生涯、古美研

高岸 輝(美術史学)

古美研が終わった十一月の奈良で、心に穴の開いたような寂しさにおそわれた。大袈裟に言うと、青春が終わったような気さえした。そのとき私は二十歳で、東京藝術大学の二年生だった。古美研(こびけん)とは古美術研究旅行の略で、藝大美術学部の必修科目。奈良市内に大学附属の古美術研究施設があり、ここで同じ学科の同級生二十名と寝食をともにし、教授や現地の助手の引率で二週間にわたって近畿の古社寺や美術館を見学してまわる。多くの作品は、教室のスライド映写で鑑賞しているはずなのだが、現場で本物を体感すると印象が全く違う。現地でしか味わえない空間で、優れた作品のもつ力が、五官を刺激し、皮膚に迫ってきた。それは、芸術家を目指す実技の学生にとっても、私のように美術史や美学を専攻する芸術学科の学生にとっても、日本で美術を学ぶことの根源的な意味を考える最高の機会となる。そして何よりも、長い修学旅行のような集団生活の楽しさは、今でも忘れがたい。

大和路の古寺で拝観する仏像の数々。早朝に訪れた東大寺大仏殿は、昼間と違って観光客がおらず、内部空間にある空気の総量みたいなものに圧倒された。聖林寺では宝物館の照明を消してくれた。すると暗闇の中に十一面観音の神秘的な表情が浮かび上がった。十一月の近畿地方は連日の秋晴れで、唐招提寺や法隆寺の境内は地面の白さと清々しさが際立つ。飛鳥では自転車を借り半日かけて古代を走りまわる。京都では、大徳寺や妙心寺の塔頭をめぐり桃山の障壁画と庭をいくつも観た。夜になると奈良の街に出てカラオケなどに興ずる。毎日、友人たちとともに美術作品を体感しながら時空を移動する。楽しくないわけがない。この生活がずっと続けばいい、と思ったかどうかは定かではないが、二十歳のころ独特の精神的な昂揚感のなかで、旅と友と美術が一体となった日々は青春の二文字でしか形容できないように思う。そして古美研が終わると皆、自分の専門に向かってそれぞれの道を歩みはじめることになる。現在でも、十一月の奈良や京都で、夕暮れのひんやりとした空気を吸うと、二十歳のころに友人や先生、そして美術作品のまわりにあった空気と全く同じだな、と感じることがある。

やがて三年生となり、私は卒業論文の研究テーマを日本中世の美術史に決めた。古美研の熱が冷めやらぬ中で、旅をしながら日本美術を観ること、正確には美術を体感するために旅をすることを生涯の仕事にしたいと考えるようになったのだろう。そして晩秋の夕方、卒業論文の相談をするため、定年間近の教授を研究室に訪ねた。「室町時代の風景画を研究したい」という、ぼんやりとした希望を述べる私に対し、江戸の文人のような風情の先生は、古ぼけた茶碗にぬるい紹興酒を注いですすめつつ、一冊の展覧会カタログを渡してくれた。『室町時代の屏風絵』(一九八九年、東京国立博物館)。室町時代の「やまと絵屏風」という、静かな光を放つ魅惑的な作品群があることを世に知らしめた伝説的な展覧会である。当時はそんなことを知る由もなく、先生とともに頁を繰りながら、紹興酒の酔いに任せてずいぶん遅い時間まで話をした記憶がある。

結局、卒論では大阪府河内長野市の金剛寺が所蔵する「日月山水図屏風」を取り上げることにした。私の郷土にある作品で、子供の頃からよく知っている作品である。思えば幼少時から好きだったものが、図画工作と歴史と旅行の三つ。それらを複合したところにある美術史に出会えたことは、幸運だったと思う。

その後、私の古美研は、作品のあるところ、美術館のあるところ、全国津々浦々へと拡大し、やがてアジアや欧米にも達した。日本の古美術はもちろん、東洋や西洋美術、現代美術や建築、二十世紀のデザインなど、興味の対象は「古」や「美術」の範疇に収まらなくなってきてもいる。また、旅先だけでなく、日常生活の中で都内の美術館・博物館へ足を運ぶことも、時空を超える古美研である。毎日が古美研、そして生涯、古美研が続きそうだ。

文学部美術史学研究室では毎年春に見学旅行をおこなっており、今度は引率する立場になって、新たな古美研を始めたところだ。「美術史」は、高校生までの授業で習うことのない科目で、絵やイメージを扱うから受験勉強とは異なるセンスも必要だ。しかし心配することはない。中学や高校の修学旅行で訪ねた京都や奈良の寺社、海外旅行で行った美術館や教会の空間。多くの人が体験したであろう、あの空気に何か感じるものがあれば、それが学問の出発点になる。二十歳前後の皆さんが、美術作品とともにどのような空気を吸い、何を感じるのか。その現場に立ち会いたい。