研究者になるまで

小林 正人(言語学)

私は気が弱い。およそプレッシャーというものが苦手で、受験競争がいやで高校を辞めたほどである。みなが一心不乱に勉強している図書館に行くとあらがい難い眠気を覚える一方、騒然とした駅のベンチでにわかに学習意欲を覚えることもある。高校を辞めた後も、半年ほどぶらぶらしていると、次第に学習意欲が湧き、毎日英書を読んだり、古典語を勉強して過ごすようになった。そういうあまのじゃくな人間が何かを選択するとき、競争の少ない、ひそやかな分野に心惹かれるのかもしれない。

高校を辞めたころは、多くの青年がするように、ひとは楽しくもない人生を何のために生きるのかということをよく考えた。自分の人生の難問に取り組むことなくしては、実用的な学問を修めて世の中を渡っていくのは無意味だと思ったので、大学に行きたいと思い直したときから、人文的なことが学べる学部に行こうと心が決まっていた。計画どおりにならない人生だから、天の導きにまかせて学びたいと思うことを学ぶのがよいと思う。なおずっと後になって気づいたことだが、本をちゃんと読めるようになるには本の読み方を学ぶ必要があり、それを体にしみこむほど教えてくれた文学部の学問は、意外にも実用的であった。

京都大学の文学部に合格すると、年来の関心であった哲学の勉強をしたいと思い、概論に出たところ、先生は毎週毎週ゼノンの逆理、「なぜアキレスは亀に追いつけないか」について論じられ、鬼気迫る講義に感銘を受ける一方で、自分には一つの問題を到底ここまで考え続けることはできないと観念した。言語学の講義に出てみると、5段階×5段階の複雑な声調体系の話で、そんな微細な違いが聞きわけられないと言語学はできないのかと驚愕して、これも早々と脱落してしまった。学生仲間には「高校卒業までに古典文学大系を全部読んだ」とか、「小学生でドストエフスキーの長編小説を読んでいた」とかいう猛者がいて、文学系でもやはり気おくれしてしまった。そうこうするうちに、教養部の空いた教室でひっそりと開かれていた非公式のサンスクリット入門に顔を出し始めた。せめて辞書くらい引けるまで、と思って始めたものの、引きたい単語の語根が分からないと辞書を引けず、語根が分かるためには活用を覚えねばならず、それ以前にどこからどこまでが単語なのか分からず、瞬く間に一年が経ってしまった。サンスクリットには西洋古典のように詳しい註解本が出ているテキストは少なく、サンスクリットで書かれていて時には本文より難しい注釈に頼るしかない。引けない辞書と夜がな格闘していてそれ以外の勉強をしなかったので、ほかに選択肢があるわけでもなく、梵語学梵文学という研究室に入った。人は人からしか学びえないので、肩書きや名声よりも自分の導きとなる人との出会いを大切にすべきだと思う。梵文学の先生は、少なくとも教え方という点では、誰よりも自分に向いていた。

もちろん、サンスクリット学ならば競争もプレッシャーもないかというとそうではなく、先輩たちを見ると一つのテキストの一つの注釈書の一つの章について一生かけて研究しているといった深遠この上ない分野であったが、19歳の若者には知る由もないことであった。研究職が狭き門だということもすぐに気がついていたが、知りたいという気持ちのほうが強かったし、意見めいたことをめったに言わない父が「十年やってみろ、何とかなるから」と励ましてくれたこともあり、大学院に進んで本格的に研究したいと思うようになった。サンスクリットの原初の姿を残すというヴェーダの演習に出始めた頃には、一語一語について研究史をたどり、太古のテキストから意味をくみとる作業の楽しさも知るようになっていた。

その後の研究人生は、一度はつまずいた言語学をアメリカで勉強しなおして学位をとり、帰国して私立大学に英語教師の職を得てからは、業務の合間にインドに行って少数民族言語の調査を始めるようになり、テキストではなく人間、それも自分とはおよそ異なる世界や価値観をもつ人たちと向き合うようになる道のりだった。学生時代はやることなすこと失敗ばかりで、登りがたい絶壁を前にして立ちすくむように、たえず満たされない思いが胸にくすぶり続けていたが、漠然とでも「こういうことをしたい」と思い続けて、ことあるごとに出会った人々や知遇を得た先生方に話し、通らない応募書類を出し続けていたことがよかった。留学したいと思っているとアメリカから誘いの電話がかかってきたり、調査したいと思っているとその地域の専門家に出会って教えを受けるなど、少しずつ機会がめぐってきて実現していった。十年ほどかかって、パズルでも解くように、自分の研究人生がおのずと形をなしてきた過程であった。今でもインドの山奥で石ころだらけの斜面を耕して生きる人々に会っては、民話など言語資料の収集と分析を続けている。いわゆるフィールドワークだが、自分にとってはつまるところ「なぜ生きるのか」という高校時代からの問いへの答えを求める旅である。少数民族の人々のおかげで、硬い土地から硬い人間が生まれることを知り、貧しくともおよそ人の生きるところにはユーモアやペーソスや誇りや愛情があり、苦しい人生にも生きる喜びがあるのかも知れないと思えるようになった。