という要因もあったな」などという考えを頭によぎらせている自分が控えているからである.

たいていの場合,そうした様々な要因群を,後知恵的に振り返りながら時間のなかで秩序づけて,自分が進学先に社会学を選んだ理由を組み立てることになるのだが,そこには,どうしても説明されない部分が残ってしまう(統計学の比喩でいうと決定係数は小さいままである).そうした留保をつけながら,「私の選択」に関する記憶をたどってみたい.

本学の場合,入学後に後期課程の進学先を決める学生が多い(とくに文一,文二,理三以外).私は文三に入学したのだが,入学直後の学生主催のガイダンスで,司会の上級生から「これで受験競争は終わりましたが,これからは進振り競争が始まります.しかも相手は今までと違って東大生です」と煽られて,面食らったことを思い出す.もちろん点数も重要なのだが,それ以前に,自分がどこに進学したいのかが決まっていなければ,そうした進振り競争に参加することもできない.私は競争に参加する以前の状態だった.

後に偉くなった社会学者のなかには大学に入る前に社会学を専攻することを決めていたひともいる.清水幾太郎や福武直は,それぞれの自伝でそう述懐している.他方で,いろいろと寄り道をしながら最後に社会学にたどりついたという社会学者も少なくない.当然,私の場合は(偉くはならなかったが)後者の部類に属する.進学先が決まるまでの駒場の三学期間は,優柔不断の連続だった.

文三を受験したのは,文学部か教養学科に行って勉強したいと思ったからである.しかし,そのことでその他の可能性を捨てたというつもりはなかった.というのは高校生のときに読んだ岩波文庫の白帯の影響もあって,経済学への関心も捨てきれないでいたからである(当時,社会科学系の岩波文庫には白帯がかけられていた).また点数が良ければ文三から経済学部に進む道も開かれていた.

駒場でのクラスはフランス語を選択した.最大の理由は,高校時代の愛読書であった加藤周一『羊の歌』のなかに「仏文研究室」という章があって,そこに描かれていた,戦時中であったにもかかわらず時流に流されない研究室の雰囲気に惹かれたからである.また最初の受験に失敗した後に森有正の数冊に癒やされたという体験もあった.さらに中学のとき「出口なし」を読んで以来,サルトルのファンだったということもあった.最初は仏文に進学する可能性もあったのである.

しかし,一年のとき,蓮実重彦先生と新倉俊一先生の二人からフランス語の初級文法を習うという最高の贅沢を味わうことができたにもかかわらず,仏文進学の線は次第に弱くなった.あとから考えると(青帯の読書の延長で)哲学研究会というサークルに入ったことの影響が大きかったと思う.そこで,高校のときには知ることのなかった多くの著者と著書を知ることになった.研究会では海外の有名な哲学書を(翻訳で)読むことが多かったが,日本人の著作も多く取り上げられた.そのなかには平田清明,大森荘蔵,廣松渉,真木悠介などが含まれていた.いずれの著者からも影響を受けたが,とくに真木悠介(当時,教養学部の教官であった見田宗介先生の筆名)の作り出した世界は新鮮だった.それまでバラバラだと思っていた自分の関心が,それぞれつながっている,あるいはつなげることができると思われたからだ.

当時の駒場は全学ゼミが盛んだった(いまでも盛んかもしれない?).真木の著作をきっかけに,社会学関係の全学ゼミ取るようになった.メキシコから帰ってきたばかりの見田先生のゼミではカスタネダを読んだ.松島静雄先生のゼミではウェーバーを読んだ.馬場修一先生のゼミではマンハイムとサルトルを読んだ.森田桐郎先生のゼミではマルクスの経哲草稿を読んだ.と,このように書いてくると,進学先の志望が次第に社会学へと収斂してきたように見えるかもしれないが,じつはそうでもない.やはり同じ頃に読んだ大森荘蔵と廣松渉の衝撃が大きかったからである.最後まで逡巡したが,彼らの呪縛から逃れるようにして,社会学に決めた.現在国際政治学者として活躍中の知人からは「サルトルに夢中だったオマエが何で社会学なんだ」と聞かれた.現在は他大学で哲学の教鞭をとっている当時の研究会メンバーからは「君は山口昌男ばかり読んでいたから人類学に行くのだとばかり思っていた」と言われた.

林達夫がみずからを「落伍した哲学者」「哲学の落第生」と書いたことがある.私も(否,は!?)アイロニーなしに「挫折した文学少年」「落伍した哲学青年」として社会学者になったのかもしれない.しかし,そのことにいま後悔しているわけではない.

以上が,現時点(2013年1月)での「私の選択」である.ただし,これから後,忘れていた記憶が蘇ったり,新しい事実が発見されたりして,ここで語ったことが更新されるかもしれない.