現代韓国語の母音体系は,ここ100年で大きく変化してきていることが知られている。そうした変化には,‘ㅚ’および‘ㅟ’の発音の変化,‘ㅔ’と‘ㅐ’の発音の合流,‘ㅗ’と‘ㅜ’の発音の接近,‘ㅓ’の発音の変化,長母音と短母音の区別の消長などがある。本論文は,こうした変化のうち複数の見解が対立しているなどの理由から先行研究で十分に明らかにされていない問題,特に‘ㅚ’および‘ㅟ’の発音の変化,‘ㅔ’と‘ㅐ’の発音の合流とその方向性,‘ㅗ’と‘ㅜ’の発音の接近とその方向性に関する問題を中心に論じ,先行研究では検証されてこなかった研究方法からそれぞれの問題を考察したものである。以下,その概要を章ごとに示す。

 

 第1章では現代韓国語の母音体系の概要を提示し,本研究の背景や本論文で用いる用語などについて述べた。

 第2章では20世紀前半に調査された方言資料である『朝鮮語方言の研究』(小倉進平著,上下2巻,岩波書店,1944年)を活用し,当時の母音体系に関して問題となるいくつかの母音の発音を考察した。20世紀前半の母音の発音を考察する理由の一つは,続く第3章で‘ㅚ’と‘ㅟ’の発音を,第4章でソウル方言における‘ㅔ’と‘ㅐ’の発音,‘ㅗ’と‘ㅜ’の発音,母音体系の変遷を考察するための準備作業として20世紀前半のこうした発音を検討しておくことである。また,この方言資料が後学の研究者によって十分に利用されていないと評価されることがあるため,第3章や第4章で考察する母音ではないが,音韻史とのかかわりなどから先行研究で議論になっている母音についても考察した。具体的には,(I) 済州の[ʌ]と[œ],(II) [jɔ]と[e],(III) [ø]の発音の地域差と[wi]の発音の地域差,(IV) [ɔ]と[ɨ],(V) [e]と[ɛ]の対立と[o]と[u]の対立などの問題を考察した。その結果,次のようなことが分かった。(I)については,済州で語頭音節に[ʌ]が現れ,済州以外ではそこに[a]が現れる。ただし,全羅,慶南,咸鏡では頭子音が両唇音のときに[o]が現れる。また,済州で[œ]または[e]が現れるような項目では,済州以外では済州で[œ]や[e]が現れた位置に[ɛ]が現れる。ただし,済州の[œ]と[e]については,単独形で[œ]が,主格形や接辞添加形の環境では[e]が現れる。(II)については,全道的に[jɔ]または[e]が現れるとき,その現れ方が声調や語種により異なる。上声由来の項目では[jɔ]が全道的に分布するが,[jɔ]と[e]を併用する地点や[jɔ]と[e]が混在する地域もある。非上声由来の漢字語の項目では上声由来の項目よりも[jɔ]の分布域が狭くなり,特に全羅や忠清では[e]が現れる。非上声由来の固有語の項目では[jɔ]が黄海などの地域にのみ現れ,[e]が全道的に現れる。(III)の[ø]の発音の地域差については,[ø]が朝鮮半島の西南から東北に現れるのに対し,これ以外の地域では[ø]以外の発音が現れる。具体的には,[we]や[e]が済州,全南,慶尚,忠清,京畿の開城周辺,江原,咸南に,[wi]や[i]が慶尚に,[wɛ]や[ɛ]が平安に現れるほか,後期中世語の上声に由来すると考えられる[oi]([oj])が忠清などに現れる。また,[wi]の発音の地域差については,[wi]が全道的に現れ,[w]が脱落したと考えられる[i]が慶尚に現れる。(IV)については,「蛭」という項目で後期中世語の上声に由来する語頭音節の母音が,忠清以外の全道では[ɔ]であるが,慶尚,忠清,京畿,江原,黄海では[ɨ]([ɨː])も現れる。このことと関連して,全道的には[ɨ]が現れるような場合に,済州,慶尚,忠北では[ɔ]が現れることもある。(V)の[e]と[ɛ]については,[e]と[ɛ]を併用する地点や[e]と[ɛ]が混在する地域が慶尚,忠北,江原に見られる。[o]と[u]については,[o]と[u]を併用する地点や[o]と[u]が混在する地域は見られず,ある地域では[o]で発音するところを,別の地域では[u]で発音するような項目がいくつか見られる。以上で指摘したことは,先行研究で言及されてきたことの再確認に過ぎない部分も確かに多いが,前述の(III) [ø]の発音の地域差において,全道的には[ø]や[we]が現れるのに対し,平安では[wɛ]や[ɛ]が現れることなど,いくつかの注目すべき結果も得ることができた。

 第3章では‘ㅚ’と‘ㅟ’の発音の変化について考察した。これらの発音とその変化について先行研究では研究者や外国人宣教師による主観的記述,中部方言を反映した音声資料,各種の方言語彙資料などから検証されてきたが,先行研究には複数の解釈が併存しており,調査時期の異なる方言資料からこれらの母音の変化が考察されていないからである。本章では20世紀前半に調査された『朝鮮語方言の研究』(小倉進平著,上下2巻,岩波書店,1944年)と20世紀後半に調査された『韓国方言資料集』(韓国精神文化研究院編,全9巻,韓国精神文化研究院,1987–1995年),『平安方言의 音韻体系研究』(金英培著,東国大学校韓国学研究所,1977年),『平安方言研究 <附>黄海道地域方言研究』(金英培著,東国大学校出版部,1984年)を比べることで‘ㅚ’と‘ㅟ’の発音の変化を考察した。その結果,20世紀前後半の資料の‘ㅚ’については,[ø]が全羅,忠清,京畿,江原,黄海に,[we]が済州,慶尚,京畿に,[wɛ]が全南,慶尚に,[wi]が慶北に現れた。つまり,こうした地域では発音が変化していない。それに対し,全南の一部と忠北では20世紀前半は[we]が,20世紀後半は[ø]が主に現れ,黄海では20世紀前半は[ø]が,20世紀後半は[we]または[ø]と[we]の併用が主に現れた。つまり,全南の一部と忠北では[we]>[ø]が,黄海では[ø]>[we]が推定できる。ただし,20世紀後半の黄海の資料は黄海からの移住者(ソウル在住)を対象に調査したものなので,黄海での発音の変化は移住先であるソウルの発音の影響を受けた可能性があるかもしれない。また,20世紀前後半の資料の‘ㅟ’については,[wi]が済州,全羅,慶尚,忠清,京畿,江原,黄海に,[i]が慶尚に現れた。つまり,こうした地域では発音が変化していない。それに対し,20世紀後半の資料では20世紀前半の資料にはない[y]が全羅,慶尚,忠清,京畿,江原に現れた。ただし,この[wi]と[y]については解釈がむずかしく,この違いを発音の変化とみなして全羅,慶尚,忠清,京畿,江原では[wi]>[y]の変化が起きたと解釈することもできるが,20世紀前半の資料では[wi]と[y]の発音の違いを記述し分けずに[wi]で記したとみなすと発音の変化を推定することはできない。以上から,20世紀前半と後半の資料で発音が異なる場合があるので,方言資料の調査年代の違いを考慮せずに全道的な視点から発音の変化を考察するのは必ずしも適当ではないことが分かった。また,20世紀前半から後半にかけての発音の変化が地域ごとに異なる場合があることも分かった。なお,20世紀前半の資料の被調査者は学生(調査当時),20世紀後半の資料の被調査者は主に50代から80代(調査当時)であるので,以上の結果は,少年期から老年期の間に話者の発音が変化しているか否かという視点から解釈することも可能である。

 第4章ではソウル方言における‘ㅔ’と‘ㅐ’の合流とその方向性,‘ㅗ’と‘ㅜ’の接近とその方向性,母音体系の変遷について実験音声学的に考察した。ソウル方言の単母音に関する近年の研究では音響分析の結果から‘ㅔ’と‘ㅐ’の合流,‘ㅗ’と‘ㅜ’の接近,これらの変化の方向性を分析しているが,‘ㅔ’と‘ㅐ’および‘ㅗ’と‘ㅜ’がどのような経路をたどり合流・接近しているのか,これらの母音は(音響上だけではなく)聴取上も区別されていないのかということは明らかにされていないので,こうした研究を行なった。本章では,まず,若年層ソウル方言話者の音声を音響分析し,それよりも1世代以上前の音響分析の結果と比較した。そして,若年層ソウル方言話者の音声を用いて韓国語話者と延辺朝鮮語話者を被調査者とした聴取実験を行なった。その結果,若年層ソウル方言話者の音声の音響分析からは‘ㅔ’と‘ㅐ’のF1とF2およびF0, CPP, 持続時間,H1-H2には有意差がないことと‘ㅗ’と‘ㅜ’の男性の音声のF2と女性の音声のF1および男女の音声のF0, CPP, 持続時間,H1-H2に有意差がないことが分かった。この結果をそれよりも1世代以上前のソウル方言話者の音響分析の結果と比べると,先行研究では‘ㅗ’が‘ㅜ’に向かって接近しているとされているのに対し,本研究からは過去の女性の音声のデータに‘ㅜ’が‘ㅗ’に向かって接近していると解釈するのが妥当なデータがあることが明らかとなった。また,聴取実験の結果からは延辺朝鮮語話者が若年層ソウル方言話者の女性の音声の‘ㅔ’と‘ㅐ’を‘ㅐ’と認識しやすいことや韓国語話者も延辺朝鮮語話者も若年層ソウル方言話者の‘ㅗ’と‘ㅜ’を‘ㅗ’と認識しやすいことが明らかとなった。聴取実験から得られた結果は,‘ㅔ’が‘ㅐ’に向かって合流していることや‘ㅜ’が‘ㅗ’に向かって接近していることを示唆すると考えられる。以上から,過去の音響分析データを活用することや方言間の聴取判断の違いに注目することの意義を示した。また,音響分析の結果は‘ㅔ’と‘ㅐ’の合流と‘ㅗ’と‘ㅜ’の接近を示すのに対し,聴取実験の結果は延辺朝鮮語話者が‘ㅔ’と‘ㅐ’を聞き分けると考えられることや韓国語話者も延辺朝鮮語話者も‘ㅗ’と‘ㅜ’を聞き分けると考えられることを示す。つまり,音響分析の結果は母音の合流・接近を示すための必要条件であるが十分条件ではないことが分かる。最後に,フォルマント周波数による母音図をもとに,20世紀前半から現在までのソウル方言の母音体系の変遷を検討した結果,‘ㅗ’のF1, F2が小さくなり,‘ㅡ’のF2が大きくなることで,‘ㅓ’と‘ㅗ’および‘ㅜ’と‘ㅡ’が接近していたものが‘ㅗ’と‘ㅜ’が接近するように変化していることも分かった。

 第5章では第2章から第4章までの議論を整理し,残された課題などについて述べた。