紆余曲折がモノを言う

佐藤宏之(考古学)

卒業した高校には旧制出身の先生が多くおられ、その薫陶を受けたためか、「人とは違う人生を目指すんだ」とすっかりその気にさせられてしまった。高校時代、私は生物部と柔道部に属しており、当時流行していた生態学にかぶれていたので、大学で生態学をやろうと単純に思い立ったのだが、なにせ数学が全然できなかった。これでは理科に進めるわけがないとあきらめ、それでは歴史でもやろうと、これまたあっけなく転向したのである。

駒場に入学してみるやいなや、初日に勧誘された柔道部にそのまま入部してしまった私は、駒場の柔道場→本郷の七徳堂→駒場寮を往還するサイクルに埋没し、このサイクルになかなか講義室を組み込めない生活を送っていた。たまに教室で遭遇する同級生たちの語学能力に打ちのめされていた私は、案の定、進振りではたと困った。やはり歴史はやりたいが、文献史学はこのままでは厳しい。この窮状を救ったのは、本『ガイダンス』であった。

本郷の進学先に関する情報がない(得る努力をしてこなかった)私には、『ガイダンス』がほぼ唯一の情報源であった。『ガイダンス』をなめるように読んだところ、「考古学は経験科学であり、資料獲得の手段である発掘には体力も必要」とあったのである。私にはここしかない、と一も二もなく選択した。もちろん成績という冷徹な現実もあったが。

本郷に進学し、ゼミに参加したとたん、語学能力は当然必要なことを思い知らされた。あたりの前のことではあるが、考古学は世界中で行われているのである。今とは違い、学生は簡単には海外調査に参加できなかったので、当時外国考古学はもっぱら外国語文献を通して学習されていた。語学能力に乏しく、発掘経験もしてみたかった私は、すぐに都内の先輩が参加していた発掘調査に加えてもらったことも与って、次第に日本考古学を専門とするようになった。駒場でほとんど勉強らしいことをしてこなかったおかげで、本郷の学部には4年間在籍した。が、後半の2年間は発掘現場にほとんど住み込み、そこからたまに大学に通う生活だった。研究室の先輩方から、「大学で講義を聞くのもいいが、発掘に行って身体で学ぶことが重要だ。発掘現場には、他の大学からたくさんの学生が来ているから、武者修業してこい」と言われたことを素直に信じた結果でもある。その後幸運にも埋蔵文化財関係の専門機関に職を得、10数年の間多摩丘陵の大地の上で、酷暑の夏も凍てつく冬も発掘に明け暮れる日々を送り(暮れてからは毎晩エネルギー補給に勤しんでいたが)、12年前に東大に戻った。

燃える情熱をもって進路を選択したわけではなく、いわば消去法によって選んだだけである。選択とはそんなものではないのか。でも、考古学を選んで結局は正解であったと、今は思っている。考古学は、過去の人間が残した物質資料を読み解く学問であるから、他の研究成果を吸収するためには語学能力は当然必要であるが、それにも増して、発掘という考古学独自の資料獲得法があるのが大きな魅力となっている。知られていない文献を発見するのも醍醐味であろうが、発掘を自ら企画すれば、ほぼ確実に自分の研究資料を得ることができるのである。また、発掘された資料は、過去の人間生活の残滓であるから、その読み解きには、大学で学んだ知識とともに人生経験がものを言う。特に先史時代(日本ならば弥生時代以前)の人間の生活や社会・文化の研究は、考古学の独壇場だ。経験知の蓄積が、考古学研究の成果を豊かにする。

私の現在の専門は、日本の旧石器時代と民族考古学である。旧石器時代は氷河時代であり、当時の自然環境に対する知識が必須となるが、かつて憧れて勉強した生態学の素養が少しは役立っていると思う。海外での発掘調査や民族考古学調査では、厳しい環境の中での住み込み調査も少なくない。こんな時は、運動会に所属していた体力も役立つ。

もちろん考古学の研究には、多様なやり方がある。分野もとても広く、植物考古学・動物考古学・近世考古学・都市考古学・天文考古学・数理考古学・社会考古学・認知考古学等きわめて多彩だ。考古学の窓口はとても広い。多様なアプローチができる。駒場で肌があわない、やりたいことができるのか、成績がふるわない等の思いのある諸君を歓迎したい。もちろん考古学へと決めている貴君・貴女も。