1950年代ドイツ連邦共和国におけるキリスト教民主同盟(CDU)の住宅政策: カトリシズムの影響を中心に

芦部 彰

第二次世界大戦後、ドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)建国とともに政権を担ったキリスト教民主同盟(CDU)は、さまざまな社会問題に取り組み旧西ドイツの社会政策の制度的基盤を形作った。本論文は、こうしたCDUの社会問題への取り組みはどのような理念に支えられていたのかを考察し、CDUがどのような人間像を理想とし、どのような社会を形成しようとしていたのかに迫る。

CDUは、大戦後、カトリック、プロテスタントの両宗派を包摂する超宗派政党として設立され、多様な勢力の集合体であった。しかし、党内には有力な社会カトリシズムのグループが存在し、CDUの社会改革の方向性に対してカトリック社会教義が影響を与えていたこと、また、特に1950年代にはその影響力が大きかったことが指摘されている。

しかし、こうした指摘は、一般的な傾向の指摘にとどまっており、個別の取り組みや政策に即してカトリシズムがどう関連したのかが明確にされているわけではない。これに対し、本論文は、1950年代のCDUの住宅政策を考察することを通じて、カトリシズムとCDUの社会的取り組みとの関連を具体的に明らかにする。本論文が住宅政策に注目するのは以下の理由による。住宅政策の立案者は、人々の暮らしや家族のあり方と密接に結びついた居住空間を明確な狙いをもって形作ることで、住宅のあり方の中に、旧西ドイツ社会の市民にとって規範となるべき人間像や社会像を盛り込み提示することができる。こうした住宅政策の機能を通じてCDUの住宅政策の立案者が提示しようとした理念を分析することで、CDUの社会的取り組みを支えた理念が明らかになるからである。

大戦直後、住宅政策には、まず目前の住宅不足の改善が求められたが、住宅不足が幾分か緩和すると、どのような住宅が建設されるべきかというヴィジョンを提示することが課題として浮上した。そして、この課題は、冷戦の東西対立と体制間競争という同時代の時代状況によって大きな意味をもつことになった。すなわち、冷戦の対抗関係の中にあっては、何らかの形の住居を市民に供給するだけでは不十分であり、東側陣営に対抗して旧西ドイツが理想とする人間像や世界観を体現する住宅を提示し、そのことによって東側との違いと、東側に対する優越性を示すことが求められたのである。

こうした中で、CDUのヴィジョンの鍵となったのが持ち家であった。社会民主党(SPD)が賃貸住宅建設を主張したのに対し、CDUは持ち家建設の優先を主張し、1956年の第二次住宅建設法でこの主張を貫徹した。そして、この要求を実現するうえで大きな役割を果たしたのが、カトリックの政治家を中心とするグループであった。以上の点をふまえて、本論文は、CDUは持ち家という住宅のあり方を通じてどのような理念を提示しようとしたのか、そして、その理念にカトリシズムがどのような影響を与えたのかを考察する。

また、1950年代に住宅のヴィジョンについて議論が行われた時、19世紀末以来の住宅改革構想の大きな蓄積が存在した。それらの構想は、CDUの住宅政策に対抗することで、あるいは、結び付くことで、実現を追求したと考えられる。本論文は、これらの構想との関係を通じて、CDUの住宅政策が提示しようとした理念の特徴を明確にする。

 

 以上の問題設定のもと、本論文は次のように議論を進める。

第1章では、1950年の第一次住宅建設法によって開始された社会的住宅建設を中心に、1950年代の住宅政策の制度的な枠組みを整理する。

第2章と第3章では、CDUの住宅政策の内容とその特徴を把握する。まず第2章は、議会での議論をとりあげ、CDU法案の内容、対案と法案審議での議論、そして、成立した第二次住宅建設法に反映されたCDUの要求を整理する。つづく第3章は、CDUの要求をめぐる住宅に関わる団体の議論をとりあげ、CDUの住宅政策の特徴を検討する。

第4章と第5章では、CDUの住宅政策の理念とカトリック社会教義との関連を考察する。まず第4章は、カトリック社会教義の内容を整理し、所有、家族、自助といった原則的な論点に即して、CDUの住宅政策を主導した政治家と、その周囲のカトリック知識人および実践家の議論を分析する。そして第5章は、カトリック・ミリューの中で一般信徒が主導した住宅建設の実践をとりあげて、カトリック社会教義の諸原則との関係を考察する。

最後に第6章で、CDUの住宅政策を他の住宅改革構想と対比し、その特徴を明確にする。

 

以上の考察の結果は次のようにまとめることができる。

CDUが東側に対抗し旧西ドイツの理念を体現するものとして提示した住宅は、「家族住宅」という概念で構想された、田園地域の庭のついた戸建て持ち家住宅であった。

この持ち家には、冷戦下の東側陣営で進行する所有の廃絶とそれにともなって生じる個性の抹消に対抗する自律的な人格を、所有を通じて形成するという意味があり、この構想を支えていたのが、自律的な人格の基盤として所有を位置付けるカトリック社会教義の所有概念であった。また、この持ち家が「家族住宅」という概念で構想されたことで、所有と家族の論点が結び付けられ、家族を統治するという父権が負う義務は所有によって履行が保証されるというカトリック社会教義の家族観が反映されることになった。さらに、住宅建設の進め方については、人格の自律性と社会性のあらわれとしての団体の形成による自助を重視するこの教義の原則が示された。

実際に、カトリック・ミリューにおける住宅建設では、家族住宅の建設を希望する者によって団体が組織され、団体の中での相互の助け合いとして自助による建設が実践された。そして、この実践は、家父長主義的家族を単位として作業が組織され、また、実践の中で理想とされた家は、教皇の回勅が家族の成長の基盤として求めた財産と理解されるなど、カトリック社会教義と連続的な理念に支えられていた。同時に、実践の現場では、自助を隣人愛や献身と結び付けるなど、独自の解釈も見られた。

さらに、他の構想との対比においては、戸建て持ち家住宅には、都市の住宅団地に見られる集団的均一性に対抗し、個別性と人格の自律性を体現する意味があった。また、庭のついた土と結び付いた住宅は、父権が外部の権力から家族の自然性を守るために必要な、外界から遮蔽された空間を提供し、カトリシズムの家族観を体現するものでもあった。

このように、この住宅のあり方を通じてCDUが提示した理念とは、自由で自律的な人格による集団的均一性に対する対抗、家父長主義的家族の重視、団体の形成による自助といったカトリック社会教義に支えられた理念であった。

 

このカトリック社会教義は、19世紀末の工業化の進展により発生した「社会問題」に対峙する中で形成され、その原則的内容は1891年の回勅「レルム・ノヴァルム」を中心に体系化されたもので、自由主義とも社会主義とも一線を画して近代の諸問題を独自に解決することを模索した。CDUの住宅政策は、このカトリック社会教義にもとづく独自の社会改革の構想を現実化したものであり、CDUの社会問題への取り組みを支える理念は、世紀転換期からの連続性の中ではじめて理解できるものであった。また、カトリック・ミリューの結び付きの中で社会問題を解決する構想が実践されており、こうしたミリューの存在によって、社会問題に取り組むカトリシズムの伝統が支えられていた。

このカトリック社会教義にもとづいたCDUの社会問題への取り組みで目指された人間像と社会像は次のようなものであった。まず、その人間像は、社会主義の集団主義と自由主義の個人主義に対置された「人格」という人間像であった。この人格概念は、人間の自律性を強調することで集団主義に対抗し、同時に、その社会性を重視することで個人主義と一線を画するものであった。そして、その社会像は、父権が外部の権力から家族の自然性を守り家族を統治するという、家父長主義的家族に特別な地位が与えられたものであった。さらに、社会問題を解決する実践では団体の形成による自助が重視された。これらは社会問題を解決するうえでの国家の役割を規定するものでもある。すなわち、家族の自然性を侵犯する公的介入を否定する、国家干渉に対する家父長主義的家族の優位と、団体の形成による自助の重視によって、公的介入のあり方と範囲が限定される。

 

以上の本論文の知見は、旧西ドイツの社会政策の性格を明確化することに寄与するものと考えられる。旧西ドイツの社会政策について、エスピン=アンデルセンの比較福祉国家論では、家族と社会団体が制度の中心となり、それに国家が補完的に関わる形が制度的特徴とされ、特に、公的介入による家族のコストの社会化が斥けられたことが指摘されている。本論文は、このモデルの検証を直接の目的とはしていないが、上述の知見はこの制度的特徴と合致しており、旧西ドイツを比較福祉国家論の中で家族を中心とする保守主義型としたエスピン=アンデルセンの指摘を実証的に裏付けるものとなった。

さらに、CDUが目指した人間像と社会像に関する本論文の知見と、1960年代末から70年代にかけてSPDに主導された社会政策の特徴とを比較することで、旧西ドイツの社会政策の連続と変化を、背景にある理念まで掘り下げて捉えることが可能になるであろう。

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