角田太作(言語動態学)

私の研究分野は言語学です。具体的には主に以下の三つのテーマを研究しています。

(1) オーストラリア原住民語(1971年から)

(2) 言語類型論(1980年頃から)

(3) 言語消滅の危機と言語再活性化(1995年頃から)

この三つのテーマは一見、無関係に見えるかも知れませんが、実は、密接に関係があります。どのようにして、この三つを研究するようになったか、お話しします。

私は1971年に本学の大学院の言語学専修課程を休学して、豪州、メルボルンにあるMonash Universityの言語学科の修士課程に入りました。

修士課程では、大陸東北部のワロゴ語を調査しました。この言語は当時、既に消滅寸前で、流暢な話者は二人しかいませんでした。最後の話者が1981年に死去し、この言語は死滅しました。博士課程の時は、大陸東北部のジャロ語を調査しました。この言語も当時、話者の数は250人程度でした。

1980年ころから、言語類型論も研究するようになりました。言語類型論とは、世界の諸言語を比べて、共通点と相違点を研究する分野です。言語類型論に興味を持つようになったのは、以下のような事情です。

ワロゴ語もジャロ語も、言語学で言う「能格型」という言語です。1977年ころ、博士課程の学生だった時、豪州の言語以外で能格型である言語にも関心を持ちました。バスク語(スペインとフランスの国境地域)、アバル語(コーカサス)やエスキモー語(北米)などです。これらの言語の研究を読んで見ると、ワロゴ語とジャロ語に似ている点もありましたが、違う点もありました。能格型の言語とは言っても、随分違いがある、しかし、共通点もある、なんて面白いのだろう、と思ったことが、言語類型論に興味を持つきっかけでした。

言語消滅の危機と言語再活性化の研究を行うようになったのは以下の事情です。

この数世紀の間、世界各地で、列強による植民地化が進み、英語など、大言語が広まり、少数言語が消滅の危機に瀕しています。既に、消滅してしまった言語も多数あります。既にお話ししましたように、ワロゴ語の最後の話者が1981年に死去し、この言語は死滅しました。ジャロ語は現在、話者は100人以上いると思いますが、子供達はこの言語を習得していません。どの言語でも子供が話さなかったら、消滅してしまいます。ジャロ語はこのままでは、数十年後には、消滅してしまう恐れがあります。

しかし、この10年か20年くらいでしょうか、世界の各地で、自分たちの言語を保持しようという運動や、既に死滅してしまった言語を復活しようという運動が始まりました。言語学者の間でも、消滅の危機に瀕した言語を記録しよう、あるいは、言語保持の運動や言語の復活の運動に協力しようという機運が高まって来ました。

私は1995年から西北部のワンジラという言語の調査をしています。ワンジラ語も消滅寸前です。話者の数は5人くらいだと思います。

また、大陸の東北部では、かなり多くの言語が既に消滅していました。しかし、20世紀の末から、祖先の言語を復活しようという運動が始まりました。私は依頼を受け、2000年からワロゴ語の復活運動に参加し、2002年からワロゴの人たちにワロゴ語を教えています。ただ、私にできることは、限られています。主な役目は1週間弱の講習会を、大体1年に1回、多くても2回、現地で行うことです。この程度ですから、言語復活は急速には進みません。しかし、「子供達が家でワロゴ語の単語を使い始めた!」という報告もありますので、少しずつではありますが、成果が挙がっていると思います。

「言語消滅の危機と言語再活性化」は学問の分野としては、非常に新しい分野です。大学の授業で使える教科書はありませんでした。そこで、私は教科書用に本を書きました。下記の本です。

Tsunoda, Tasaku. 2006. Language endangerment and language revitalization. Berlin and New York: Mouton de Gruyter. (Paperback)

以上、私が言語学の分野で今まで行ってきたことを、時代を追って、順番にお話ししました。

(1) オーストラリア原住民語(1971年から)

(2) 言語類型論(1980年ころから)

(3) 言語消滅の危機と言語再活性化(1995年ころから)

上でお話ししたように、この三つのテーマは一見、無関係に見えるかも知れませんが、実は、密接に関係があります。

ある言語の復活運動を行うためには、その言語をきちんと記録しておかなければなりません。即ち、(3)をきちんと行うためには、(1)をきちんと行う必要があります。また、私の経験では、ある言語をきちんと記録するには、世界の諸言語を見る幅広い視野が重要です。すなわち、(1)をきちんと行うためには、(2)が重要です。このように、私にとっては、(1)、(2)、(3)の研究分野は切り離すことのできないものなのです。

さて、本稿の題目は「文学部で行う学問:虚学?実学?」です。「文学部で行う学問は虚学である。実用に役立たない。」といった発言を聞くことがあります。このことについて考えてみましょう。

文学部で行う学問の中には実用に役立たないものもあるかも知れません。しかし、仮に、実用に役立たないとしても、学問として意義が無いとは限りません。

また、今、実用に役立たないように見えても、いつか、役立つことがあるかも知れません。私が今から30年以上前に、ワロゴ語の調査を始めたときに、実用に役立つかどうか、考えても見ませんでした。しかし、あの時の調査が今、言語復活運動という実用に役立っています。更に、僭越な言い方かもしれませんが、人類文化に貢献したと自負しています。

このようなこともあるということを、これから文学部で勉強する学生の皆さんに知っていただければ、幸いです。