姫岡とし子(西洋史学)

このエッセイは、教養学部の1,2年生向けのものだそうですが、私が進路について悩み、大きな選択をしたのは、大学への入学前と卒業後のことでした。私は、今、文学部の教員ですが、18歳の時に私が選んだ学部は理学部でした。中学生の頃から専業主婦にはならず、働き続けたいと考えていた私が、貧困な頭で、しかも女性としてイメージできた職業は公務員か教師でした。当時、女性にとって職業選択肢は、今よりはるかに狭かったのです。もちろん、強い意志をもって努力すれば他の道もひらけたかもしれませんが、勝手にそう思い込み、あるいは思い込もうとしたのです。

学部選択では、文学部か理系か、という極端な選択のなかで思いをめぐらし、教師になるとしても、社会は、とくに高校教師は非常に狭き門だから、理学部の方が職業への道が広くなるだろうと考えて理学部を選びました。私の一番得意な科目は社会で、一番好きだったのも社会だったにもかかわらず。

大学の化学研究室に入って同級生たちが熱心に実験に取り組むのを見て、私とは熱意がまったく違うと痛感させられました。私の場合、知りたいから追究しようという気持ちになるほど、化学は好きではなかったのです。自由時間には、よく思想系の本を読んでいました。自然科学系ではなく、社会科学系の世の中のなりたち、みたいなものに興味があって、一冊本を読むと、これをもっと知るには、次はこれを読まなくては、という具合に、次々と課題が浮かんできたのです。

そのうち、卒業後の進路選択をせまられることになりました。公務員になるにしろ、教師になるにせよ、当たり前のことですが一生化学とは離れられないのです。これで、いいのだろうか、という気持ちがつきまとって、結局、大学4年の時にまったく就職試験を受けませんでした。時間稼ぎのために高校の非常勤講師として働きはじめてまもなく、ドイツに来ないかという誘いがあり、学生になってあらたに社会科学系の勉強をすることにしました。ドイツに行くにあたっては、絶対に大学を卒業し、学んだことを職業にするとだけ決めていました。ドイツの大学は、入るのは語学試験だけで簡単でしたが、卒業は日本ほど簡単ではないので、それなりの努力を求められました。それでも将来を憂うこともなく楽観的な気分で日々を送れたのは、今と違って、「なんとかなる」という気持ちをもてる時代だったからでしょう。

ドイツでは歴史学を主専攻にし、副専攻で社会学を学びました。これも、時代の追い風ですが、当時、フェミニズム運動の後押しを受けて社会学で女性(今ではジェンダー)関係の授業がはじめて開講され、かねてより女性問題に関心があったので私も嬉嬉として参加しました。熱気あふれる活発な授業で、時間外にも友人たちと授業内容についてよく議論し、ここで私は学問と自分の生き方をリンクさせることの重要性と楽しさを知りました。日本の大学時代にも自分の生き方を模索して社会科学系の本を読んでいたのですが、ドイツの授業では明確にそのことを意識することができ、女性問題を自分のテーマとして今後も追究していきたいと強く思いました。主専攻の歴史学では女性史系の授業はなく、先行研究すらほとんどないという未開拓の領域でしたが、幸い指導教授が女性史をテーマに修士論文を書くこと認めてくださり(当時は女性史なんて歴史学ではない、という先生もいたのです)、資料や同時代文献を使って論文を書きました。その後、もう少し勉強したいと、という気持ちで博士課程に進み、その延長線上に現在があります。

長々と自分のことを書いてしまいましたが、私が自分の進路選択で一番、感じたこと、そして現在でも思うことは、自分が好きなこと、やりたいことをやるのでなければ本腰をいれて持続的に取り組むことはできない、ということです。私は「好きこそものの上手なれ」という諺を身をもって体験しました。だから、皆さんには、まず自分のやりたいこと、得意・不得意、自分の思考の仕方などをきちんと見極めてほしいと思います。そんなに簡単には見つからない、というあなた、本を読み、人と話しをし、物事を異なる角度から眺めたり考えたりして視野を拡げてほしい。そして、いろんな経験をしてほしい。

もちろん運や偶然に左右されることは多いけれど、準備ができていなければ運は逃げていくし、偶然にまかせるにせよ、ある部分では必ず自分の決断をせまられます。若い時は、何度でもやり直しがきくので、失敗を恐れないでください。人に相談したり、人に意見を聞くことは重要ですが、最終的な判断は自分ですること。これも非常に重要です。自分で決めたことなら、選択がベストでなかったとしても納得がいきます。他人まかせにすると、成功しなかったとき、必ず後悔にかられます。自分の可能性を信じてチャレンジしてください。