西村清和(美学芸術学)

わたしが「学者になる」ときめたのは小学4年生の秋だった。姉が通っていた高校の学園祭の、たまたま紛れこんだ理科実験室での「化学部」の展示で、複雑にガラス管が絡まりあったおどろおどろしい実験器具のなかを、何やら怪しげな色と鼻を刺激する匂いの液体やら気体やらが行き来しているのを目にして、その怪しげで不可思議な世界にすっかり魅了されてしまい、高揚した気持ちのまま家に帰って「ぼくは化学者になる!」と家族に宣言したのである。時は日本の高度成長期、所得倍増がスローガンになり、技術者養成が叫ばれて全国に「国立高専」が創設され、秀才は軒並み「理工系」をめざすという時代。わたしは小遣いを貯めては実験道具を買い集め、今では考えられない事だが、町の薬局で硫酸や硝酸銀といった劇薬をいとも簡単に手に入れ、フラスコに刺したガラス管から白い気体を噴きださせてはひとり悦にいるという、立派な実験小僧になったのである。団塊の世代とて、新設された中学の第一期生となったものの「理科部」は存在せず、高校ではやっと念願の「化学部」で部長として、夏休みも毎日理科室に通って実験三昧に過ごした。

というわけで、当然の事ながらわたしは理科II類に入学した。高校時代の友人で文学部にいくのがいたが、「文学部って何をするんだ?」と聞き返したのを覚えている。しかし入学してすぐに躓くとは、さすがに予想はしなかった。理系は朝から必修の授業で埋まり、午後は毎日夕方まで実験の授業がある。人並みにおもしろくもない受験勉強を何とかしのいだ身としては、大学に入れば自由な青春時代を謳歌できると夢見ていたのに、それどころではない。高校まで実験小僧だったせいか、楽しいはずの実験の授業にも目新しさはなく、長時間拘束されて辛気くさい。まわりを見ると文系の連中はたっぷりと自由な時間があって、まさに夢見た青春を謳歌しているではないか。かれらを羨ましく思ったとき、わたしは自分がこのまま理系を続けていくほど勤勉ではない事に今更ながら気づいたのである。たぶん夏休みがあける頃には、真剣に文学部への進学を考えていたのではなかったかと思う。

それにしてもなぜ文学部だったのか。小学4年で「学者になる」と心にきめたわたしとしては、経済や法律を学んで就職するという選択肢はなかった。それと、高校時代にわたしは夏目漱石にイカレて、岩波の『漱石全集』の、「文学論」も含めてそのほとんどを読んでいた。つまり、化学者でないなら漱石のような文学者になろうと思ったのである。もっともわたしの関心事は小説作品の研究というのではなく「文学とは何か」といった本質論であり、また漱石が留学を通じて深く問わざるをえなかった「西洋と東洋・日本」という文明論にあった。当時文学部には履修コースとして「比較文学」というのがあって、とりあえずそこに所属することにした。教養の4学期に駒場で開設された文学部の授業には数式が一切でてこず、理系でやってきた者にとっては不安だった。

半信半疑のまま本郷に進学して、わたしは再び躓くことになる。当時の「比較文学」のカリキュラムが英文、仏文、独文など開講科目から構成されていて、やみくもに「普遍的な」文学論をほしがっていた幼いわたしは、またしても三四郎のように「ストレイシープ」に迷いこみ、鬱々とするのである。そんな折り、わたしが行き当たったのが今道友信先生の「美学概論」だった。『猫』に出てくるホラ吹き美学者の迷亭さん(初代美学教授・大塚保治がモデルといわれている)とかで言葉は知っていたものの、「美学」がまっとうな学問として存在するのをこの講義ではじめて知った。しかもこれこそ「美とは、文学とは、芸術とはなにか」を問うものだと知って、わたしは救われる思いがした。だが人生はままならない。講義がようやく佳境に入らんとする6月末、あの機動隊導入、文学部無期限ストライキが勃発する。

結局一年に及んだストライキの間にわたしは、岩波から竹内敏夫先生の訳で出ていたヘーゲル全集の『美学講義』を読み進み、授業再開のときに転科を願い出て、ようやく「美学・芸術学」研究室の学部生として落ちついた。カントの『判断力批判』に感動し、以後シェリングやゾルガーといったドイツ観念論の美学を研究テーマにして、ミュンヘン大学にも留学したのだが、結局の所わたしにはドイツ観念論やその伝統に立つヨーロッパ大陸の大振りな美学にはリアリティーが感じられず、またしても迷いの虫が蠢いたときに、個々人の経験を精査して論じようとする英米の分析系の美学や芸術哲学により共感を覚えるようになった。今となっては、迷いがわたしの視野を広げてくれたと感じている。

大学院に入ってわかったことだが、仲間にも理科I類から教育学部を経て美学にたどりついた者、理学部数学をでて美学の大学院にきた者と、「ストレイ・シープ」は沢山いたし、今でも転科の相談にくる学生はつねにいる。わたし自身は、迷い迷いしながらたどりついた美学を研究する「学者」になった事は正しい選択だったと思っているが、同じように迷い迷いして美学芸術学研究室の門をたたいた学生諸君が、卒業のときに「美学にきてよかったです。おもしろかったです」といってくれると、ほんとうに嬉しくなるのである。