弥生時代から古墳時代への移行期は、土器の移動の活発化、あるいは前方後円墳や前方後方墳の墳墓形態の共通性などとして知られるように、地域間交流の範囲と規模が著しく拡大することが注目されてきた。移行期を経て幕を開ける古墳時代の指標には、定型化した前方後円墳や土師器の出現として理解される、斉一化現象があげられている。そのため、直前段階の移行期に斉一化の基盤となる交流関係の活発化・広域化がどのように進展したかという問題は、弥生・古墳時代を研究する者にとって大きな関心事の一つといえる。各地域に共通する遺物や遺構は、地域同士の交流関係を示す証拠として積極的に議論の的とされたが、それらのなかでも、本来の製作地から離れて出土する外来系土器は土器の移動に介在する人びとの交流を知るための重要な手がかりであった。

 近江地域に関連した考古事象は、分布の広がりや拡散の背景が常に関心の的とされてきた。近江系土器や突線鈕式銅鐸、弥生時代後期の独立棟持柱建物、出現期の前方後方墳などの近江地域に分布の中心をもつ複数の考古事象を根拠として、多くの研究者はこれらの強い独自性や他地域への影響力を想定してきた。なかでも近江系土器は、東は関東地方から西は朝鮮半島南部に及ぶ分布の広域性が注目されるとともに、近江系土器に裏付けられる近江地域と他地域の交流関係が、古墳時代に先駆けて弥生時代後期の地域間交流を担った可能性が論じられる機会も増えてきた。

 このような状況をふまえて筆者は、各地へ広がる近江系土器を研究対象とすることで、弥生・古墳時代移行期に地域間交流が広域化した過程を解明できると考えた。それには、具体的な資料と分析にもとづいてそれらの遺物や遺構の時間的、空間的様相を明らかにする必要があるが、近江系土器を対象とした基礎的な検討が不十分なため、拡散現象の背景に対する解釈がほとんどおこなわれていないのが現状である。

 したがって本研究では、弥生・古墳時代移行期に地域間交流が広域化した背景を明らかにするため、拡散現象が注目されてきた近江系土器に着目した。目的を達成するため、第一に、近江系土器の基礎的検討を実施した。第二に、各分析によって具体化した近江系土器の拡散現象に対して、その背景を考察した。そして第三に、近江系土器の検討を通じて明らかにした弥生・古墳時代移行期における近江地域の変化を説明するとともに、その変化が従来の研究成果に対してどのような意義をもつか議論を深めた。

 本研究は8章で構成した。第1章で研究の目的と方法を説明し、第2章では分析の前提となる時間軸を設定した。第3章で近江系土器に関する先行研究を整理した後、第4~6章にかけて近江系土器の分析を実施し、第7章において近江系土器の移動の背景を考察した。第8章では研究の総括をおこない結論を示した。以下、各章ごとに概略を示す。

 第1章では、弥生・古墳時代移行期の研究に影響を与えた学説に対する問題提起をおこない、近江系土器および近江地域に関する検討に取り組む本研究の意義や目的を明確にした。東海系要素の拡散とみられてきた東日本各地への東海系土器や前方後方墳を、近江系要素の拡散という視点から見直すことの必要性を論じたほか、奈良県桜井市纒向遺跡やヤマト王権成立以前の近畿地方に、近江地域を核とした「原倭国」段階を想定する新説に対して、前提となる受口甕や青銅器生産に関する分析が不十分であることを指摘した。いずれも、近江地域の資料に対する基礎的な分析が不十分なことが原因であり、特に、近江北部地域に対する検討の不足は、近江地域を交えた弥生・古墳時代移行期の変化に関する議論の進展を一層困難にしている点を論じた。以上の問題意識をふまえて本研究の目的と方法、および本研究の構成を示した。

 第2章では、本研究で実施する分析の前提となる時間軸の検討をおこなった。器台の型式学的な変化を土台として弥生時代後期から古墳時代前期を9時期に区分し、ほかの器種を含めた各時期の器種構成を明らかにした。また、弥生時代後期から古墳時代前期の暦年代に関する議論をふりかえり、おもに年輪年代測定と炭素14年代測定による複数の成果を比較することで暦年代観を示した。

 第3~6章は近江系土器を対象とした検討を実施した。第3章では、近江系土器に関する先行研究を整理した。「近江系土器」は、弥生時代後期の近江地域でみられる、受口状の口縁部を有する甕形土器に系譜をもつ、他地域出土の受口甕を指すことが現在では多い。しかし、本来は弥生時代中期の甕を指す語であった。また、「近江系土器」というと甕以外の器種を含む場合もある。そのような用語の曖昧さを解消するため、「近江系土器」という用語の出現から現在までの研究動向を辿り、本研究で検討すべき課題を明示した。

 第4章では、近江系土器に関する基礎的な理解の第一として、弥生時代後期前半(筆者の編年のⅠ期)の代表的な事例を中心に近江系土器に関する分析を実施した。愛知県八王子遺跡、三重県六大B遺跡、大阪府古曽部・芝谷遺跡の近江系土器について、各土器群の器種構成や受口甕の特徴を滋賀県守山市服部遺跡と比較検討しその特色を論じるとともに、後期前半の受口甕の多くが近江湖南地域からの搬入品の可能性が高いことを明らかにした。

 第5章では、近江系土器の拡散や滋賀県守山市伊勢遺跡、野洲市大岩山銅鐸などで近江地域が最も注目される時期である、弥生時代後期後半(筆者の編年のⅡ・Ⅲ期)に関して、甕の採用率に着目した分析を基礎として、受口甕の広がりの意味を考察した。受口甕の高い採用率を示す琵琶湖沿岸の各遺跡同士は、集落面積や独立棟持柱建物の採用状況を検討した結果、強い関係性をもっていたことを推定した。その一方、近江地域周辺の遺跡で受口甕が3割から4割程度採用される事実を明らかにしたことで、それが受口甕の拡散のどのような側面を表すのか、第6章で解決すべき課題とした。

 第6章では、弥生時代後期後半における近江系土器の認定基準の設定を目的とした。そして、章の後半では設定した指標を用いて関東地方の近江系土器を再検討した。前章までの検討をふまえ、各地に広がる受口甕を評価する指標が必要と考えた筆者は、まず、近江地域の受口甕を対象とした属性分析にもとづいて各小地域の受口甕の特徴を類型化した。次に、他地域で検出された受口甕の類型と、それにともなう近江地域特有の器種の存否を検討した。この検討と筆者の観察所見、先行研究の成果をふまえることで、弥生時代後期後半の近江周辺地域で検出される受口甕は、在地で生産された可能性が高いことを明らかにした。ここまでの受口甕の属性分析や他地域の資料の検討にもとづき、6パターンに近江系土器を分類した。最後に、筆者が設定した受口甕の類型によって関東地方の受口甕を分析し、近江地域の受口甕の特徴を明瞭にもつ例が関東地方に存在することを、客観的なデータの提示によって再確認した。古墳時代初頭(筆者の編年のⅤ・Ⅵ期)に確認できるそれらは搬入品の可能性が高く、すなわち近江地域からの搬入品ととらえられる蓋然性が高いことを示した。受容先では受口甕とともに近江系器種が認められることも明らかにした。

 続く第7章では、第4~6章を通じて実証的に示した弥生・古墳時代移行期の近江系土器の移動や拡散が、人びとのどのような活動の結果として生じたものであるか考察した。第一に、先行研究で提示された土器の移動の類型案を用いて、本研究が対象とした近江系土器を検討した。この検討によって、筆者の分析が示した近江系土器の移動には既存の類型案では十分に解釈できない場合があることを説明したうえで、第二に、弥生時代後期前半の近江地域から周辺地域への受口甕の移動と、古墳時代初頭の関東地方で確認される近江系手焙形土器について新たな解釈の可能性を提示した。筆者の、弥生時代後期前半における受口甕の移動を移動先での生活を目的とした移動とする解釈や、近江系手焙形土器が検出された前方後方墳を根拠に近江地域の集団の移動を認める解釈は、未検討の課題を多く含むものであり妥当性を証明したとはいえない。そのような課題が残るものの、第4~6章の分析結果と第7章の解釈をふまえて、弥生時代後期前半(Ⅰ期)と古墳時代初頭(Ⅴ・Ⅵ期)に近江地域からの他地域への移住者が存在した可能性を示した。

 第4章から第7章までの成果をまとめると、近江系土器に関して以下の三つの移動や拡散を明らかにしたといえる。第一が弥生時代後期前半の近江周辺地域への拡散であり、この背景には甕を携えて移動した近江地域の人びとの存在を推定した。第二が弥生時代後期後半の拡散である。この背景は、後期後半に近江地域を中心とした交流関係が強まったために各地で受口甕が採用されたということではなく、後期前半の拡散を契機とした他地域における受口甕の定着の結果である可能性を示した。そして、第三に、古墳時代初頭の関東地方への拡散を明らかにした。この背景は、近江地域からの人びとの移住である可能性が高いと考察した。

 第8章では、本研究が明らかにした近江系土器の移動現象と、その背後にみえてきた近江地域からの人びとの移住活動が、弥生・古墳時代移行期のどのような変化と関わるか、議論を深めた。近江系土器の発信地である近江地域の集落動態を検討することで、他地域への移動が認められるⅠ期やⅣ・Ⅴ期に連動した変化が認められることを示した。また、第1章でとりあげた弥生・古墳時代移行期の変化を論じる既往の学説に対して、本研究の成果をもとに検証をおこなった。最後に、以上をふまえて本研究を総括した。