本論文は、急激な都市化を迎えた19世紀と20世紀の転換期のアメリカ合衆国において、人びとの認識や運動のあり方、環境との関わり方がどのように変化していたのかを、国中に作られていった遊園地が持つ役割と象徴に留意しながら、同時期の文学作品の分析を通して考えることを目的とする。序論では、マリエッタ・ホリー(Marietta Holley)のユーモア小説『サマンサ、コニーアイランドとサウザウンド・アイランズへ行く』(Samantha at Coney Island and a Thousand other Islands)を取り上げて、遊園地が当時のアメリカ社会における重要な「問題」の在り処を指し示していたことを確認する。

 そのうえで、世紀転換期アメリカの重要な変化として、(1)シカゴ万国博覧会が表現していたテクノロジーと都市生活の結合と、遊園地・映画・ヴォードヴィルなど大衆的な商業娯楽の生活への浸透、(2)進化論・社会進化論の流行と都市風景のたえざる変化などが合わさった結果生じた有機的な環境の認識、(3)フレデリック・テイラーが編み出した労働の科学的管理法などと結びついた身体と機械の関係の変化、という3つの側面を取り上げ、こうした変化の結果、都市そのものがアトラクションでありスペクタクルであるかのように捉えられるようになった状況を「遊園地のモード」と名づける。それぞれ文化・環境・身体に関わるこれら諸要素が交じわる地点にメトロポリスのモダニティが構成されると仮定したうえで、具体的には街灯・交通機関・建築といった都市の構造物に焦点を合わせ、自然主義およびモダニズムに位置づけられた文学作品のなかで構造物と登場人物がどのように関係していたかを検証していく。同時に、「遊園地のモード」のなかで都市文学そのものがどのように形成されていったのかを、章ごとにキャラクター、プロット、オーディエンス、スタイル、ナラティヴといった形式に着目して考察する。

 第1章「街灯とキャラクター」では、T・S・エリオット(T. S. Eliot)の詩「J・アルフレッド・プルーフロックの恋歌」(“The Love Song of J. Alfred Prufrock”)を扱い、世紀転換期に街路に設置された電灯やガス灯などの照明装置が人びとの運動や認識に与えた影響を分析する。エリオットは当時流行していた新聞漫画に関心をもち、映画のリズムにも興味を抱いていた。変形や変身をくりかえすプルーフロックの運動は漫画的であり、霧と光で満たされた空間は映画的である。漫画や映画のコマの断続の原理が詩のなかに利用されていく過程を検証することで、プルーフロックのドタバタした身体運動のあり方が、当時の大衆文化のなかに頻繁に登場し、とりわけ遊園地のシンボルになっていた道化の「キャラクター」と重なり合うことを指摘できる。群集のなかで電光に照らされる経験をすることになった都会人はみな、互いに見られることを意識して道化を演じなければならなかった。

 第2章「乗り物とプロット」では、鉄道や路面電車や自転車など、交通機関について考える。シオドア・ドライサー(Theodore Dreiser)の長編小説『シスター・キャリー』(Sister Carrie)は、ロッキングチェア、鉄道、馬車、路面電車、エレベーターなど、様々な機械装置に身体を包摂された登場人物をくりかえし描いている。同時に、機械に運ばれることによって小説の「プロット」自体が推進されていく。機械装置と同期しながら、主人公キャリーと恋人ハーストウッドが逆向きの運命を辿っていく過程は、解放と抑制の二重性を帯びた機械的な身体運動の帰結と捉えられる。身体を激しく揺さぶるアトラクション的運動には、ドライサーが記者として訪れたシカゴ万国博覧会でのフェリス・ウィールや、遊園地のローラーコースターの運動のあり方が比喩的に込められているはずである。また、機械を乗りこなすキャリーとハーストウッドの明らかな運動能力の違いの一因は、男性性/女性性をめぐる衝突が生じていたスポーツの社会的位置づけからも推察できる。

 街路は照明によってスペクタクル化し、交通機関によってアトラクション化していた。一方、第3章と第4章では、大都市にともに林立したテネメントと摩天楼という対照的な建築を扱う。新聞や雑誌記事のなかでビルがキノコに喩えられていたように、つねに変化し続ける都市の建設現場は、「見世物」として人びとの娯楽となっていた。

 第3章「集合住宅とオーディエンス」では、スティーヴィン・クレイン(Stephen Crane)の『街の女マギー』(Maggie: A Girl of the Streets)のなかで登場人物たちが過剰に演劇的に振る舞う理由を、貧しい移民労働者たちが暮らす集合住宅テネメントの性質に求める。物語の舞台であるマンハッタンのバワリー地区は、メロドラマ劇場などの歓楽施設が集中した地域であり、主人公マギーたちは頻繁に観劇に出かけ、メロドラマの価値観に強い影響を受けている。一方で当時の演劇や映画や大衆小説は、しばしばテネメントをセンセーショナルなメロドラマの題材にした。たびたび人種・民族差別的な展示を行なっていた遊園地でも、テネメント風建築の火事を再現するスペクタクルショーが流行する。そうした表象の影響もあって、スラムツアーが人気の娯楽となり、スラムの住人たちはたえず暴力的な視線を向けられることになった。こうして、テネメントの住人は演劇を見ることと、見世物として見られることのねじれのなかに存在することになる。最終的に、「オーディエンス」による何重にも不均衡な視線を描くことで、クレインが小説の読者の視線そのものを問題にしていることを考察する。

 第4章「高層ビルとスタイル」では、建築家ルイス・サリヴァン(Louis Sullivan)と詩人カール・サンドバーグ(Carl Sandburg)が摩天楼をめぐって共有していたヴィジョンについて考え、高層オフィスビルを(多くの作家がそう捉えたように)単なる資本主義の象徴というだけでなく、人やモノが流動していく有機的な環境として捉えなおす。サリヴァンはオフィスビルについて綴ったエッセイのなかで「形態は機能に従う」という定言を示し、摩天楼が西洋建築の伝統的な様式性から自由になることを目指した。一方、サンドバーグもまた、「主義」にとらわれない詩作をおこない、「摩天楼」(“Skyscraper”)のなかでサリヴァンの構想を感取したかのように、「機能=うごき」と「形態=かたち」を自在に一致させる「スタイル」を築いた。サンドバーグはさらに、「うごき」を「はたらき=労働」に変換することで、資本家やオフィスワーカーだけでなく、建設に関わった労働者やビルを構成する物質まで含め、シカゴの建築を「労働」が循環する有機的環境と捉えて言祝いでいる。こうした動的な建築物のヴィジョンは、サリヴァンがのちに設計し、実際には建設されなかった遊園地アイランドシティの設計図にも見て取れる。

 遊園地にはもともと、シカゴ万博で示されたような「未来の都市像」が込められていたからこそ、都市文化の象徴としての役割を持ちえていたが、第一次世界大戦によって万博的な進歩主義と帝国主義が大量殺戮に結びつくことがわかると、もはやそこに楽観的な未来を託すことはできなくなった。したがって、遊園地のモードは1910年代とともに終わりを迎え、遊園地の新しさも失われていく。

 第5章「遊園地とナラティヴ」では、そうしたモードの終わりを象徴する作品として、F・スコット・フィッツジェラルド(F. Scott Fitzgerald)の『グレート・ギャツビー』(The Great Gatsby)を取り上げる。遊園地の新しさが失われたということは、その新しさがすでに都市のなかで十全に実現していたことを意味する。それゆえ、小説のなかのニューヨークは遊園地的な要素をことごとく備えている。語り手ニックは、作中に登場する多くの家をそれぞれ遊園地のパヴィリオンのように語り、自動車の役割にローラーコースターの機能を重ね合わせる。そのような「ナラティヴ」を通して、ニックは戦後のニューヨークでの経験を、遊園地に魅了されたのちに人工と虚構の世界に幻滅して帰っていくような経験として再構築している。同時に、自らの屋敷に人工のユートピアを再創造しようとしているギャツビーと、進歩主義的な明るい未来像がもはや潰えていることを理解しているニックとの対比を際立たせる道具としても、遊園地は効果的に用いられている。

 本論において観察してきた文化・環境・身体の関わりと遊園地の関係を、結論においてはリズムというキーワードでまとめることを試みる。近年発見されたW・E・B・デュボイス(W. E. B. Du Bois)のSF短編「プリンセス・スティール」(“Princess Steel”)と、1900年のパリ万博で展示した、インフォグラフィックの先駆けとなる図表を取り上げて、デュボイスがリズムを形成することで人種問題に読み手や見る人の身体を巻き込もうとしていた形跡を検証する。そうしたアプローチを踏まえることで、世紀転換期の都市に溢れていたラグタイムなどの新しい大衆音楽や、明るさ・スピード・高さなど照明や交通機関や建築が生み出す多様なリズムが、人びとの認識と身体を激しく揺さぶっていた可能性があらためて見出される。アトラクション的な都市の機械的な身体の「ドタバタ」は、精神や主体性の働きを弱め、抑圧的な力としても作用するが、一方で複数のリズムを感取することはそこからずれて対抗する力にもなる。メトロポリスにおける人と環境の関係は、リズムを通して形成されていた。あらゆる音や形やスピードや密度などが実験的に生み出された世紀転換期アメリカの遊園地が都市を象徴していたのは、そのリズムにおいてだったと考えられる。