柳橋博之(イスラム学)

教養学部1・2年生に向けて助言を与えるという趣旨で文学部の『進学ガイダンス2008』に掲載する原稿の依頼を受けた。「助言」というと助ける言葉ということになるわけだが,残念ながらそのような効用のあるねたはあまり思い当たらない。もしかすると助ける言葉というよりは(とくに研究者を志す人にとって)挫く言葉になるかもしれないが,あるテーマを追いかけて膨大な時間を費消したという話を紹介することにしたい。

私はここ30年近くイスラーム法を研究してきたので,期間だけで見れば人生の6割をイスラーム法研究に費やしてきたことになる。イスラーム法というと窃盗にたいする手首の切断とか4人まで妻を持つことができるというあまり芳しくない印象があるが,じつは1400年近いイスラームの歴史のなかでムスリムが最大の知的努力を投入してきた分野であり,万巻の書物が著されてきた。もちろん資料が多いからといってイスラーム法が理解しやすいということはない。むしろ一般には,資料が多いほど理解が困難になることの方が多い。

さて,どの法体系にも同様の問題が存在するであろうが,イスラーム法の場合,イスラーム期以前の法的な伝統があったところにイスラーム的な価値観に基づく原理が導入され,それに伴って数多くの新しい規定が生まれた。しかしそれによって従来の規定のすべてについて見直しが行われたわけではなく,かなり多くの規定が温存された。

この傾向は民事責任に関してはとくに顕著だと思われたので,私は,1985年より,民事責任に関する規定を詳細に調べていった。ここでは侵奪に話を限定しておこう。侵奪とは,暴力を用いて他人の物をその占有下から奪うことである。法学者は言う。侵奪は悪である。だからその物が滅失した場合,それがいかなる原因によるのであれ,所有者は侵奪者にその物の市価相当額を支払うように求めることができる。ここまではよい。しかしさらに見ていくと納得のいかない規定が幾つも見られる。たとえば,9世紀にイラクに成立したある法学派によれば,侵奪者がその物を使用しても,所有者に賃料を支払う義務を負わないとされる。なぜか。法学者によれば,物の使用価値は観念的な財物であって真の意味での物ではないので,賃貸借のような契約を介してはじめてこれに財産上の価値が認められる。したがってある者がその所有者の許可を得ないで勝手に他人の物を使用しても賃料を支払う義務を負わないからである。

あまり得心のいかない説明だが,この説明は後世まで連綿と受け継がれていく。しかし,この規定が確立した後でこの法学派に属する法学者がそう説明することにしようと決めたというのはまだ納得できるとして,まさか当初からこのような理由で侵奪物の使用に関するこの規定が成立したわけではあるまい。この規定の成立過程を解明しようとした時から私は迷路に入ってしまった。1998年に上梓した著作のなかで私はつぎのような説明を与えた。侵奪は,暴力を用いるがそれが侵奪を被った所有者の抵抗をまったく圧殺するわけではない点で,強奪あるいは略奪と区別される。ここに微弱ながらも所有者に所有権を移転することへの同意が見られる点をとらえて,8世紀前半の法学者は,侵奪時に遡って侵奪者に所有権を移転するという選択肢を所有者に与え,もってその物が所有者に帰せられる原因以外の原因により滅失した場合にその負担を侵奪者に負わせることにした。この発想の痕跡が,9世紀にイラクに成立した上述の法学派の規定に残存しているのである。

釈然としないとは思いつつ,そろそろこの件は終わりにしたいという気持ちもあってこれを結論としたのだが,その後,2002年だったか,ある写本を入手することで私はまったく考えを改めざるを得なくなった。この写本は,侵奪ではなく,賃貸借を扱っているが,そのなかで,賃借人の占有下にある賃借物の滅失に関して,おそらくは8世紀初頭に遡る原理の原型をとどめる規定を幾つも収録している。その規定から導かれた結論はつぎのとおりであった。すなわち,元々のイスラーム法の考え方としては,ある物が滅失した場合,所有者以外の者がその損失を負担するのは,その者の行為と滅失の間に因果関係が存在する場合に限られる。ということは,ある者が他人の物を侵奪しても,それが自然的な原因により滅失した場合,侵奪者はその責任を問われないことになる。しかしある時点から法学者は,この結論に納得しなくなっていた。そこで法学者は,賃貸借や質権などをめぐる学説のなかから生まれた「危険は利益に伴う」という原理を,侵奪に応用することにした。すなわち,侵奪者に侵奪物の滅失について責任を負わせるために,ある利益を与えることにしたのである。そしてその利益とは,侵奪物の使用にたいして対価を支払う義務を免れるということだったのである。この成果を発表したのが2004年のことであった。

ところで私がこの写本中に賃借物の滅失に関する規定を発見したのは偶然であった。そもそもこの写本はすでに刊本が出ており,通常ならばもう写本を見る必要を感じなかったのだが,2002年ころ私は8世紀に編纂された法学書の叙述のスタイルに興味があり,たまたまその写本のスタイルが原始的だったので覗いてみたに過ぎない。

これは発見には違いないのだが,足かけ19年を費やした発見にしては小さかったなというのがいまの感想である。「神は細部に宿る」という言葉もあるのだが,全体あっての細部,細部あっての全体である。多くの研究者は細部である程度の成果を上げてそこで終わりとなると思う。もっとも,だからどうなのかというところは読者の判断にお任せしたい。