歩行運動と視覚的注意の関係に関する実験心理学的研究

正田 真利恵

視覚刺激を検出し認知するためには,意識的な情報処理の対象となる視覚刺激を選択する必要がある。視覚刺激の選択は,視覚的注意を向けることで可能になる。刺激検出のため,広い領域に向けられる視覚的注意を分散的注意と呼び,その照射領域は偏心度にして約13°から17°である(Ikeda & Takeuchi, 1975)。一方,より詳細な処理を行うために,狭い領域に向けられる視覚的注意を焦点的注意と呼び,その照射領域は偏心度にして約1°である(Henderson, 1991)。第1章ではまず,視覚的注意が,分散的注意と焦点的注意に大別されることを示した従来の研究を概観した。その上で従来研究は主に,身体を固定した状況で,実験を行ってきたことを述べた。しかし日常的な行動を考えると,視覚情報処理のみを行うという状況よりも,運動を行いながら視覚情報を処理するほうが多い。そこでこれまでは,視覚刺激に向かって行われる上肢の到達運動が,視覚的注意に与える影響を検証することで,運動と視覚的注意の関係が調べられてきた。Tipper, Lortie, & Bayliss(1992)は,運動の対象となる候補地点が複数存在する盤面上で,参加者に上肢の到達運動を行わせた。その際に運動の対象地点を指示するのと同時に,運動とは無関係な妨害刺激を提示した。運動の対象地点よりも,運動開始時に上肢が存在した位置に近いところに,妨害刺激が提示されると,より運動の完了に時間がかかった。このことから分散的注意の照射領域は,運動開始地点に偏っていると考えられた。また上肢の到達運動を計画している時には,運動の対象地点に視覚的注意が焦点化した(Baldauf & Deubel, 2008b)。このような研究から,運動が分散的および焦点的注意に影響すると考えられてきた。ただし上肢の到達運動を行うためには,運動遂行の前に,運動の対象地点を選択する必要がある。そのため運動が視覚的注意に影響したのではなく,運動の対象地点を選択することが,視覚的注意に影響した可能性がある。そこで本研究では,運動の対象地点の選択が不要なトレッドミル上での歩行が,分散的および焦点的注意に影響するかを検証する。歩行を構成する運動要素として,下肢の周期運動と伸展がある。これらの運動要素は異なる神経機構によって制御されるだけでなく(Christensen, Morita, Peterson, & Nielsen, 1999; Gwin, Gramann, Makeig, & Ferris, 2011),異なる視覚情報が運動要素の遂行に影響を与える。たとえば周辺視野に提示された視覚刺激が,歩行の周期特性を調節した(Patla & Vickers, 2003)。一方,視線を向けた位置に向かって,下肢が伸展した(Chapman & Hollands, 2006)。そこで本研究では,第2章の実験1から3で,下肢の周期運動が分散的注意に影響するか,そして第3章の実験4と5で,下肢の伸展が焦点的注意に影響するかを検証する。これにより,運動の対象地点の選択を行わなくとも,特定の運動要素を遂行することが,視覚的注意に影響するかを明らかにできる。

 第2章の実験1では,下肢の周期運動と伸展のいずれが,分散的注意の照射領域に影響するかを検証する。下肢の周期運動も伸展も行われる歩行時,周期運動のみが行われる足踏み時,そしていずれも行われない正立時の視覚的注意の分散特性を比較した。分散的注意の照射領域を計測するために,画面中央に短時間提示された文字(中心刺激)を答えた後に,中心刺激と同時に提示された周辺刺激の検出を行う課題を用いた(Richards, Bennett, & Sekuler, 2006)。運動条件によらず下視野では,視覚的注意は同程度分散していたが,上視野では,正立時に比べて歩行と足踏み時に,視覚的注意がより狭窄した。したがって下肢の周期運動が,分散的注意に影響したことになる。ただし正立時に比べて下肢の周期運動時には,より精緻な姿勢制御が下肢で行われる。結果的に周期運動ではなく,姿勢制御が,分散的注意の照射領域に影響した可能性もある。実験2では,片方の足に重心をかけて立つという左右非対称な姿勢制御が,分散的注意に影響するかを検証した。結果的に姿勢制御が,分散的注意に影響することはなかった。このことから運動を行うことが,分散的注意に作用したと考えられる。つづく実験3では,下肢の周期運動の速度上昇に併せて,分散的注意の狭窄が変化するかを検証する。歩行中は下肢の周期運動を行うことで,外界も一緒に変化する。このように運動速度に伴い外界の表象も変わるという予測が,分散的注意の照射領域に影響した可能性がある。そこで足踏み速度を操作した実験を行った。単位時間あたりの足踏み回数が増すと,視覚的注意は下視野でも狭窄し,照射領域は上下対称となった。歩行速度が速くなると,周辺視野の視覚情報がより大きく後方に流れたように知覚される。したがって運動速度が上昇すると,周辺視野上での刺激の変化は,突然生じた外界の変化とは無関係である可能性が高くなるために,分散的注意の照射領域が上下対称に狭窄したと考えられる。

 第3章では,視覚的注意の焦点化に影響する,歩行の運動要素を検証した。実験4では,歩行時に行われる下肢の伸展が,視覚的注意の焦点化に影響するかを検証した。課題は,50%の確率で標的の提示位置を予測する手がかり刺激に続いて提示された,標的の弁別を行うというものであった。正答率を運動条件間で比較することで,焦点的注意の特性を調べた。トレッドミル上を歩く場合には,盤面の広さに制限があるため,下肢の伸展は水平方向で制限されている。運動条件によらず,手がかり刺激と標的が同じ位置に提示される有効条件の正答率が,両刺激が反対の位置に提示される無効条件よりも,有意に高くなった。したがって運動条件によらず,視覚的注意は手がかり刺激の提示位置上に焦点化した。視覚的注意が高い精度で焦点化しているならば,無効条件の正答率は,運動条件によらず同程度になると予測された。しかし標的と手がかり刺激間の距離が短い場合には,両刺激が水平軸を挟んで反対側に提示された時に,正立条件よりも歩行条件で,正答率が有意に上昇した。よって水平方向への視覚的注意の焦点化精度が,下肢の伸展を行う歩行時に低下することが示された。実験5では,水平方向に対する視覚的注意の焦点化精度の低下が,歩行中に維持されるかを検証するため,手がかり刺激と標的の提示時間間隔を操作した。提示間隔が250 ms以上になると,歩行が水平方向への焦点化の精度を低下させなかった。それゆえ焦点的注意に対する下肢の伸展が与える影響は,手がかり刺激提示直後に限り観察された。

 第4章では,歩行を構成するどのような運動要素を遂行することが,視覚的注意に影響するかを検証した研究成果をまとめた。下肢の周期運動は分散的注意に影響するのに対して,周期運動に伴う下肢の伸展は焦点的注意に作用した。この結果から,運動の対象地点の選択ではなく,外界を変化させる運動を行うことが,視覚的注意に影響したと考えられる。したがって運動計画が視覚的注意に影響を及ぼすだけでなく,運動によって生じた体性感覚の変化が視覚的注意に作用することが明らかになった。ただし体性感覚の影響は,外界の変化を誘発しうる運動を行う時や,運動計画が行われる時間帯に限り観察されたため,運動結果の推測などの高次な情報に基づき重み付けが成されて初めて,体性感覚の入力が視覚的注意に作用すると考えられる。

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