第1章では従前の縄文時代中期/後期移行期(以下、移行期と略する)の研究を整理し、成果と課題を確認したうえで本論の研究課題と研究目的を示した。研究課題は、「日本列島の各地域で移行期における各種の考古学遺物の検討は精緻に行われているが統一した時間軸がないため各地域の諸文化要素の時間的変化を広域に対比することが困難であること」、「移行期における環境変動と考古学的現象の関係性が積極的に評価されているが特定の地域や資料に基づく評価であり広域にその評価を適用することができるか再検討する必要があること」である。これらの課題をふまえ本論では、「広範囲で諸文化要素の時間的変化を対比するために用いる広域的な時間軸となる土器型式編年を構築すること」、「広域的な時間軸に基づく諸文化要素の比較検討から移行期における社会変容プロセスを明らかにすること」を研究目的とした。

 第2章では、移行期の研究における課題を解決し、研究目的を達成するための研究内容と研究方法、分析対象資料を提示した。

 第3章では土器の型式学的分析と層位的な出土状況の把握をもとに東北北部から南関東の各地域において土器の検討を行った。地域ごとの土器群の変遷を整理し、各地域間の土器群の対応関係を検討することで広域的な時間軸を構築した。

 第4章では第3章の検討から得られた各地域における土器群の分布状況とその変化を整理し、土器群の型式学的分析の結果もふまえて、地域間の土器群の関係性と関係性の時間的変化を検討した。特定の土器群(加曽利E式土器群、大木式土器群、牛蛭類型土器群、曽利式土器群)に焦点をあて同時期の併存する土器群間の関連性を検討し、各土器群の分布状況の時間的変化を把握することで、土器情報の拡散と受容の様相を検討した。その結果、後期初頭後半から後期前葉前半において小地域ごとに土器群の地域的な特徴が顕著になるとともに特定の土器群が広域に拡散し、拡散先の土器と相互の影響関係を有する状況が確認された。この状況から、この時期に東日本太平洋側地域では広域的な土器情報のネットワークが構築されていたと考えられる。同時期の東北中部から東北南部では、在地の土器群と周辺地域の複数の土器群が混在するようになる。後期前葉以降は、東北地方から関東地方への土器群の影響が弱くなる一方で、関東地方から東北地方への影響が強くなる傾向が確認された。同時期には、北上川中流域や北上川下流域では在地の土器群の様相が不明瞭となり東北北部や関東地方、新潟県域に分布の中心をもつ土器群が混在するようになる。後期前葉以降、東日本太平洋側地域では東北北部の土器群と関東地方の土器群の2つの土器群が分布し、北上川中流域から仙台湾周辺は2つの土器群の分布域の中間地域として位置づけられるようになることが明らかとなった。

 第5章では、岩手県域を中心に竪穴住居数の動向を把握するとともに竪穴住居を伴う遺跡の分布を検討した。また、竪穴住居に付設される炉の形態や住居の規模と形状、住居内に付設される炉以外の施設も分析した。

 竪穴住居数の検討からは、東日本太平洋側の各地域において竪穴住居数の時間的変化の傾向が異なることが確認された。中部高地と西南関東では従来、中期末葉に竪穴住居数が激減し、この要因として気候寒冷化(4.3kaイベント)が指摘されてきた。本論における分析からは、岩手県域と宮城県域、栃木県北東部では後期初頭に竪穴住居数が減少し、福島県域では中期末葉に急減するという全体の傾向が確認された。一方、岩手県や福島県の一部地域と栃木県西南部では中期末葉から後期初頭に竪穴住居数が増加することが確認された。これらの状況から中期末葉における竪穴住居数の激減という現象は、東日本全域で一様に生じた現象ではないことが示された。小地域や遺跡単位で竪穴住居数の動向を把握すると、より広域な範囲が示す動向とは異なる動向を示す地域や遺跡が存在することが確認され、広域的な環境変化のみならず地震や津波などの局地的な環境変化を要因としたより狭い範囲での竪穴住居数の時間的変化が生じた可能性も示された。竪穴住居数の動向にみられる狭い範囲に限定的な変化は東日本太平洋側地域の各地域で生じており、これらが生じる時期は地域ごとに異なる。このような竪穴住居数の変化は、広域的な環境変化のみが直接的な要因となって生じるのではなく、地域ごとに生じる多様な環境変化に当時の人びとが対応した結果を反映している可能性が高い。

 竪穴住居を伴う遺跡の分布状況の検討からは、移行期を経て特定地域で竪穴住居が構築されなくなるような状況は確認されなかった。4.3kaイベント直後の後期前葉には竪穴住居を伴う遺跡の分布に変化が生じることから、気候寒冷化とそれに伴う地形変化などの環境変化に対応して居住域の立地や生業活動の範囲が変化した可能性が示された。

 竪穴住居に付設される施設は岩手県域の資料を対象として分析したが、中期末葉から後期初頭において河川流域単位ごとに地域的な特徴が顕著になること、移行期を経て炉形態は中期後葉の要素を後期前葉まで引き継いでいることが確認された。

 第6章では移行期における遺構情報の拡散や受容の様相を検討するために、後期前葉の東北北部に展開する環状列石と時期を同じくして東北中部や東北南部、北関東に展開する住居内敷石行為を分析した。環状列石は、中部高地・関東地方から日本海側ルートを介して東北北部へ波及したことがこれまでの研究で指摘されている。岩手県域における配石遺構を検討した結果、環状列石の東北北部への波及に東北中部太平洋側地域は直接的に関与していない可能性が高いことが示された。岩手県域と宮城県域、福島県域、栃木県域における住居内敷石行為の分析からは、中期末葉から後期前葉における遺構情報の受容は地域ごとに異なっていたことが明らかとなった。遺構情報を受容する場合、受容する地域では受容する地域に備わっている在地的な要素を素地として周辺地域から波及した情報を選択的に受容していた。西南関東の住居内敷石行為に関する情報は、宮城県南部までオリジナルに近い要素が直接的に波及しているが、より北に位置する宮城県北部や岩手県域には部分的に西南関東の要素が波及していたと考えられる。

 第7章では土器埋設遺構をもとに遺構情報の拡散と受容の様相を検討した。岩手県域の屋内土器埋設遺構と福島県域の屋外土器埋設遺構を分析した結果、屋内土器埋設遺構と屋外土器埋設遺構の情報が拡散する場合、それぞれの遺構情報を受容する素地を有する地域で選択的に受容されていたことが明らかとなった。屋内土器埋設遺構と屋外土器埋設遺構は離れた地域間で類似する属性が確認されるが、現在確認されている資料から離れた地域間で類似する遺構同士の系統的な関連性を積極的に指摘することは困難である。しかし横位土器埋設遺構は、後期初頭後半から後期前葉に阿武隈川流域から南関東へ拡散し、関東地方の一部地域で選択的に受容されていた。このことから、広域に拡散した土器埋設遺構の情報が地域ごとに選択的に受容された結果、モザイク状に類似する土器埋設遺構が分布する状況が生じた可能性が示された。土器の情報と土器埋設遺構の情報の拡散と受容を複合的に検討したところ、土器埋設遺構と埋設土器に使用される土器群との間に強い関係性を有する場合があることが明らかとなり、綱取式土器群の拡散と横位土器埋設遺構の拡散に強い関連性があることが示された。

 第8章では、移行期の社会変容プロセスについて検討した。従前の移行期の議論において取り上げられてきた気候変動と社会の変化の関係を、本論で示された局地的な変化に着目して整理した結果、広域的な気候寒冷化は移行期の社会変容に影響を与えているもののその影響の度合いや影響に対する対応は地域ごとに多様であることが明らかとなった。移行期における考古学的資料の時間的変化には局地的な変化もみられ、広域的な環境変化とは異なる局地的な環境変化を要因として様々な変化が生じた可能性が高い。社会変容の背景には、地域ごとに異なる様々な環境変化への当時の人びとの対応が有機的に結び付いている状況があると考えられる。

 情報伝達の媒体となるモノや人の流動性や移動性の度合いが時間的経過に伴い変化することは特定の情報が波及する範囲の広域化や情報の流れの活発化の程度を示すと捉えたうえで、第3章から第7章の検討結果を遺物と遺構の情報の拡散と受容という視点から考察したところ、移行期における社会変容プロセスは以下のように結論づけられた。縄文時代を通じて特定の情報が波及する範囲の広域化や情報の流れの活発化の程度が時間的経過に伴い強くなったり弱くなったり変化することが繰り返され、地域性が再構成されることで縄文時代の社会が変化したと考えられる。移行期における地域性の再構成は、地域間で双方向的に土器の情報が広域に行き来する状況が縄文時代の他時期と比較して長期間にわたり継続する点、遺構に地域的な特徴が強く表れ広範囲に遺構の情報が行き来し特徴的な遺構が広域に拡散する点、生業形態や居住形態に大きな変化が生じる可能性が高い点、以上の事象が同時に確認される点で縄文時代の他時期とは大きく異なると考えられる。今後は他時期の諸文化要素を本論と同様の視点から検討し、本論で得られた移行期の社会変容の特徴を縄文時代全体の社会変容の中に位置付ける必要がある。また、移行期における各種の変化の背景やその関係性を把握し、当時の環境変化に対する人びとの対応の様相を明らかにすることで、社会変容プロセスの要因を具体化していく必要がある。