インド論理学者が描くパーニニ文法学―『ニヤーヤマンジャリー』第六日課の研究―

友成 有紀

本研究は,9世紀インドのカシュミール地方で活躍した論理学派(ニヤーヤ学派)の学匠ジャヤンタ・バッタ(Jayanta Bhaṭṭa)の難解をもって知られる大著『ニヤーヤマンジャリー(Nyāyamañjarī, 以下NM)』より,その第六日課(āhnika, Mysore版ではpp.219–262に収録)に繰り広げられる,インドの古典文法体系であるパーニニ文法学(Pāṇinian grammar)を巡る種々の議論を対象とする。パーニニ文法学の歴史において,9世紀という時代は文献上の暗黒時代にあたる。7世紀のヴァーマナ(Vāmana)およびジャヤーディティヤ(Jayāditya)による『カーシカー註(Kāśikāvr̥tti)』,11世紀のカイヤタ(Kaiyaṭa)による『プラディーパ(Pradīpa)』という極めて重要な2つの著作のまさに間隙に著されたNMは,同時代の文法学の有り様を探る上で,我々に遺されている唯一の手がかりといっても過言ではない。本研究の目的は,宮廷に仕えるバラモンであり,ニヤーヤ学者,詩作家,劇作家,さらには文法学者でもあったとされる博学多才のジャヤンタが,従来様々な文脈で繰り広げられてきた同種の議論をどのように消化し,どのような改変・追加を施したのかを明らかにすることで,9世紀当時の社会的時代的背景を読み解き,彼がいかなる文法学像を提示しているのかを明らかにすることにある。本研究の手法はしたがって,基礎資料として対象テキストの厳密なる解読に基づく訳注研究を用意し,これに基づいて対象テキストの内容を整理,先行する諸文献との対応関係などを明らかにし,目的である9世紀の文法学像に迫るというプロセスをたどることになる。

 

本論文は二部構成を取る。第一部・本論は全6章(序・結論含む),第二部は基礎資料たる訳注研究で構成されている。第1章を除く各章の具体的な内容は以下である。

 

第2章:NM第六日課後半部全体の構成をシノプシス形式で整理し,前主張部と定説部の議論内容をそれぞれ簡潔に纏め,先行文献との対応状況を示し,議論の全体的な特徴を明らかにした。同所の議論について完全な科段を設けたのは本研究が初となった。

第3章:前章で整理されたNMの構成順序に基づくと,対象テキストは,(1)正しい言葉と不正な言葉の発生を巡る議論,(2)文法学の目的(prayojana)に関わる議論,(3)文法学のテクニカルな問題に関する議論,という三つに分けられる。第3章では,このうち(1)について,主に『ミーマーンサースートラ(Mīmāṃsāsūtra)』の作者であるジャイミニ(Jaimini)と,その注釈者であるシャバラ(Śabara)の見解との比較を中心に検討し,「正しい言葉」に関する伝統的な見解を明らかにした。さらに,ミーマーンサー文献のうちに正しい言葉と文法学を巡る意識の変遷があったことを示し,これに続けて,NMの記述がミーマーンサー学派の議論から逸脱する場面を考察することで,9世紀カシュミールの言語ならびに文法学の実情の一端を示し出すことに成功した。

 

第4章:上述の(2)の問題について,対象テキストが範としたと思しきミーマーンサー学者クマーリラ(Kumārila, 7世紀)の『タントラヴァールッティカ(Tantravārttika, 以下TV)』の内容整理を行い,NMとの対応関係を提示した。TVの特徴として極めて複雑で多岐にわたる議論構造を持つことが知られているが,これを明確に整理することで,第2章で見たNMの構成との対比が明らかになり,ジャヤンタがどのように議論の取捨選択を行っていたのかが明らかになった。先行する文献を頼みにしつつ,新たな文脈にそれらの議論を配置しなおすという著作スタイルはジャヤンタ自身述懐するところではあるが,本章では極めて具体的な形でその好例を見ることができた。

 

第5章:上述の(3)の問題を,プラバーカラ(Prabhākara, 7世紀)の著作『ブリハティー(Br̥hatī)』に依拠したNMの議論について,その特徴を考察した。一連の議論に現れるパーニニ文法学批判はラディカルなものである。しかし,その実情はパーニニ文法学の註釈家たちによる理論補修の歴史を無視したものであり,妥当ではない。文法学を擁護するプラバーカラやジャヤンタは,これらの批判に対しては等しく淡泊な応対をするに尽き,NMは批判者を「諍いを起こす揚げ足とりのならず者学者」と一蹴する。

 

第6章・結論:以上の考察からテキスト・思想の両面で以下のことが明らかになった。テキスト面では,NMの先行文献に対する高い依存度が従来指摘されていたが,対象テキストにおいてもこれが文献的に実証しうることである。ただし,単に依存するだけでなく,著者の宣言通り,新たな文脈において議論が再構成されているという点も見逃すことはできない。またクマーリラだけでなくプラバーカラの文献にも多く依拠しているという対象テキストの特徴はNMの他所に類を見ない指摘すべき特異性である。一方で思想的には,当時存亡の危機にあったと言われる宗教聖典ヴェーダを中心に据えた宗教的社会的伝統を保守するというNMの傾向が極めて顕著である。文法学は,サンスクリット文化に身を置く洗練された文化人にとっての必修学門であるというだけでなく,ヴェーダ聖典の内容理解に関連しつつ,それを守るものと描写するところに,ジャヤンタの理想とするヴェーダ中心社会の理想的なあり方も重ね合わされているといえよう。

 

第二部は,対象テキストの訳注研究である。それ自体長大な議論であり,話題も多岐に渡る。アヌシュトゥブ韻律が多い引用詩節に対して,ジャヤンタの作と思しき韻文は様々な韻律を用い,ここに詩作劇作に通じたその才の一端を垣間見ることが出来る。

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