秋山 聰(美術史学)

「なぜ美術史学を進学先として選んだのか」についての記憶をたぐってみると、「さしあたり研究する地域を定めなくて良いから」と「文献講読で苦しめられることはなさそうだから」という二つの理由を思い出しました。ありていに言ってしまえば、「判断を先延ばししたい」、「ラクをしたい」というのが主要な動機だったわけです。ですからこのコーナーの執筆を担当するにはあまりふさわしくないようにも思われるのですが、今更お断りするわけにもゆかず、うかうかとお引き受けしたことを後悔しつつ、かつまたあまり真剣に読んでいただかないことを祈りつつ、書き続けるほかなさそうです。

思えば、大学入試で文科三類を志望したのも、基本的には同じ理由でした。高校2年次に突然数学と理科をこれ以上勉強するのがいやになったのと、東大だと細かい専攻を当座決定することをせずに済むというのが志望の最大の判断材料でしたから、大学に入ってからもあまり成長がなかったということかもしれません。元々子供のころから神話・伝説の類に興味が強かったこともあって、進学先として当初念頭に置いていたのは西洋古典学や西洋史学、美術史学あるいは美学といったところでした。ところが、ギリシア語やラテン語の授業に出てみたところ、やみくもに出来のいい友人に出会い、冗談にも同じ土俵に上がる気になれず、まず早々に西洋古典学が候補から消えました。また生来のずぼらな性格もたたって、駒場の語学が総じて冴えなかったこともあって、まもなく西洋史学も候補から姿を消しました。厳格な文献史料批判の前提となる語学力・読解力を備えるようには到底ならないだろうと容易に想像できたからです。その頃たまたま読んだ書物によりアイコノロジー(図像解釈学)やアイコノグラフィー(図像学)といった美術史学の方法論を知り、また美の概念の歴史的展開などにも興味が湧いていたので、残る候補は美術史学か美学となりました。少し調べてみたところ、この二つの学問は似ているようでいて、全く異なっていることがわかってきました。美学が普遍や体系を志向する理知的な学問であるのに対し、美術史学は、作品を実見するということに重きを置きつつも、美術史家が百人いれば、方法論も百通りありうるというかなりアバウトな分野らしいと思われたのです(あくまでも当時の私の理解の範囲で、ですが)。進学の時点ではまだ細かく研究対象や地域・時代を定めなくて良い、という点は両者に共通した魅力でした。しかし、美学が高度に理論的で難解な文献の講読を必須にしているであろうことは容易に推測でき、それに対して美術史学には文献講読があったところで、それほど困難なものではないだろうと思われたので、最終的に美術史学への進学を決意しました。

さて、この専ら消去法に基づいたあまりお勧めしがたい選択の結果は、と言うと、今のところはまあ悪くは無かったのではないか、と感じています。しかし、誤算も幾つかありました。予想をはるかに越えた長い学生生活を送ることになったのはともかくとして、最大の誤算は語学でした。後から考えれば、当たり前のことだったのですが、絵や彫刻を鑑賞しているだけでは学問にはなりえません。西洋美術を専門にした場合、研究対象となる造形物についての論考が何語で書かれていようとも、ともかく一応は読まなければなりません。広く浅く、でかまわないとは言え、かなりの外国語を勉強せざるをえませんし、場合によっては長期に亘って海外留学をする必要が生じます。美術作品の図版を横目に見つつ、様々な言語による論考をヒーヒー言いながら斜め読みするという苦行は一生続くことになりそうです。

とはいえ、美術史学では、造形物を見る力、眼で見たものを言葉にする力、形態や筆致等を記憶し、脳裏で比較対照させる力など、東大生がふつう得意とする分野に必要とされる学力とは別種の能力が必要とされますので、駒場の二年間、もう一つ肌が合わないなどと思っていたり、成績が伸び悩んでいたりしている方には、心気一転出直すチャンスが与えられうる分野と言えるかもしれません。